▼10 天の羽衣

丑三つ時を指す置時計の上をまたしても隕石が横切る。幸い比較的小さいそれが里から遠ざかるのを見届け、サクラはすぐに室内へ体を戻した。

他方、火影邸に緊急召集された“忍具のエキスパート”―――もといテンテンは、外の様子には目もくれずに、巻物を取り出してチャクラを練った。
ポンと音を立てて現れたのもまた巻物。しかし口寄せされた方の巻物は茶ばんでおり、シュルシュルと広げられる度に古びた紙の香りが部屋に広がった。

「この巻物は終戦後 六道仙人の宝具を譲り受けたときに一緒に貰ったのよ。いにしえに伝わる伝説の宝具について記述されてるんだって」

説明しながらも、テンテンの指先は歪な古の忍文字を見逃さないように丁寧になぞっていた。
サクラはテンテンの横顔から、奥に佇むシズクへ視線をスライドさせた。
手負いのコウとサイを連れ火影と合流した先の病院で、期せずして遭遇した旧友。来週の帰還予定日に合わせて、サクラはナルトたちと共に祝いのパーティーまで企画していた。再会したシズクには喜びの笑顔とで溢れていたはずたった。

好きな人の中から、自分の記憶がすべて消え去ってしまったら。シズクにとってその事実がどれ程の衝撃で、どれだけ深い傷が心に刻まれたのか、静かな彼女の表情から読み取れずサクラは気が気でなかった。


「あった」

テンテンの人差し指はある一点を示していた。

「“天の羽衣は纏わせし者より思うままに記憶と感情を奪う宝具なり”……現段階では、敵が持ってたってのは、この“天の羽衣”でまず間違いないと思う」

「“天の羽衣”?」

「この伝書によれば、“天の羽衣”は大筒木カグヤの持ち物で、まだ発見されてない幻の宝具みたい。昔話のかぐや姫に出てくる羽衣はこれがルーツね。ほら、あの物語ってさ、迎えに来た月の使者に羽衣を着せられたかぐや姫から人を思う心が消えちゃったってオチだったでしょ」

「……かぐや姫の物語ってやっぱり、あのカグヤから来てたんだ」

サクラもまた、大筒木カグヤという名に眉を寄せる一人。第四次忍界大戦であのうちはマダラをよりしろに復活した、忍世界の元凶は完全に封印されたのだ。

「カグヤの脅威にはもう振り回されることはないと思ってたのに……」



「記憶と感情を奪う宝具なら、シカマル自身の記憶が忘却を免れた理由は?」と、静観していたカカシが質す。

「そこは私の推測ですけど、敵はシズクの記憶を狙って“天の羽衣”を放ったのでは?それで、庇ったシカマルから本来のターゲットにまつわる記憶だけが抜き取られるように強奪されたとか」

自分の名前が幾度となく繰り返されるのを、シズクはどこか遠くの出来事のように感じていた。


「来てもらおう 帰るべき場所へ」


敵に対しシズクは受け身の姿勢を取った。トネリだけではない。この二年、シズクはいつもそうしてきたのだ。


『もう私のように苦しむ人がでないように、この戦いの連鎖をあなたが終わらせて』


その約束を果たすためには、血で血を洗う方法と決別し、シズク自身が戦いを捨てなければならなかった。対峙した相手の真意を聞き出し、和解を望み説得に応じる。これが最近のシズクの向き合い方だった。
出来る限り反撃の刃は向けない。時には傷だらけになり、時には文無しになった。それでも、力ではない解決が彼女の理想だった。そんな忍らしくない行動に、いつしか“真白の巫女”という呼び名が触れ回るようになったのだ。


「お前だけツケを被るんじゃないんだ。無自覚ってのは時に自覚があるより罪だぜ」


なにが巫女だ。シズクは自分に心底嫌気がさした。よかれと思い敵を見過ごした過信がシカマルを奇襲に遭わせ、ヒナタの身を危険に晒し、ハナビを手中に落とし込んだのだ。コテツの言う通り、現にこうして仲間たちに被害を与えている。

「シズクが落ち込むのもムリないけど」

テンテンは自戒に沈むシズクの肩に両手を置いた。

「奪われた記憶は“天の羽衣”に蓄積されて消えずに残されてる。宝具を取り返せば元に戻せる道はあるって!」

かつて第三班の潤滑油としてリーとネジを取り持っていた彼女は、年長の姉御として半ば喝を入れるように後押しした。


* * *


カカシは音もなく席を立ち、窓から眼下を臨む。朝には戒厳令が発令され里の者たちはこの故郷を離れて地下シェルターへ避難することになる。美しい景観は隕石によって藻屑となることだろう。

世界の終わりまで残り一週間。
里の長としてカカシがとるべき選択は。


「夜が明けたらハナビ奪還任務へ特別編成班を出動させる。隊長は……シカマルに任命する」

シズクの両目は、カカシのベストに刻まれた“六”と“火”の文字の輪郭を辿っていた。

「この天変地異とハナビ、そしてお前を襲った謎の忍とは関係がある。それならなおのこと必ず任務を遂行できる忍に隊を任せたい。任務を成功に導き、かつ隊員全員を帰還させることのできる奴にね」

明星は近いが寒空の季節ではまだ明るさはない。この時間がいっとう冷え込む。一週間後の夜明けはこのままではやってこない。

「六代目様」

大切なものに懸けて意地を見せる時が来た。
しゃらん。鈴がなるように白い羽織の裾は揺れ、シズクが窓辺に並び立つ。

「私も向かいます。世界を救う任務をシカマルが背負うなら、支えたい」


輪廻眼の斥力を持ってすれば大小様々な隕石を里より遠方の彼方へ弾き飛ばせる。シズクが任務に同行することは里民の保護を考えると賢明な判断ではないのだが、交錯したシズクの瞳からは、常の聡明さが戻っていた。

「ごめんなさい。私はいつも火影様の気遣いと反対のことばっかりで」

シズクはカカシの手を取ると、跪き、その手にはめられた手甲の上に口づけを落とした。
暗示された意味は唇に寄せられる想いと異なることを、カカシもよく理解していた。


* * *


冷たい風を受け、三日月の下を飛ぶ鷲獣。行きよりも背に乗せた忍衆が少ないために帰路に加速がかかっている。トネリは――尤もその身体も傀儡であるが――道のりが安定したのを見計らい、背後に乗せた捕虜へと振り返った。
見えはしないが、トネリには天上から見えている。
大柄の手下によって拘束された月浦シズクの目は虚ろに薄く開かれている。意識は奪っていたが、覚醒が早かったようだ。
トネリは袈裟の裾を揺らしながら懐から“天の羽衣”を取り出す。光に満ちた宝具を両手で広げると、風を含んで靡くそれをシズクの頭から背へと着せかけた。
儀式のように。

ボン!

刹那、シズクの影分身体は煙に消えて、数秒するとあとには何も残っていなかった。

「図ったか」

影分身体が見たその光景は、トネリより遥か離れた木ノ葉隠れの里に留まるシズクの記憶へと蓄積された。

- 457 / 501 -
▼back | novel top | | ▲next


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -