▼14 アムリタ

索敵陣形を保って、小隊は暗い洞窟に潜入した。
敵の気配どころか生き物の影すら見当たらず、不気味なほどに静まり返っている。奥へと進むにつれて道が開け、巨大な鍾乳洞が姿を現した。
人の手が触れていない荘厳さを保ってはいるけれど、天井の岩盤には不自然にも、巨大な忍文字が刻まれている。

「あの文字は“あうん”の“あ”だね」

「“ここがはじまり”って意味かもな」

鍾乳洞の下には美しい泉が広がっていた。透明な水であるもかかわらず底が見えない。
嘘偽りなく 泉自体が光をたたえているその光景は、あまりに幻想的で、水面の波打ちは何か囁くように《私を呼んでいる》。

「どうしたの?シズク?」

サクラの声に、はっと我に返る。

「なんかぼーっとしちゃった」

「しっかりしてよね!」

白眼では、視野が歪んで見通せないらしい。

「おいシカマル、まさかこの泉に潜るのか?」

「ああ そうだ」

「ぬ、濡れるってばよ?」

「そうだな」

「そうだなじゃねェ!」

「あれ?ナルトってカナヅチだったっけ」

「違ェけど!」

ナルトはいやに不安げで、身につけていたマフラーをリュックの奥に詰め込んだ。

「マフラーが濡れるぐらいなによ!らしくないわね」

「大事なもんなんだってばよ」

ブルーのストライプが入った、大人用にしてはちょっと短いマフラーを ナルトは任務開始からずっと肌身離さずつけていた。ここまで物に気を配るのも珍しい。これが常なら、一番乗りで泉に飛び込んで、“しまった!濡れちまったってばよ”とか慌てるところなのに。

「マフラーを外す必要はないみたいだよ。この水、触っても濡れない」

掬われた水は ぴちょんとも音を立てずにゆっくりと、色白な手から滑り落ちていく。ますます不可解だ。
敵の通路で、ハナビちゃんやヒナタが通る想定なら、トラップがあったとしても致命的なものではなさそうかな。
唯一の糸口に向かって、私たちは思い切って体を投げ出した。


泉の表層から潜ると、いつしか水面は 遥か頭上へ遠ざかっていた。自然と落下していくのだ。体感温度も上下左右すら定かじゃない。
油断した。これはトラップだ―――
このまま何処へやら。どこかへ、もしくは誰かへと伸ばした腕は、何も掴まずにただ距離をひらいて墜ちていった。

やっとのことでこじ開けた瞳の、その先に広がっていたのは、澄んだ空。美しい青。きし、と足元で古い木の軋んだ。この感触は、奈良家の屋根のものだ。
懐かしい風景が待っていた。
こども部屋の窓から出てすぐの特等席には、そして小さな二つの影
――幻術か。

「わたし、アカデミーに入ることにしたの!」

すぐに幻術返しを、とチャクラを練ろうとした指が響く声にひきとめられた。録音された自分の声を聞いているみたいに。

「忍にゃなんねーって前にいってなかったか?」

質す小さなシカマルはまだあどけない。そうだ。医療忍者になりたい誰にも負けない位強くなりたいと、このときはじめてシカマルに宣言したんだ。

「つよくならないとだめなの。だってもう、守ってくれる由楽さんは……」

せき止められた感情が決壊したように、拭いきれない涙が私の頬を濡らしていく。

「ごめ……、もう、泣かな、いから……っく、」

「いーから、思いっきり泣けって」

本当に幻術?
でもこれは、私の記憶。たしかにあった過去だ。
途絶えた言葉の代わりに、次からつぎへと流れる大粒の雫。頬を伝い足元へ染みる瞬間に、そこから真赤に色づき、瞬く間に周囲が染め上げられていく。見渡す限りの彼岸花畑。
花の匂いにむせるような雨上がり。
私はシカマルの服を握りしめて泣いていた。
彼岸花が一本の赤いラインに変わり、空に満点の星。

