▼29 迷子

昨日までを全く憶えてなくていい。
そんなことは気にならない。
今は何も思えなくともいい。
明日の事を判っている。

理想とする未来だ。

「どういうことだ?」

浮島に安置されている転生眼に侵入者があったと傀儡から一報があり、来てみればそれは脱獄囚の仕業ではなく、妻となる姫君だった。
ヒナタは白眼を発動し傀儡に掌底を向けている。

トネリは背後から忍び寄り、ヒナタを捕らえた。

「あなたは間違っています!あなたの先祖が滅ぼした大筒木の本家の墓地で、私はハムラの魂から本当の天命を託されました。あなたはハムラの教えを捻じ曲げています!」

妻となる女が自分を全く信じていなかったことをトネリはようやく自覚した。気づくて傷つく。こんな事態はあってはならない。

「裏切ったんだね?ボクを」

気持ちは煌めきと絶望の中間ほど。

「ハムラは地球を、六道仙人の世界を破壊することなど望んでいません!」

「黙れ!嘘だ!ハムラの天命はただ一つ!六道仙人の世界を終わらせることだ」

トネリは生まれて初めて癇癪を起こした。
ヒナタが永遠にトネリの側にいて、天命を支えるはずだった。先祖の説いた天命は、トネリを裏切らないはずだ。

「クソッ!このマフラーもボクのためでなく、アイツのために編んでいたのか!」

美しく紡がれた赤いマフラーを手に取り、トネリはチャクラをありったけ込めて無惨に破り捨てた。
八つ当たりだ。対面する前までヒナタは触れ合うことはできなくても美しかった。今は向き合い手を伸ばせば触れられるのに失望させられる。どんどん遠ざかっていく。それも、彼女の意識には自分じゃなく、あの金髪の男の姿ばかりが映っていたではないか。自分の妻になる女が別の男に気をもっているなんて。
なぜだ?あの星の人間たちの、あの星のあの男の、どこがいいというんだ。
残骸をさんざん足で踏みにじり、トネリはヒナタに近づいた。

「二度とボクを裏切らないようにしてやる!」


*

傀儡のように従順な姿の方が眺めるには美しい。
化石のように動かなくなったヒナタを、トネリは新しいコレクションとして展示した。トネリは肘掛け椅子に腰かけ、妻の標本を満足気に見上げた。
閉ざされた感情の全てを瞼の裏に映し出しているのか、物言わぬヒナタは瞳から涙を流していた。

今にわかる。婚礼の儀を済ませ天命を全うすれば彼女も理解するだろう。
ふと、トネリの懐がキラリと光った。
淡く柔らかなある破片が、袈裟の内側に張り付いていたのだ。

トネリは華奢な指先でそれをつまみ上げた。
受刑者に罰を与えるため、目の前で破壊した“天の羽衣”のかけらだった。羽衣は、かつて大筒木カグヤの纏う衣。ハゴロモとハムラに封印されし折、その薄桃の羽衣はカグヤの身体から滑り落ち、地表に残された。後世に乱用されることを恐れたハムラは羽衣を月へと持ち寄った。
カグヤは不死。
カグヤの衣もまた朽ちることのない永遠のものである。
たとえ子孫のトネリであっても壊すことは出来ない。事実、“天の羽衣”の燃えかすは、トネリの掌の上でほんの少しずつ形を取り戻しつつあった。
いっそのこと。
薄い繊維のかけらをつまみ、トネリは正面に燃える暖炉の火に投げ入れようとするが指が途中で止まった。

数日前までは、シズクからすべての記憶を奪い、空っぽの状態でこの月の監獄へと収容する手筈だった。
しかし傀儡が押収してきた記憶は 手違いにより、シズクのものでなかった。は彼女を庇った忍から引き抜かれたものだった。羽衣に触れてその記憶をのぞきみると、この何者かは幼いころからシズクと行動を共にし、今に至るまで、シズクを見守り続けてきたのだと知る。
彼女の涙を。笑顔を。

生まれてはじめて、自分の部屋に誰かがたずねてきて、ほんの一瞬、何かを思い出しそうな気がしたのだ。
《あの感情に理解ができなかったわけじゃない》
その記憶を盗み見、トネリは計画を変えた。
自分と同じ境遇にあったら――自分と同じように ただの独りになったら。自分をもっとも知る者がいなくなったら、シズクも罪を受け入れるのではないかと。


「人間は一人で生きてはならない」

トネリがこの月の城から呼んでも、あの世界はずっと何も言わずに背を向けていた。
どんなに目を凝らしても見えなくて、その内にトネリは見失ったのだ。

- 476 / 501 -
▼back | novel top | | ▲next


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -