▼窓から窓へ

うすい羽の蝶が、たったいま この頬に触れた。
そう感じたけれど、実際には 私の頬がはらはらと捲れおちては蝶になって羽ばたいていく という夢だった。かぞえきれない蝶になって紺碧の空に放たれ 私は彼の肩を見つけて羽を休めるのだ。

あなたが忘れても きっと私は未練たらしく覚えている。
忘れただけで 永遠に覚めることのない場所に仕舞われただけで、あなたとの出会いは無かったことにはならないのだ。


* * *



どこからやってきたか足跡を辿れないのがまぼろしだよ。だからねカカシ、幻術世界にほうり投げられたときは 自分がそこまでどう歩いてきたのか道順を思い出せばいいんだ。
幻術を解く術についてを、はたけサクモは幼い息子に対してやさしく説いた。
同期の仲間たちの誰よりもはやく任務に駆り出された彼の息子は、今日 里を離れた実践の場において、父の言葉を胸の奥でそっと語りかけるようにして空を仰いでいた。

じゃあ父さん、空から人が落ちてくるのをみてしまったら これはまぼろしなの。と。



あたかも、カカシが尊敬する忍・ミナトによる飛雷神の術のように、それは突然の出来事だった。まばたきをしたほんの一瞬に突如として現れたのか、カカシの監視していた冴えた紺碧の空と灰色した楼蘭の門に、何者かが急降下してくるのだ。
楼蘭の民は矢面に姿をあらわさないというのに、どうして人影が。
カカシは落下してくる人物を注視するが、風圧に抵抗している気配はなく 気をうしなっている。このままでは地面に叩きつけられるだろう。
どうする 罠か 何者かの陽動である恐れは?疑いの色を秘めていたカカシの目は しかし、彼女の額を覆う鉄鋼の木の葉マークを、靡く長髪のすきまに見て取った。
背中が砂混じりの石畳に触れるすんでのところで、6歳のカカシは自分よりも体躯の大きなくノ一をキャッチし、潜んでいた塔の影へと再び跳躍した。


歳は自分よりもだいぶ上。意識を失ってはいるが死んではいない。
近くで顔を覗きこんでも、彼女の額あてはカカシのそれとなんら遜色ない。おかしい。今回の潜入任務はミナト、チョウザ、シビにカカシを加えた四人一小隊で赴いているはずだ。先発や増援も無い。ともすると このくのいちは一体何者だ?
やはり自分を誘き寄せるための楼蘭の陽動だったか。カカシの手が忍具ポーチからクナイをしずかに取り出したそのとき、固く閉じられていた女の瞼がぴくりと震えた。
「う」

かすかなうめき。カカシの手に力が込もる。
ようやく見開かれた円い瞳がまっすぐに、カカシを捉える。
目覚めた月浦シズクは相手の、針金のような銀の髪先から忍サンダルの爪先までをゆっくり眺め、やがて呟いた。

「……カカシ先生?」



* * *



幻術の解の印を結んでも変化がないため、カカシは父に教わった他の幻術の見極め方を用いたが、記憶は正確であった。
新しくオープンしたラーメン屋へと、ガイ、シズネ、アスマ、由楽に引き摺られて仕方なく行列に並んでいた、これは数日前のこと。そこへ波風ミナトがやって来た。風の国・砂隠れ付近に位置する都市“楼蘭”での重要任務にカカシを同行させてくれるという。
ミナトは実力ある忍。自分をこどもじゃなくて一人前の忍として認めてくれる。心から憧憬を向ける忍に、カカシは犬のように尻尾を振ってついてきた。そうして ミナトたちが楼蘭の中枢で使命にあたる間の遠方監視と地下システム破壊を単独で任された。というのに、見ず知らずのくのいちが急に現れて自分を先生と呼ぶ。不可解なことがおきている。カカシはトラブルとの遭遇に頭をかかえた。



他方 目を覚ましたシズクもまた、自分が夢でも見ているんじゃないかと目を疑った。
ほんのちょっと前まで、シズクは綱手の命を受け、第7班の仲間たちと砂隠れに程近い廃墟を訪れていた。遺跡を根城にする《ムカデ》なる抜け忍を追う任務である。戦闘の最中にムカデが廃墟にあった謎の封印を解き、何らかのエネルギーの渦に飲み込まれてしまったのだ。
次に目を開いたとき、そこにいた少年は あろうことかシズクの担当上忍 はたけカカシにそっくりのこどもだった。

