▼12 手紙
「シズクに返事、書きなよ。送るから」
後ろ背に六代目にそうたしなめられて、そそくさと火影邸をあとにした。歩く度に電灯にぽつんと照らされた喫煙所を見つけては思う。こういうときはやっぱ煙草。未成年のオレじゃ吸えねェけどな。
灰の煙の代わりに息を深く吐いて空を見た。
雨隠れっつーのは一年中雨が降りやまない地域らしいが、四季が移ろう木ノ葉の里に暮らしてりゃ想像し難い。遠く離れてても同じ夜空の下 同じ月を見てるとか、 所詮物語の中の話だ。あいつの頭上では星空も分厚い雲で覆われてんだろう。
さしずめこりゃ 遠距離恋愛ってやつか。
そもそもまだ未成年のオレたちが婚約という関係に至ったのは、はっきり言っちまえば里の意向によるものだった。
《木ノ葉隠れに家族のいないシズクを、どうやって里に縛るか》シズクの雨隠れ派遣に苦言を呈したご意見番は、詰まるところ アイツが雨に寝返る危険性を危惧してた。
血の繋がった人間がいなくても、シズクは骨の髄まで木ノ葉に忠実だ。んなこと誰だって判りきってる。だが、忠誠心よりも目に見える証明が必要で。それが婚約者。つまりオレってわけだ。
「めんどくせーなぁ…」
決まり文句を溢しながらも、思えばこの十年余り日常の些細なことまで、シズクの愚痴はいつもオレが聞き役に徹してたわけで。だが今となっては、任務内容はおろか、雨忍たちとはあんまりうまくやれてねェっつー悩みすら満足に知ることもできねえ。
今のオレがシズクにできることといや、あいつがいざ帰る時の尤もらしい口実でいてやること位だった。
相談できる人間が見つかりゃいいんだが。
いや待てよ、それはそれでめんどくせーな。女なら問題ねェけど男ならアウト。隣を不在にしてるからって、他のヤツに取って代わられんのは御免だ。
「…手紙か」
だいたい筆無精のオレにんなこと、できんのかよ。
*
気づけば私は 巨大樹の森をゆったりと進んでいた。
いつの間にこんなとこに来たんだろうと考えて、道のりを思い出せない。然ればこれは夢の中だろう。
人の立ち入らない手付かずの木立で、葉はしっとりと濃い緑色をしていた。ただ猛然と、ゆっくりと地面を踏みしめているらしい、なぜか四本足で。素足にやわらかい土の感触はなかった。一歩踏み出すごとに草木の雨露を纏っても、冷たくもなかった。視覚だけがリアルだ。
雨が窓を叩く、そこではじめて音を聞いて、目を覚ました。
「…んん〜?」
変な夢見ちゃった。
こんなに鮮明に覚えてるのも珍しい。眠りが浅かったのかな。
朦朧とした頭で上体を起こし、窓枠越しに朝の空を覗き込む。うすぼんやりとした灰色が一面に広がっていた。
「今日も雨かぁ」
窓の外から差し込む厳しい冷気に肩をすくめる。
手紙を書きたい、と申し出たときに、テル様にもうひとつお願いをした。与えられた部屋でなく、里の人たちにもっと近い住処を、自分で探したいと。
程無くして借りたのは、下層部にある、寂れた貸家。雨どいが壊れてるし、ボロボロだけど、けっこう気に入っている。
まだ行ったことのない場所。
まだ会ったことのないひとたち。まだ見たことのない自分。
新しい朝がくる。
やることはたくさんある。
私は身支度を整えて、早々に出勤した。
雨隠れ病院に着くなり奥の研究室に立て込もり、先日の騒動を引き起こした謎の病魔と、何時間もにらみ合い。
正体、未だ判然とせず。
チャクラに反応する感染タイプの忍術といえど、ウイルス型なのか細菌型なのかでは今後の対処も違ってくる。
さてどうやって術を特定するか――頭を悩ませているところに、ノックの音が響いた。
「はい、どうぞ」
「入るぞ」
扉を押したのは医療忍者の同僚ではなく、この間任務に同行してくれたフヨウだった。
弟の看病のため、病院に足しげく通っているスイレンを見かけてはいたけれど、フヨウが私のところへ訪ねて来たのは初めてだ。
「フヨウ…この前の任務ぶりだね。先導ありがとう」
「こっちこそ世話になった」
フヨウの話し方は女の子にしては無愛想なものだったけれど、彼女のマイペースそうな性格故か、不思議といやな気持ちがしない。
「これを、テル様からお前に渡してと頼まれた」
「テル様から?」
どうも里長のお使いだったらしい。
すぐ傍らまで近づいてきたフヨウから、細い紙筒を手渡される。
びっくりさせんなよ。
封を開いて、心臓はおおきく跳び跳ねる。やや乱雑でかどばっている、小さな頃から慣れ親しんだ癖字は、そんな風な始まりで綴られていた。
うっかり昇格しちまって不本意だが 多忙でな。手紙っつっても今更畏まるのもめんどくせーし 手短にしとくぜ。
こっちの里は順調だ。
かーちゃんも皆も気落ちしねェで元気でやってる。どっかのバカなんか、お前の任務に同行してェなんて駄々捏ねてる位で、平和なもんだ。
だからこっちのことは構わず任務に専念しろよ。
あと、無茶もほどほどにな。
また手紙書くから。元気でやれよ。
ぶっきらぼうであまりにも短い、率直な言葉。僅か数行に、私は何度も何度も目を通した。
思いがけずシカマルから手紙が来て、なぜこのとき涙腺の弱い私が涙を流さなかったのか、あとから考えると不思議でならない。あれが普段の私なら、フヨウの面前でも、蛇口を捻ったようにわあわあと泣き出していたはず。
飛び上がって歓声をあげたいほど嬉しいし、机につっぷしてわんわん大泣きしたいほど恋しい。しかし私はといえば、至って平静にそこに座っているだけ。
とにかくそのときは無意識のうちに 《めんどくせー》の文字からシカマルの声を呼び起こそうとしてしまっていた。
うっかり昇格。うそだ。上忍になることも、任務の調整役も、若手の会合のまとめ役も、シカマルは全部自分で その責任を引き受けたんだ。
誰かに 私に相談しなくたって、シカマルは自分で決められる――だめ。これ以上考えちゃ、だめだ。何か 何か他のことを。
「ねえフヨウ、聞きたいことがあるんだけど…」
「何?」
「二人は…フヨウとスイレンはさ、私に警戒心とかないの?」
「警戒心?なんで」
フヨウときたら、意味を理解しかねるといった表情をしている。あれ、彼女って天然なのかな。
「なんでって…この病院の外でも内でも、皆、私のことを見ると困った顔するよ」
視線が注がれている先に私の要素はなく、彼 彼女たちが見ていたのは父の形見の輪廻眼。この体に流れるペインの血と渦の瞳が侮蔑と嫌悪を許さない。
もともと持つ木ノ葉への恨みつらみがさらに輪をかけて、戸惑いはいっそう奇妙さを深めているのだった。
といったことを簡単に伝えると、ようやくフヨウも納得したように頷いてくれる。
「なるほど、そういうイミか。私は特にそう考えたことはなかった」
「木ノ葉に対して不信感もないの?」
問えば、フヨウは物思いに耽るようにしばし間を置いて、一言。
「今までのことを帳消しにできるわけじゃない。でも、同じくらい恩もある。…実は以前 木ノ葉の忍に手助けしてもらったことがある」
そうしてフヨウは 中忍試験で起きたある出来事について語り始めたのだった。
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