▼火の花しずかに(番外)
第十班で花火大会に行くと、なんともいえぬ匂いになって帰ってきたものだと 彼はよく言いました。
移り香のように趣あるものではなくて、たとえばチョウジ君が腕いっぱい抱えた、やきそばたこ焼きいか焼き。
いののつけ始めた練り香水。
花火の下でアスマ先生が煙をたゆらせればそれはもう、青芝と火薬に混じる夏の匂いはきつい強さで。
私がこの季節を好きなのは、普段は多くを語らないシカマルが、ながい夏夜にそういうちいさなお話を聞かせてくれるからでした。
今日の晩、彼に染みいるのは、出店の食べ物でも香水でもない。
秋道一族の当主として、チョウジ君は食をもてなす側。いのは今年もさぞかしめかしこんで 大切なひとを連れ出したことでしょう。
迎え火過ぎて、先生も奥様と娘さんのもとにかえって来てる季節。ただ同じ銘柄の苦い香りだけは、夜風に運ばれる火の粉とともにここにあるのです。
深まる宵に灰をふかす彼を見るのが切なくて、
私はといえば いくつになっても気をひきたくて、めんどくさがりな彼を、花火が見える坂の上まででいいからと垣根の中から連れ出します。
綿麻の浴衣をわざわざ箪笥の奥から発掘して。
「どうかな。似合う?」
「いいんじゃねーか」
朝顔の袖をちょっともちあげて、どう?期待をこめてシカマルを見上げてみる。
長年の経験済上、ここでひとつ褒めないことには女の機嫌を終始そこねて厄介だとよく心得ているようで、適当な相槌こそ返されます。
これが付き合う以前なら、「そういうふうにねぐせ直せよ、たまにでいいから」
付き合いたてならちょっと照れて「へえ…」
と、ぶっきらぼうでかわいい賛辞が聞けたことでしょう。
今や首を縦に振るだけですから私の扱いなど手慣れたものです。
シカマルがキザな男のひとだったならば「似合ってるっつうか、…他の奴に見せたくねぇ」の一言でもかましたかもしれませんが、まあ、それは期待しすぎでしょうか。
「たーまやー」
牡丹に菊、蜂。空の花は満開で、楽しげに見上げる道端の背中たちを坂から眺めるのも一興。とどろきに合わせて濃くなる影もまた。
光のあるところに影はなくちゃならない。だからシカマルはいつも忙しい。せめて空に大輪が咲く間だけでも隣で独占したいもの。
ふしくれだった手にさりげなく指を絡ませ、彼の肩に頭をゆだねました。伸ばした顎髭が髪にくすぐったい、こんなに暑い夜の手繋ぎ。わざわざ結い上げた髪が崩れてもどうでもいい。
ひたすらに甘えたい。
どぉん、墨色の舞台にはしだれ柳の閃光がすっと降りそそぐ。
「ねぇシカマル、名前呼んで」
「なんだ急に」
「たまにはいいでしょう」
「めんどくせーな」
「いいからいいから」
「…シズク」
「え?」どぉんどぉん。「なあに?聞こえなかった」
「シズク」
「んー?」どおん、どどど。白々しく聞こえないふり。
「ねだるんならちゃんと聞いとけっての」
シズク、
凭れた頭、耳元に唇を近づけられ、いっとう低い囁かれれば鼓膜に吐息とからんで伝わる。ふいうち。声が、体の芯に火をつける。
今日の日に備えて、線香花火を一束、こっそり買ってあった。打ち上げ花火が終わったあとに二人でやろうと浴衣のうちに忍ばせておいたんです。
でも、もう着火してしまったんでしょうか。囁かれて爆発。心臓に火傷。線香花火の種のように心はまるで重たくて。
シカマルはわるい顔で笑みを浮かべる。
「聞こえてねぇんならもう一回」
「もういいです」充分すぎるほどです。
鼻先でまた笑い、シカマルの手が私の指をほどいて肩に回る。あやしい手つきで一撫でされる。暑く、くるしい。
締めくくりの大玉はとうに煙に消えていた。目の奥に名残惜しさはない。どの花火がきれいだったかなんて、最初からよく見ていなかったけれど。
「きれいだったね」
当たり前のように嘘をつく。
「今年は奮発したってカカシさん言ってたからな」
「そうなの?」
「地球存続の記念に」
「知らなかった」
「あと結婚祝いも兼ねてるらしいぜ」
「だれの?」
「誰のって、オレたちのに決まってんだろ」
ああカカシ先生ごめんなさい。先生の御厚意、粗末にしてしまいました。
全く都合のいいものですが、花火でも風に流れる残り煙幕でも星空でも、こうしていられるならなんでもでも良かったのかもしれません。良い休日をありがとう。
「ちゃんと見とけばよかった」
「何しに表にまで出てきたんだよ」
こっちはこっちで締めに、とシカマルがポケットから煙草を取り出そうとするのを、やんわりと引き留めた。
「だめ」
「いいだろ、一本だけ」
「今日はだめ…ねえ 線香花火して帰ろうよ」
わがままを言いつつ、シカマルの肩から頭を離さない。
だめなの今日は、煙じゃなくて、屋台の濃い食べ物や練り香水じゃなくて、私で満たしておいて欲しいのです。
地球最後の夜は来ません。
明日も明後日もそのまた次の日も、永遠みたいにめぐり来るの。
胸のうちの火花はぱちぱち鳴り続くから。
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