▼25 さらばオルフェウス
三角座りで小さくなり、どこからか飛んできた金色の蝶を目で追うシズクは、傍から見ればどこにでもいるようなただの女だった。
まあ 片眼は例外として。
お前が最初にトネリを取り逃がしたせいで世界が滅亡する?
ンなもん被害妄想だ。
小さなはばたきが全部の関係を揺るがすってのは、あくまで仮定理論のひとつでしかねェ。そんなもん、あとからいくらでも覆せる。
木に凭れたまま姿勢を低くし、オレもしゃがみ込んで月を臨む。
オレたちから見れば偽物だろうと、この地底じゃ本物なんだろうな。あの月は。
里を発つ直前まで読んでた月浦シズクに関する資料には、どれも胡散臭ェ報告ばかりだった。博愛主義。献身的。無自覚。無謀。無責任。死人を口寄せするくのいちって逸話まで書かれていた。この真白の巫女はいままで、そういう言葉を贈られてきたんだろう。
「分かり合う、か…」
敵と戦わないようにしてきたと語ったシズクを見てたら、ふいに昔のことがつい昨日のことみてェ思い出されてきた。
オレらが忍者になった当時のことだ。堪え忍ぶ者として武器を手に戦い、痛みつけられたら同じ分だけ傷付けて報いるのが当たり前だった時代。
それがある日 変わった。
「なあ、覚えてっか?ペインが攻めて来たときのこと…つってもお前がどこに居たかは知らねェが」
「…うん。覚えてるよ。私も……木ノ葉の里にいた」
光る蝶から目を離し、シズクは俯く。
「あの日、里が丸ごと吹き飛んだ瞬間、この世の終わりみてェだなって思った。未来なんて当たり前に来ると思ってたのによ」
「…」
「そうじゃなかった」
そしてあの日、ナルトは今までの道と違う道を歩き始めた。
「あん時、ナルトがペインと話して分かり合わなきゃ、今の里はなかったよな。オレたちみんな死んでたかもしれねーし、今ごろ忍界も破綻してたかもしれねェ」
「…うん」
「ナルトのやり方見てよ、これまでのオレたちの戦い方じゃまるで駄目だって考えさせられたぜ。ほんと、アイツにゃ驚かされる」
「そうだったね…あのときも。ううん、ナルトはずっと、今までの忍者なんて変えてやるって言ってたっけなぁ」
変えてやる、か。すげェ大口叩いたもんだ。
内心羨ましいぜ。上忍になっても大人になっても、オレには難しいもんが思ったよりたくさんある。
カッコイイ大人にはまだ程遠い。
「終戦後に五大国間で戦争は起きなかったのは、本当の意味で一つになったからだろ。それこそ、皆が力の勝ち負けじゃねェ解決を望んだ結果だ」
知らなかった。否。忘れちまってたんだろうな。
お前もだったのか。
「簡単じゃねーし、無茶でも無謀かもしれねーけどよ……お前のやり方は間違っちゃいねェよ」
勢いよくあげられたシズクの顔。
「ありがとう」
見開かれたオッドアイにうっすら透明な膜が張ったように見えた。
そのときだった。
「来た」
と、シズクが立ち上がった。
オレもすぐに腰を上げた。そして、背を向けたシズクの手首を、咄嗟に掴んでた。
「…!」
振り向き様に長い髪が靡き、シズクの驚いたような顔が目に入る。
何してんだオレ。これじゃまるで、行くなって言ってるようなもんじゃねェか。
判らねェ。だが体が勝手に動くんだよ。
昔のオレが何故お前を好きになったのか、疑いだしたら止まらねェ。性格も全然合わねー気がするしよ。
だが思考が追い付く間もなく、今のお前がオレを変えてく。この半分欠けちまってるみてェな喪失感、中心の空席を塗り替えてく。
シズクは黙ったまま、強い力でオレの手を振り払った。背からはチャクラで出来た一翼の羽が突き出し、こっちが影真似をかける暇もなく飛び立っていった。
「シズク!」
名を呼んでもあいつは一度たりとも振り返らなかった。
いつだったか、昔、本で呼んだことがある。
とてもとても愛し合っていた夫婦の話。
ある日、死が二人の袂を別った。そこで夫は、死の世界に迎え入れられた愛する妻を取り戻すために、黄泉の国へと足を踏み入れた。彼は竪琴を奏でた。
うつくしい旋律に皆が涙を流して聴き入り、とうとう黄泉の帝王と帝王の妻が姿を現した。
そして彼は懇願した。
黄泉の帝王よ、どうか我が妻をお返しください。
嗚呼なんと哀切たる音色、と、感激した帝王は男の願いを叶えることにした。
オルフェウスよ、お前の妻の命を返してやろう。ただし二人が地上へ帰りつくまでは、けっして彼女を振り向いてはならない。
黄泉の帝王はそう約束をして、男の望みを叶えた。
暗い小道を通り、目の前に光が見えた。
いよいよ地上へ着こうかというとき、男は不安に駆られた。
妻はたしかに後ろをついて来ているのだろうか。
一目でもいいから、妻の美しい顔を見たい。
夫は堪えかねて、ついに振り返ってしまった。
彼の妻はたちまち黄泉の国へ吸い込まれるように消えていってしまった。
それが永遠の別れとなった。
夜を赤く染めた火柱は、瞬く間に立ち昇るキノコ雲によって覆い隠されていく。直径は里一つなんて幅じゃない。ナルトの体から抜け出た力は地中を広く深く抉り、開いた風穴に漆黒の闇をもたらした。艶のない平坦な黒に、光る青い星が見える。
「ま、まさか…地球?」
サイは唖然とし、大穴からのぞくその惑星を見下ろしていた。
「ナルト!!」
鳥の軌道を素早く切り替えたサクラが意識のないナルトを受け止めた。
その間宙に浮かぶ円台は刻一刻と上昇を続け、人工太陽を背景に遠退きつつあった。
トネリはヒナタの体を支えている。二人分の影にもう一つシルエットが照らし出された。
背中に羽を生やした女がゆっくりと円台に降り立っていた。
「シカマル!ナルトは重体よ!!早く地上に降りて処置しないと手遅れになる!!」
繊維の焦げる匂い。
サクラの声がする。
月に消えゆくシルエット。
「くそ…ッ!」
墨の鳥を操縦し、オレは途中まで追った軌跡を引き返した。
- 472 / 501 -
▼back | novel top | | ▲next