▼10 波紋の目

それから早数日。
患者の薬剤治療が功を奏し、患者たちもあとわずかで退院できるまでに回復した。

シズクは昼休みの時間を用い、砂隠れに戻るテマリの見送りに 雨隠れの町外れに来ていた。

数日間お互い口には出さぬものの、話すべきことがあるのは言うまでもなく。
市街地を離れ 人気のない川沿いの橋までやってきたところで、テマリはようやく口を開いた。

「それで……一体全体なんでお前はこんなとこにいるんだ?」


本来であれば極秘任務は他言無用の事項だが、今回の件でシズク自らが望んで顔を晒した手前は、無論テマリにも事情を知ってもらう必要がある。
雨隠れに至るまでの経緯を、シズクは全て話して聞かせた。


「二年か。けど定期報告もあるだろ。木の葉にはいつ一時帰還する?」

「まだ目処が立っていませんが 一年後を予定してます」

「その間の自里との情報交換は?」

「私からはしない契約です。見ての通り、この里はまだ警戒体制が厳しいので……独断で連絡を取ったり、それこそ火の国の国境へ近づきでもしたら、協定も呆気なく白紙になってしまいます」

忍界大戦終戦後、五大国は連合組織をさらに強化し、絆を深めている。任務システムも抜本的に見直され、改革が進んでいるのだ。

雨隠れは慎重を期し、まずは木の葉のみと協定を結んだが、将来的にうまくいけば 大国との確執を越えて連合に参加する日がくるかもしれない。
そのための任務でもある。
この好機を無下には出来ない。

「そうか」

月並みな同情をしないのが、いかにも 竹を割ったような性格のテマリらしい。シズクは無言のまま風に靡く髪を片手で抑えていた。
会話を切り出したのは、やはりテマリの方からだった。


「この前、シカマルに会った」

シズクの瞳が僅かに揺れたのを、テマリは見逃さなかった。


「今月から忍連合本部である会議が始まったんだ。各里を担う次世代の若手実力者が集う会合だ。木ノ葉からはアイツが来てる」

「……そうでしたか」

「六代目の参謀に加えて任務調整役でそもそも忙しいってのに、会議のまとめ役まで引き受けて……めんどくさがりのアイツらしくないだろ」

「…」

髪を押し付けるシズクの指が無意識に強ばった。
知らない。
会合の存在も、今の木ノ葉隠れでシカマルがそこまで重要かつ多忙な地位にあることも、知らなかった。

「……シカマルは元気そうでした?」

「まあまあかな。私はてっきりお前も参加すると思ってたから問い質してみりゃ、デカイ溜め息ついてたけどな」

何か言ってましたか?

波間に消え入るほど小さく呟かれたシズクの声。
対称的に、テマリの声は風に吹かれても明瞭だった。

「いいや。お前のことは何も」



――――ボカァン!!

テマリが言い終えるのと、彼女たちの頭上にあった巨大な配水管が突然崩落したのとは、奇しくもほぼ同時のタイミングだった。

「な……!」

鉄製パイプの一部はけたたましい音を立てて落下し、とっさに建物上部へと跳躍した二人へと細かな飛沫を浴びせかける。
すでに廃止になった配水管で事なきを得たが、命中すれば手酷い怪我を負っていたかもしれない。

「なんで急に……」

「オイ、何してる!」

「え?」

テマリが非難めいた口調を自分に向けていることにシズクは気付いた。どうしてテマリは、油断なき眼差しをこちらに注いでいるのか?

「ち、違います!私じゃありません!」

「“私じゃない”だって?そう思うなら自分の目をよく見てみろ」

「?」

促されるまま、シズクは鎮まった波間に降り立ち、自分の顔を水鏡で見下ろした。
見つめ返してくる自分の顔に、輪廻眼は普段よりも色濃く、そこにある。術を発動した際にわずかにみられる兆候だ。

「どうして……私、発動してないのに!」

よもや本当に――配水管は重力に従い落下したのではなく、波紋の目に引き寄せられて千切られたのか?