「カカシ先生がちっちゃくなっちゃった…」

幻術の精度が低いのだろうか。シズクは試しに頬をつねってみた。

「痛いっ……やっぱ現実?」

「なにしてんの アンタ」

呆れ顔に変わるカカシ似の少年を、シズクはまじまじと見つめる。
彼の部屋に飾ってあった少年時代の写真にうりふたつ、もっとも、ちらりと見ただけの記憶で不確かだが、あの写真に写っていた少年よりも目の前の少年はさらに幼く思える。
瞳は両目ともに深い黒目。写輪眼の赤はみあたらない。いよいよ訳が分からない。
けれどそれ以上にーーー

「か……可愛い〜!!」

「はあ?」

小さなフォルムには 見知った担当上忍の、猫背でやや哀愁ただよう背中はない。うすっぺらな肩や大きな目は、小動物のような愛らしさを思わせた。

「ちっちゃい!顔がまるい!先生の親戚?可愛いすぎるっ」

「ジロジロみるな 気色悪い」

「き 気色悪い!?辛辣……」

異論を唱えたくても、少年はあくまで正論で指摘したまでのこと。シズクがカカシを彷彿として馴れ馴れしくしようとも、カカシにシズクは面識のない赤の他人で。それどころか、楼蘭側の刺客とさえうたがっていた。
なぜ自分の名を知ってる。
カカシはクナイの先をシズクへと向けた。

「なっ」

「お前、楼蘭の者でしょ。オレの情報をどこで手に入れた」

「違うよ!」

少年の殺気を受け、シズクは油断なくクナイを見やる。
彼の言う“楼蘭”が先程まで第七班が侵入していた地のかつての名称と思い出し、シズクは幼いカカシにばかり気をとられていた目をあたりに向けた。この石畳の門や連なる塔の様子は、自分たちがいた砂漠に埋もれた廃墟とはかけはなれた豊かな都市だった。だが面影がある。
シズクは立ち上がり、天空高くそびえるいくつもの塔を仰ぎ見た。ここもまさしく“楼蘭”なのだ。

「どうしてここにいるかはわからないけど、とにかく私は正真正銘木の葉の忍なの。名前は月浦シズク、忍者登録番号は……」

「月浦?」

しまった。いや、むしろ機転か。

「そう!月浦!私は月浦由楽さんの…養子みたいなものなの」

意識を失う直前まで傍らにいた仲間たちを想起し、シズクは陽向へと出て行こうとする。カカシはその腕をすかさず掴んで制止した。

「どうしよう、こんなことって…そういえばナルトとヤマト隊長は…」

「待て。まだお前が不審人物じゃないと証明されたわけじゃない」

「木の葉の仲間が近くにいるはずなの。見なかった?」

「仲間?」

「金髪にオレンジの忍服の派手なヤツと、猫目で怖い顔のおじさん」

彼女の証言した仲間とやらは案外すぐに見つかった。ただし ひとりだけ。
猫目で怖い顔のオジサン。楼蘭の門の裏側で倒れていたその男は、ややあって意識を取り戻した。ヤマトという名の小隊長らしく、このヤマトとやらもシズク同様にカカシの顔を見るなりひどく驚いた面持ちで「カカシ先輩!?」と声をあげた。
事情はどうあれ、こんなオジサンに自分が先輩と叫ばれているのが、カカシには不快であった。

「隊長 どうなってんですかこれ。私たち廃墟でムカデを追ってたんじゃなかったんですか」
「奴が解除した封印の術でボクたちは時空間を超越してしまったんだろう、おそらく」
「やっぱここ過去なんですか!?じゃああの先生も?」
「間違いない カカシ先輩本人だろう。にくたらしい顔なんかホラ そっくりじゃないか」
「言われてみればたしかに……」


「ねえ、さっきから丸聞えなんだけど」

二人だけのひそひそ話、すっかりほうって置かれたカカシはひとりごちる。
沈黙。
ヤマトとシズクは冷や汗の滲む顔で好意的な笑顔を無理矢理つくろいつつ、6歳のはたけカカシに向き直った。

「えーっと……はじめましてカカシ君。ボクたち、未来から来ました」

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