▼20 いつの世までも末永く

何もない世界のただなかで、女が泣いていた。
地に跪いた女がさめざめと涙を流し両手で頬を覆う動作を、シカマルは真っ正面から見下ろしていた。
音はない。色もない。
シカマルの存在など構わず体を震わせている。
シカマルがしゃがみ込んでも、意に介さない。
苛立ちを覚えてシカマルは彼女の両手を強引に剥がした。

そのまま、涙に濡れた月浦シズクの唇にキスをした。




――――――そこで目が覚めたのは幸運としか言い様がないと、冴えた頭でシカマルは考えていた。
盛りのついたガキじゃあるまいし、任務中に隊員相手にやましい夢を見かけたなんて自分自身心外だった。
溜め息のひとつでもつこうかとしたとき、シカマルの耳にはある会話が流れてくる。


「……いからうまく言えないけど、好きってさ、色んな形があるよね」

ナルトとシズクだ。
こんな時間に何故ナルトまで起きて、二人だけで何の話に花を咲かせているというのか。

「無意識に、ってことがあると私は思うんだ。それまで気づかなかった感情に何かのきっかけで自覚するとか」

「無意識……かァ」

恋愛沙汰の相談話か。物言いからしてシズクには男がいるとシカマルは確信する。

「あの授業で、オレってば拗ねてたんだ。父ちゃんと母ちゃんも知らねェし、最後まで誰の名前も書けなかった。でも夢ん中で……ヒナタがオレの名前を書いてくれんの見て、すっげー嬉しかったんだ。ココがあったかくてよ」


「大事なのは今誰に一緒にいて欲しいっていうナルトの気持ちでしょ。まぎれもなく本物の気持ちだよ。素直に大切にしたら?」

ナルトとシズクは男女の仲を越えて頼り合える仲なのかもしれない。“真白の巫女”だかいう仰々しい通り名に反して、よっぽど自然体に思える。

耳に響くふたりぶんの笑い声。
シズクが自分とあんな風に笑ったことはあったのだろうか。
少なくとも今日一日は、彼女は気遣いで微笑んではいても砕けて笑ったりしなかった。
自分だけが知らない。


「なぁ、シズクはあんとき誰の名前書いたんだ?」

ナルトの質しに目を見張る。あの教室にいなかったはずの月浦シズクが、誰の名前を書いていたか、そう質問したのだ。

「私は―――」

シカマルは体を僅かに動かし、目を瞑って寝返りを打った。出来るだけただしく呼吸を努める。

わずかな間があった。

「で、誰だってばよ!」

「うるさい!ナルト、私は警備に集中しなきゃなんないの!これでおしまい」

シカマルが狸寝入りで聞き耳を立てていることに二人は気がついてない。自分の行動に半ば呆れながらも安堵した。ナルトが席を立ってそこで話は打ち切られた。


*


ひとつ。月浦シズクはあの授業に出席している。
ふたつ。シカマルがみた記憶には彼女がいなかった。
みっつ。記憶の中で、シカマルの右は空席だった。

条件を仮定に導き出された答えは、あの空席がシズクのもので、自分がシズクに気があった、ということだった。
それだけなら別にどうってことはない。クラスメイトに好意を寄せるアカデミー時代なんて、微笑ましい話だ。
で、済まされないのはその後。

幻術を期に想起した数々の記憶にも、同じような空席が目立つのだ。一人将棋のはずの盤面で、やたら下手な向かいの指し方や、客で混みあう飲食店にわざわざ二人席に座るお一人様の自分。
果てには、どこで購入したか借りたかも判らない物品が手元にある。
敵の宝具によってある個人についての記憶がなくなっただけでどうしてこんなに穴だらけになっているのだろうか。


警備係として一人起きているタイミングを見計らい、シカマルは“知らない”物に眠る証拠を探し始めた。任務の荷物の中で唯一、腰に装着する救急医療ポーチだけがどこで手に入れたのか判然としないのだ。
絆創膏、包帯、ガーゼ、テープ、薬各種エトセトラ。ポーチ自体にも支給品を細かに改良している。使い古したそれを取り替えずに活用している理由は利便性だろうかと考え、指先に触れたもので止まった。

お守りだった。

僅かな望みにかけた今を象徴するように。淡い緑の生地に、一目で手縫いだと分かる下手な形で深緑のマークが二種類縫われている。サイコロの“四”と“五”の文字にもみえる。

「……?」

まるで暗号。中身を調べようとお守りの口の糸を摘まもうとする。しかしシカマルの指は止まり、視線は指先のさらに先へ。

「どうかしたんですか?」

サイが起き出し、こちらを凝視していた。交替の時間だった。

「別に何もねェよ」

けれど、見られてしまったなら仕方がない。

「……なぁサイ、この模様、何だかわかるか?」

芸術に理解のあるサイなら或いは。シカマルの直感は期待を裏切らなかった。サイはシカマルの手に握られたお守りの刺繍を見るなり、なんてことないように即答した。

「五つの絣と四つの絣を配した柄だね。これ、絣の繋ぎ模様だよ」

「カスリ模様?」

「川の国のものだよ。たしか……女性が愛を示す証として婚約した男性に贈るんだ。“いつ”の“よ”までも末永くって意味で」


*

外気の温度変化に反応して目を覚ますと、既に起床していたらしいシズクが新しい薪に火をおこしている最中だった。

「あ、シカマル。おはよう」

振り返ってシカマルを見るなり、心配そうに眉を寄せる。

「顔色悪いよ。あんまり寝付けなかった?」

「……いや……ちょい寒ィだけだ」

彼女の反応は今のシカマルの心臓に悪く、次なる杞憂を運んでくる。
移動中にその顔が物憂げに切なげにこちらに向けられていたことには、女心に疎いシカマルでも流石に気付いていた。目に毒だった。忘れられた人間としての仕草だと丸めこもうとした。
しかしシズクが昨夜の夢にまで出演を果たしたのはれっきとした理由があったのだ。

演技と知ってしまった、シズクが何とも思ってない素振りで笑うのも。

彼女の地球最後の日に、一緒にいたい相手が自分だったらどうすればいいかと懸念して、シカマルは野暮な芝居を打ってまで二人の会話を中断させたというのに。
答えを持っていたのは自分だった。
今いっそのこと、五つと四つの意味について、記憶がまた盗まれても構わないとさえ思えるほどだった。

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