「輪廻眼を使いこなせてないのか?」

問いながら、テマリはシズクの隣に並び立つ。

「そんなことは……ないはずです。忍界大戦でも国境でも、輪廻眼の斥力を何度か使いました。どちらもコントロールできてたと思うし」

言葉とは裏腹に、シズクの心拍数は跳ね上がる。違うと思う、は信じたいの意。
テマリの推測が正しいと、頭ではなく体が肯定しているかのようだった。
精神エネルギーと身体エネルギーを練り合わせるチャクラの扱いには、身体は勿論のこと、心の状態も密接に関係してくる。
心身の乱れでチャクラを制御できなかった経験はシズクにもあったが、それが輪廻眼に及んだことは一度もなかったのだ。

特に尾獣や瞳術の類いは、術者の精神状態が力を大きく左右する。
他ならぬ自分の弟がそうだったから、テマリはそれを痛感していた。先の会話を反芻して シカマルの名を出した瞬間のシズクの動揺に、思い当たるところがあった。

試してみるか。

「……ちょっと来てくれ」

テマリは徐に水面を歩き出したかと思うと、シズクを連れて、さらに町から離れた大河の中程へ向かっていく。

「ここらならいいか」

「?」

「今からお前を罵倒するぞ」

「え……?」

灰色がかった川に 二人は向かい合わせになった。

「前々から思ってたんだが、勝手すぎないか」

突として声を荒くしたテマリに、シズクは眉根を寄せる。

「戦争が終わってまだ混乱してる時期だってのに、好きな男をほったらかして、これから二年もこんなとこにいる気だ?」

「て、テマリさん…?」

「強がってもバレバレだバーカ!」

あからさまな挑発だった。それも感情的で幼稚、口喧嘩を吹っ掛けてくるような物言い。
いくらシズクでも、こんな文句で怒りが沸くほどこどもでは――
ドカァン!!

「!!」

テマリの傍ら、水面は透明な空掌で弾かれたように大きく波打つ――神羅天征だ。
降り注ぐ水飛沫など意にも介さずテマリは尚も続ける。


「自分に正直なのがお前の長所だと思ってたんだけどな。この里じゃお前、随分とおとなしいんだな」

ドカン!
水面が轟き、彼女の頬を濡らした。
危険だ。やめてください、やめて―――

「雨忍の警戒心は高い。誰も信用しないさ!」

「もうやめて!」

ドカン、ドカン、ドカン!!

冷たい水に膝をつき、シズクは片目を掌できてく覆う。テマリが閉口して波のざわめきがおさまってしまうと、からりと空しい静寂が訪れた。
テマリの読み通り。恐らくはシズクの中で抑圧されている感情が限界に近付けば近付くほど、輪廻眼の能力は制御を失うのだった。
任務に赴いている最中だというのに、解決すべき問題はまたひとつ増えていた。

「…すみません…」

「私こそ散々言って悪かった。真に受けるなよ?あれは本心じゃない」

「テマリさんの言う通りです。私、猫被ってました」

輪廻眼の平静が保たれたの確認し、シズクはゆっくりと立ち上がる。珍しいことに泣き虫の彼女の目に涙がなく、かわりに、長い髪が所在なげに風にふかれていた。

「自分で決めてここに来たんだし、もう大人なんだから……割りきって仕事に専念しなきゃいけませんよね」

たとえ今、死ぬほどさみしくても。

「…バカだな」

テマリの言葉に、シズクははにかみながら頬をかく。
嬉しそうに。哀しそうに。

「…バカって、久しぶりに言われました」

シズクには、ここに その言葉を言って叱ってほしい人がいない。だからこそ波紋の目は自制心と裏腹に叫びだした。
代わるようにテマリが与えてくれた。
似てる。本質的なところで、テマリとシカマルはすごく近いものを持っているのだとシズクは実感していた。

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