▼SCENE11「虹の氷壁」

「父上 ハルってなあに?」

訊ねれば、
「そうか、小雪は春を見たことがないのか」

父上はちょっと勿体ないなという顔でやさしく微笑んだ。


「目を閉じてごらん。一面のお花畑を思い浮かべるんだ」

ほら始まった。父上の“目を閉じてごらん”の魔法。呪文を唱えられて、わたしは鏡の前で目を閉じる。お庭の冬牡丹、寒緋桜じゃなくって、絵巻物に出てくる名前もしらない色とりどりの花びらを想像するの。

「ほうら、キレイだろう?その上を思いっきり走ってごらん」


足袋を脱いで若草にそっと足をおろした。あったかくて、草は時々固くてくすぐったい。両手を広げて、おんなじ背丈の黄色いお花にタッチ。顔を寄せると甘酸っぱい匂いがした。

「どうだい。ポカポカしてきて、幸せな気持ちになれただろう?」

「うん!」

父上 ハルって色んなものが鮮やかで、そわそわするね。

「それが春さ。諦めないで未来を信じるんだ。そうすればきっと 春は来る」



「やっぱり…ここに来てしまったのね」

淀んだ雲、モノクロの氷壁。ドトウと雪絵が降り立った地は、虹の氷壁というにはあまりに鬱々とした場所であった。辺り一面凍てついて閑散としている。
氷の上に膝をつき、寂しいばかりの大地へ思いを馳せる雪絵に対し、ドトウは丘にぽつんと佇む封印の祠だけを捉えていた。

祠に刻まれた六角形の紋章 中央には水晶が適合する窪みがある。口元の笑みを堪えることもせず、ドトウは姫君から奪った六角水晶を紋章に照らし合わせる―――が、何も変化が起こらないではないか。ドトウの邪悪な笑顔が一気に冷徹な無表情へと冷めていった。

「二度も騙しおって…」

ドトウは偽物の水晶を掌で粉々に砕くと、姫に詰め寄り、胸ぐらを掴み上げた。

「貴様 六角水晶をどこへ隠した!!」

そうか、と雪絵は仰け反って灰色の空を見上げる。ドトウの根城でカカシから受け取った六角水晶はまたしても偽物だったのだ。

「アンタには…教える価値もないわ」

無論 本物の六角水晶の所在など雪絵は知る由もない。
怒り心頭のドトウに真実が知れれば ここで殺されかねない。訳知り顔で素振りを見せれば少なくとも命は守れると、息を詰まらせながら 雪絵はお得意の演技をした。
したたかさでもいい。ドトウと心中を図った時、ナルトに教わった。意識の声に叱咤され、命すら無下にできなくなってしまったのだ。


「ねーちゃん!それじゃ逃げてんのと同じだ!!」


「ねーちゃんっ!!!」


そこへ、紛れもなく本人の肉声が重なる。

声の方向へ目を向ければ、撮影班のカメラドリーから飛び出したナルトとシズクが全速力で雪絵へと駆けてくるのが見える。

「ナルト!シズク…!」

「雪絵さんを離せ!六角水晶はこっちだ!」

ドトウに向かってシズクが声高に挑発する。
シズクの掌にチラリと覗いた水晶を見、ドトウの怒りは閾値を越えた。

「小娘が…騙しおって!来い!」


「このやろ、シズクに触んじゃねえ!」

「ガキはひっこんでろ!氷遁・黒龍暴風雪!!」

ドトウの右腕から放出されたチャクラが黒き龍となり牙を剥き猛進してくる。その衝撃凄まじく、竜巻に巻き上げられた雪の煙幕と共に、ナルトはシズクを庇い、空高くから固い氷上へと叩き付けられてしまった。

