▼38 百万回聞かせてよ
再び地球に舞い戻った頃には、地上は夜。いっとう美しい満月が空を照らしていた。久しぶりの地球は、月の世界とそんなに違いはないのかもしれないけれど、やはり懐かしいような、あたたかい雰囲気に満ちている。
サイの墨鳥たちに乗って、私たちは星の合間を縫い、木ノ葉隠れの里へと向かっていく。
反対に美しい満月は私たちから少しずつ遠退いていった。
さっきまでいた、月の上。
トネリがこれからも住む場所は 私たちの世界からはこんなに遠い。
ずっと一人でいいんだとトネリは言った。人はいつか一人で死んでいくけど、一人では生きていけない。再会するそれまでに、私たちは自分のやるべきことを果たすんだ。
今夜は、涙は夜空に返そう。
今は泣いてる場合じゃない。
「ねぇシカマル」
私は心を決めて、前に座るシカマルを小声で呼びかけた。シカマルは微かに顔を向けて、「何だ?」と応じつつ、また前方に向き直っていく。
「ごめんなさい。私、ずっとシカマルを騙してた」
「……」
向かい風に髪をさらわれながら俯きがちに私は続けた。嘘じゃなくて、弱くて情けないままの、心からの本音を。
「怖かったの。記憶がなくなったことで、シカマルの私に対する気持ちも戻らなかったらって。でも……シカマルは記憶がなくても私に向き合ってくれたね」
この一生の想いに蓋をしないために、今度こそ素直に伝えたい。あなたへの気持ちを。
あなたの過去じゃなく、あなたの今に生きていたい。
「騙しておいて今更こんなこと言う資格はないかもしれないけど、私………シカマルが好き」
言うんだ。
「シカマルが私のことを忘れても、私を好きじゃなくなっても、ずっと、シカマルが大好きだよ」
言うんだ。
私がこれから生きるために、あなたに側にいて欲しいって。
「シカマル、私と……」
「ちょい待ち」
「え?」
「流石にそれ言うのは男の役目だろ」
やおらシカマルがこちらを振り返り、次の言葉は制止された。重なる視線。シカマルの口元は、ふっと僅かに弧を描いていた。
月明かりの下、彼の口から紡がれた言葉は、夜風を切る墨の羽の羽ばたきに紛れて、私以外の他の誰にも聞こえることはなかっただろう。
みんなは知らない。
私にしか、聞こえない。
耳に届いた台詞がどうしようもなく心を揺さぶり、早鐘をうつ鼓動に包まれて。
「え、し、シカマル?」
シカマルはすぐに前方に顔を戻し、それきりこちらに向いてくれなくなった。夜空へ注意を向けたまま操縦に集中している。
「シカマル、今、なんて……も、もう一回お願い」
「もう言わねぇ」
「そんな!」
「まあ 同じオレなんだから略奪ってことにはなんねェよな。指輪まで送ってんだし。なぁ、あの指輪、お前が持ってんだろ?」
「う、うん」
「それなら……無くさねェようにちゃんとはめとけよ。奈良シズクさんよ」
恐ろしいことに今も昔も、私のことはあなたにはどこまでも筒抜けらしい。
でもね、私も知ってるの。
後ろから覗き見る シカマルの横顔が、耳が、平常心を装いながらも照れくさそうに真っ赤になっていることを。
素っ気なさげな振りをして、実はとても心を尽くしてくれてることを。
いつもの仏頂面がはにかむ表情が愛しい。いてもたってもいられなくなって、黙りを決め込んだ照れ屋の背中に、私は腕を回した。触れて確かめる。異常なほどはやい心拍数は、背中から頬へと伝わってきた。
永遠に変わらないものはないけど、ずっと変わらないものも、なかにはあるんだね。
神様、いるならお願い。
このまま時間を止めて。
「っおい!まだ任務中、」
「シカマル、大好き!!!」
「わかったから離れろって!」
この世界の大きな矛盾 まるで宇宙の謎を解き明かしたように嬉しくて、私は大きな声で告白した。
「この先もずっとずっと、愛してるよ」
忍具ポーチの中に薄桃色の小さな欠片を、誰かの手によって忍ばされたことに私たちが気付くのは、もう少し後のこと。
愛にはいくつも影がある。
どんないびつな形も、大事なもの。だから何一つなくさない。
この先、何度忘れても、また新しくあなたに会える。
そのときは、さよならじゃない言葉をください。
名前をひとつ添えて。
- 485 / 501 -
▼back | novel top | | ▲next