▼SCENE9「信じて」

シズク本体の周囲を囲むように現れた影分身体 その数五十。現時点でシズクが扱える最大数だった。
分身体たちと斜面を勢い良くかけ降り、再び動き出した汽車には目もくれず、地に伏した雪の民たちのもとへ跪いた。
五十と一人の医者が、赤い血の滴る深い傷口へと各々手を翳し、掌仙術を開始する。

「三太夫さん!」

本体が三太夫の傍らへ駆け付けた頃には既に、三太夫は雪の上で 己の死期を受け入れていた。シズクもまた分身たちと同様に、止血をしながら三太夫の身体に刺さる武器を丁重に取り除き始める。

「三太夫さん、しっかり!痛いでしょうけど堪えてください!」

「…もう…良いのです……」

「何言ってるんですか!ぜったい助けますから!!」

「…シズク殿…姫様を…」


「これ以上喋っちゃダメです…!」

「…私めを…小雪姫様のもとに…」

三太夫は治療などいらぬと、虚ろな瞳で君主を探し始めた。もはや幾ばくの猶予もないその命で、最後の思いを雪絵に伝えたい一心で。
同時に ドトウを乗せた汽車が寸でのところで第7班の奇襲をかわして遁走を図る。
深追いは有害無益と判断したカカシは 一行のもとへ帰還し、負傷者の手当てにおわれる部下の脇に立った。

「シズク、三太夫さんを彼女のところへ運ぼう」

「カカシ先生」

「この状態では、彼の望み通りにさせてあげた方がいいだろう」

カカシはサスケに目配せし、三太夫を担架に横たえ、運び出す。真っ白の雪の上にちらばる赤い染みを踏まないように分け歩きながら。


「…姫様…」

暗くぼやける意識の中で、三太夫は姫君を見つけた。

「…私も…ここにいる者たちも…皆 姫様がいて下さったからこそ…諦めずにいられました…」


三太夫の瞳には、幼い日の 屈託ない笑顔を見せる小雪姫がいる。そして 立派な女性となった小雪姫の姿もまた。
“諦めないで”と迷える戦士たちを導き、虹の向こうを目指す勇姿。曇りなき眼差しとそれに続く自分たちの背中の なんと眩しいことよ。

「幼い頃も…そして今も…姫様は姫様でした……この三太夫の信じた通りの……ご自分を信じて下さい…皆 姫様が希望だったのです.…」

たとえ、自分を見下ろす小雪姫の表情が凍てついていたとしても、小雪姫が閉ざされた心の奥で涙を流していると三太夫には判っていた。

「…姫様…どうか…泣かない…で……」


そう これは 命尽きる仲間にすがりつく風雲姫のワンシーン。彼女の目には溢れる透明な涙が―――






「本当にバカね 三太夫」

三太夫の手から離れた目薬は、雪絵のための涙。

「…目薬は あなたが持ってるじゃない」

三太夫は役者でもなければ、カットの合図で目も覚まさない。雪絵の呟きが彼の耳に届かなかったのは幸いか。




「もう満足したでしょ」

動かなくなった三太夫から距離を置くように立ち上がり、雪絵はあまりにも薄情な言葉を白い息と共に吐く。
しかし頑として、シズクが掌仙術の手を止めることはなかった。

「もう諦めなさいよ」

「まだ助かります」

「やめて」雪絵は声を震わせる。

「三太夫はもう死んだのよ!」

「必ず助けます!!」


一介の医者ならば患者の容体を冷静に見定めるものを、この忍者はなぜ 違うと否定できるのか。
シズクの叫びは無音の雪の大地に溶けていく。凛々しい瞳は相変わらず雪絵に向けられていたが、

「信じて」

二言目に出てきた言葉は、雪絵に懇願するかのように小さな呟きだった。

「…帰りましょう」

雪絵は目を逸らし、停留しているバンへとひとり歩き出した。

「これ以上この国にいたら、アンタたちも無事じゃすまないわ。さあ 帰るのよ!」

「どこへ帰るんだよ!」

押し黙っていたナルトが ようやく雪絵に思いをぶちまける。

「アンタの国はここだろーが!!どーしても帰るっつーなら、ドトウを倒して!堂々と自分の家に帰りやがれ!!」

「何にも知らないくせに……!この国には春がないの!涙が凍りついて、心が凍えてしまう国なのよ!」

「でも、アナタなら変えることができるんじゃないですか?…少なくとも三太夫はそう信じていたと思います」

サクラの言葉に、雪絵はわずかに俯いた。
夢とか希望とか 未来を信じて止まない、まるで昔の自分のそのもののようなこどもたちが、逃げてばかりの今の自分を非難する。あまりに耐え難い。

「無茶言わないでよ!!」

雪絵はとうとう怒鳴り声をあげた。

「私にはそんなことできないんだから!」

「待てよ!」

「うるさい、もうほっといてよ!」

雪絵に振り払らわれた瞬間、言い返そうと口を開いたナルトの視線は その背後に釘付けとなる。
ナルトが言葉を失うのも無理はない。何の前触れもなく、突如として姿を現した空飛ぶ船―――飛行船を はじめて目撃したのだから。
撤退したかに思われたドトウ一派の突然の奇襲。雪絵が手練れの上忍から距離を置いた好機を雪忍が逃しはしなかった。

「ああっ!」

ミゾレのからくりのアームは雪絵の背に正確に狙いを定め、彼女を飛行船へと強引に導いた。

「しまった、」

拐われた雪絵を追おうとするも、先の戦いで苦戦を強いたフブキの氷遁が飛行船より放たれ、カカシたちは行く手を阻まれる。
撮影班の一般人へも情け容赦なく迫る氷柱の連撃。
ようやく落ち着いた頃には、飛行船は鉤縄の届かぬ高さまで高度をあげていた。一行の安否を確認し、サスケはあることに気付く。


「サクラ!ナルトは!?」

「え!?うそ…アイツまさか!」

サクラが雪景色をぐるりと見渡してもどこにもいない。それもその筈、決して見落とし出来ない明るい金髪とオレンジの忍装束は、空高く飛行船に危なっかしくしがみついていたのだ。

「雪絵さん、ナルト!」

三太夫たち怪我人を庇っていたシズクは、チャクラを練りながら空を仰ぎ見る。カカシもまた 飛行船の進路に目を凝らした。

「飛行船の方角は、確か旧風花の城だな…」

推測が正しければ、飛行船が向かう先はドトウの根城だ。その途中で、あるいはもうすぐにでも、雪絵の“六角水晶”が偽物にすり替えられていることをドトウも気付くだろう。本物の六角水晶を得るためにも、ドトウ一派はカカシたちが追ってくるのを待ち構えるはずだ。
姫君とナルトの命は保証されている―――少なくともそれまでは。
些かの賭けではあったが、カカシは本物の六角水晶を残して置いて行くことにした。


「サスケ、サクラ。オレたちはドトウの根城へ向かい、小雪姫とナルトを奪還するぞ。シズクはここに残って治療を」

「わかった」頷く三人の部下たち。

「頼んだぞ」

「ハイ!」

シズクに雪の民と撮影クルーを任せ、カカシはサスケとサクラを従えて飛行船の追跡へと駆け出した。

両目を瞑り、ちいさな針穴に糸を通すように微細なチャクラコントロールを維持しつつ、シズクの脳裏にはカカシの声が繰り返される。

「頼んだぞ」

その意味は 負傷者を救い、危険にさらされかねない撮影班たちの身を守ること。まだ幼い自分を信頼し、カカシはここを任せてくれたのだ。

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