「ナルト…シズク!」

雪絵の悲鳴が響き渡る。チャクラの鎧の威力にドトウは勝機の笑みを漏らしたが、それもほんの束の間。

「…どうした」

ナルトが立ち上がったのだ。

「全然…効いてねえぞ…!」

「ナルト!やめて!今度は本当に…死んでしまう!」

「オレを信じろ!」

痛みに堪え、体を震わせながらも ナルトの瞳は屈することなく前を見る。

「ねーちゃんが信じてくれるなら…!オレはぜってーに、負けやしねェ!!」

“信じてくれるなら”

力強いその言葉に雪絵は息を飲む。
変化は確実に起きていた。尤も、その異変に気がついていたのはドトウ一人。見逃しはしなかった。彼自身が開発に携わった、ナルトの腹部でチャクラの抑制兵器から赤いチャクラが漏れ出しているではないか。

「馬鹿な…チャクラが漏れ出しているとでもいうのか!」

敵の大将が抱いた感情は危機感ではなく苛立ち。まだ年端も行かぬ幼い下忍に業を煮やしたドトウは、封印の祠から一直線に駆け、鎧で強化を得た渾身の拳を叩き付ける。

「死ねェェェェェ!!」

ようやっと体勢を立て直したナルトに回避する余裕はなかった。



粉々に砕けた氷の下は言うまでもなく、人の命を奪う絶対零度の水中。
ナルトの姿は見えない。
雪絵は言葉を失い、へたりと力無く座り込む。彼女にとってそれは終わりの絶望を意味するイメージだった。

生気を失い、無機質になった横顔。そこへナルトと枝分かれして走っていたシズクがようやく駆け付けた。

「雪絵さん!これを!」

差し出された手に握られていたのは、今度こそ正真正銘本物の六角水晶。シズクは雪絵の掌にしっかりと封印の鍵を握らせた。

「秘宝を開けてください!」

「!?」

突然のことに耳を疑う雪絵。

「どうして……もうナルトは、」

「まだ終わってない!!」

シズクは雪絵の両目を真っ直ぐ見据えて嘆願した。

「信じて鍵を開けて!!」


“信じて”

再び叫ばれる呪文の言葉、雪絵の心は鷲掴みにされたように揺れる。だが、彼女が封印の鍵穴へと視線を移した時、目に入ったのは祠ではなく 鋼鉄の鎧を纏ったドトウであった。

「それが本物だな」

水中深く沈んだナルトを見限り、ドトウは雪絵へと歩み寄る。

「寄越せ!」

「やめろ!」

シズクは雪絵を庇うようにドトウと対峙し、利き腕にチャクラを集中させた。

「この秘宝は小雪姫が託されたものなんだ!!アンタにその意味は絶対判らない!!」

チャクラは白い業火に変換され、ドトウの繰り出す黒龍と真っ向から激突した。激しく吹き荒れる嵐の目は、黒と白の勢力。しかし互角に押し合っていたのはほんの僅かで、先の医療忍術でチャクラの殆どを消費していたシズクに、チャクラの鎧で強化を得たドトウの黒龍を打ち負かす力は残っていなかった。
この力の差を見極められないわけがない。当のシズクは相手の忍術に敵わないと最初から判った上で、ドトウの足止めのために勝負を挑んだのだった。

「行って!!!」

雪絵の足の震えが、その叫びでぴたりと止んだ。

“信じて”

そうナルトとシズクは、自分を信じて戦っている。その思いが今なら判る。
ドトウとシズクの繰り出す竜巻を潜り抜け、雪絵はただひたすらに走った。そして辿り着いた祠の鍵穴に、迷うこと無く六角水晶を当てはめた。

目も眩むようなまばゆい光。
それは中心の祠から氷の大地に聳え立つ氷柱へ さらに六つの氷壁へと伝わり、巨大な雪の結晶の文様を描き出した。

雪絵はその目で、肌で感じていた。

「暖かい…これは…」

吹き荒れる冷たい風が止んだのも、雪が溶け出して川を為す様も、この地でははじめてのものだった。

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