▼23 たったひとりの人だから
暗闇に光がさす。
ぼんやりと歪んでいた物にやがてピントが合わさると、それが自分の手であることがわかった。掌を返して、手の甲から爪へと慣れない視線を動かす。
明るい。
「見える……本当に見える!」
配下の傀儡の襟首を掴み、トネリは乱暴に眼に近づけた。
「モノを見るとはこういうことなのか!」
空。
火。
傀儡たち。
生まれると同時に眼球を取りあげられていた。それは、大筒木一族の宿命だった。眼を失いそれからは、チャクラを集めた心の“目”で周囲を見渡した。状況を感じるのだ。素早く的確に。行動に支障はなかった。それでも瞳で世界を見ることとは全く意味が違う。
はじめて眼で見る世界は美しかった。
「父上にも……見せてあげたかったな……」
「ほら、あの娘だよ」
トネリは幼い時分、父親と二人で暮らしていた。傀儡はたくさん、いつでもそばにいる。忠実なる仲間たち。しかし傀儡は生きてはいない。
人間の友だちが欲しかった。
「日向ヒナタというんだ。集中してよく感じてごらん」
眼球を持たない親子は、陥没した瞼の上、額にチャクラを集める。庭先で遊ぶひとりの少女がたちまち脳裏に描き出された。
「うん、とても可愛い子だね」
真っ白の肌、艶のある黒髪。優しげな瞳。
「十年たったら迎えに来よう。お前の花嫁にするんだ」
あのとき笑ってくれた父はもう旅立ってしまった。
父と約束をした。一族との約束がある。
「キミが見たい。ヒナタ。キミの美しい顔をこの目で見たい」
たったひとりの人への道が、やっと繋がった。
*
皆が寝静まる深夜。ヒナタの部屋へ向かおうとしたシズクは、石畳の廊下でナルトと鉢合わせた。
「警備おつかれ」
「……おう」
ナルトの声に抑揚はなく、悩ましげな表情をしている。
シズクは友人の顔と、ランタンの灯りが漏れる奥の部屋とを交互に見比べた。
「辛気臭いカオしてどうしたの?」
「ヒナタが……ひとりにして欲しいって言うからよ」
ナルトは呟くようにそう言い、シズクの脇をすり抜けて階段を降りていった。頼もしくなった背中に寂しさや、哀愁すら漂わせていた。
隣にいて嬉しくて、遠ざけられて胸が締め付けられるなら、ナルト。その痛みは自分には取り除けない。
シズクは階段を進んだ。
覗いた室内にも 同じく思い詰めた横顔がひとつ。握られた赤い毛糸と編み針、手は止まっている。
「ヒナタ、入るよ」
シズクが声をかけると、ヒナタの顔がパッと彼女に向けられる。困った表情ではあるがゆっくりと頷かれ、ナルトのように拒まれなかったシズクはヒナタの横に腰を下ろした。
「今日見た泡の球ってさ、昨日と同じ構造のものだよね」
「うん……そうみたい」
「あれに触って私たちの記憶が球に宿り、幻術にかかった」
ヒナタは語りかけてくるシズクを見ることが出来ず、自分の掌を合わせて眺めている。
「あの球体には記憶を宿す力がある。ねえ、ヒナタはさ、地下で何を見たの」
「……」
「私はトネリの話を一緒に聞いちゃってるんだよ。もう共犯でしょ!そんなつらそうな顔しないで。全部吐いちゃいなよ」
眉を寄せていたヒナタに対し、シズクは僅かに微笑んで腕を伸ばし、彼女の肩に回した。
「私へ語りかけてきたの」
ヒナタはようやく口を開いた。
「あのお爺さんが言ったの……“我々はハムラの子孫―――”」
「“我々はハムラの子孫、大筒木一族本家の者です。ハムラの天命を歪めて解釈する分家の者たちによって滅ぼされました」
地平線を覆うまでの大勢の兵士が三日月と太陽の軍旗が掲げる。十字手裏剣二枚重ねの意匠。けたたましい群衆のこえ。陣地の中央に聳える巨大な球体の兵器、眼球。次の瞬間、球は強烈な光を発した。目映いでは済まない。何も見えなくなった。
世界に色が戻ったとき、地には夥しい数の人間が折り重なるように死体の山を作っていた。“眼”が向けられた先に立っているものは誰一人としていなかった。
「分家の末裔であるトネリは、ハムラの転生眼の力を悪用し、月を地球に落とそうとしています。ハムラの転生眼を破壊せねばなりません。そして、それができるのは白眼の姫…貴女しかいないのです」
ヒナタを前に跪く兵士たち。その奥から、長身の老人が歩いてきた。かがやく長い髪からは角が伸びている。
「我が名は大筒木ハムラ。白眼の姫よ…兄者が創った世界を終わらせてはならん!」
「シズクちゃん、お願いします。もう少しだけ秘密にしておいて…」
全てを話して聞かせた後、ヒナタはシズクに向き直り、深く深く頭を下げる。
「もう少しなの……」
ヒナタの腕に抱かれたマフラー。まだ編み途中だったが、もうすぐ目標まで届く。せめてこの想いを形にするまでは、とヒナタは切実に願った。
キラリと揺れる長い黒髪を眺めて、奥に隠れたヒナタの表情を考えながら、シズクは真意をヒナタの探ろうとしていた。
拐われた妹は眼を奪われ、どこにいるか分からない。
敵は彼女を妻に迎えると虚言を言う。
祖先は白眼を持つ彼女に転生眼の破壊を託した。
彼女のたったひとりの人は、手を伸ばせばもう必ず届く距離にいて、このまま地球最後の日を迎えれば命を落とす。
ヒナタは絶対にナルトに打ち明けない。
きっと皆にも。
たぶん、今こうしているシズクすら欺いて一人で背負う気でいる。
仲間を疑うなんて浅ましいと感じながらもシズクには確信があった。もし自分がヒナタの立場だったらそうするから。
唇を噛み締めて、シズクは頷いた。
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