「なんで迎えにくるかって、んな当たり前のことわざわざ言わせんな!!お前が好きだからに決まってんだろーが!!!」

「ここに、いたい……、みんなと一緒にい、たい!!わたし…わたしは……」

「お前がもう歩けねーってーなら、オレがお前を背負ってやる」

月を映す橋の上だ。また切り替わった。走馬灯ってこういうものなのだろうか。
私、いつもシカマルに甘えて泣きついていたんだ。春夏秋冬を繰り返しながら。

窓際からは陽向が差し込む。書類の山に埋もれるようにして小さな寝息をたてる私は、近づく足音にも気付かない。土煙で頬を汚したシカマルが、すぐそば歩み寄った。すこし躊躇して、それから私の髪に指を絡ませ、頭を撫でる。優しく、いとおしそうに。
待たせて悪かったな。呟きとその動作にどきどきした。やがて目を覚ました私はシカマルの首に腕を回した。

教えて、あのころ。あのあたたかさ。どんなに心配したことか。あなたの帰りをずっと待ってたんだよ。

「心配すんな、お前には手間は……」

「私もやるよ。いままでシカマルは私の苦しみを半分引き受けてきてくれた。私もシカマルのしょいこむもの、半分持ちたい」

ぼろぼろのシカマルの手に自分の手を重ねる。かつてちいさかった掌はお互いを包む大きさを得て。

「大丈夫。私は最後までシカマルのそばにいる」

微笑む私の体から徐々に色素が抜け落ち、かわりに白く淡く光を放つ。ちりりと火の粉の波打つ両手。あの戦いの夜、シカマルは遅いと悪態をついたね。

『シカマル、待たせてごめんね』

螢火、炎の依り代。人ではなくなっても、望んでくれた。あなたへの気持ちは色褪せない。

「シカマル……わたし……生きてていいの……?」

「めんどくせー事聞くなよ。答えが見つかんねェならオレのために生きりゃいいだろ」

空からプラチナの光。
雨が降る。
抱き締め会う二人と私を隔てなく降らす。いっそこのまま眠ってられたらいいのに。 ふざけあった時間、ケンカ、涙、笑顔。私たちはオルゴールのように繰り返していた。



「ばかね。泣くぐらいなら嘘なんてつかなきゃいいのに」

気が付けば私の隣には、サクラが立っていた。

「こんなことだろうと思ったわ。心配して来てみたのに、何よこれ。まるで純愛映画じゃない」

「サクラ、覗き見といてそれは流石に……」

「幻術返し出来るくせにいつまでも起きてこないアンタが悪いのよ!」

要するに、幻術にも精通しているサクラが真っ先に覚醒して、みんなを起こして回ってるのだろう。


「シカマルは……どんな夢を見てたんだろうなぁ」

「…」

サクラの沈黙が意味するのは、シカマルの夢に私はいないという事実だ。
今のシカマルにただひとつ足りない、私との思い出。
私の中に、愛された記憶があるだけ。
出会った当初から今まで、私はずいぶん変わった。そして遠く離れていた二年間を以てしても、私のシカマルへの気持ちは変わらなかった。彼のことがやっぱり好きなままだった。
好きな人とずっと、いっしょにいたい。
それなのに。

シカマル、オレのために生きりゃいいって 言ってくれたくせに。

「史上最悪の任務を任された隊長のために、私は何の力になれるのかな」

「力む必要ないわよ」

自分のことは棚にあげて、サクラは意外にも、そんなことを言う。

「シズクがシカマルを好きになった理由はIQ200のココだけじゃなくて、ここでしょ」

額をトントンと軽く打つ華奢な指先は、そっと左胸に添えられた。

「同じように返してあげればいいのよ」

愛するってどういうこと?
あの人に、私は何をしてあげられるんだろう。

シカマルがはにかむ度、私はどこまでも走っていけるような、そんな気がしたんだよ。

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