▼09 冷たい指輪

新築して数年が経つ木ノ葉病院に、リノリウムの匂いは影をひそめている。
つんと鼻をつく消毒液の匂いに、シズクは懐かしささえ覚えていた。

「シズク、シカマルなら大丈夫だよ」

待ち合い席に座るチョウジの、魔法のような言葉。ひげをたくわえたせいもあるけど、チョウジ君、なんか大人になったね アスマ先生に似てきたね そう再会の喜びを口にする余裕が、残念ながら今のシズクにはなかった。
頷いて、先程シカマルに振り払われた腕のあたりを、ぼんやり見つめる。先程のシカマルの、まるで拒絶するかのような反応を思い返しながら。

直後はシカマルもシズクもお互い何が起きているのか飲み込めていなかった。シズクが懐から木ノ葉隠れの額宛てを取り出しても、シカマルの警戒は解けなかったのだ。
第三者がいなければ事態は悪くなる一方だったろう 狼煙に気付いたコテツといの、チョウジが駆け付けてようやく、あるひとつの仮定が生まれて。いのの計らいにより、シカマルはそのまま真っ直ぐに木ノ葉病院の特別診察室へ連れられていったのだった。

シカマルは正常で冷静そのものだった。
ある一部分を除外しては。


真夜中を過ぎた頃、馴染みの顔がまた現れた。

「シズク!!」

「ナルト……」

「久しぶりだな!元気にしてたか?」

夜の薄暗い病院の廊下を、ぽっと照らすような明るい髪の色。
シズクの傍らに静かに寄り添っていたチョウジとは反対に、ナルトはシズクの肩をばしばしと叩いて嬉しそうに笑っていた。ナルトにとっては非常時でも親友との再会にかわりないのだ。
お日様のような笑顔を向けるナルトの背後には、不安気な様子のヒナタが佇み、二人のあとからは 五影会談から急ぎ帰還した六代目火影もやってきた。


「ナルト、水を差すようだけど話は後だよ」

カカシがナルトをやんわりとたしなめ、シズクに向かい合った。

「コテツから報告を聞いたよ。とりあえず二人とも怪我がなくて良かった」

「でもシカマルが……」

カカシの両眼にシズクが映し出される。穏やかな眼差しに安堵してか、胸におさめている不安が思わず口に出てしまいそうになるのを シズクはぐっと堪えた。
そのうちに扉は開かれる。

「ハア……疲れた〜」

「いの!」

「アイツの記憶力ほんとハンパないわね。時間かかっちゃったわ」

いのはぐーっと背伸びをするなり、チョウジの隣にボフンと音を立てて腰を沈めた。

「シカマルは?」

「まだ眠ってる。頭の中を探られる方も結構エネルギー消費するのよ。このまま朝まで休ませた方がいいわ」

山中一族の秘伝忍術は、チャクラを用いて人間の記憶の在処である海馬、さらには大脳皮質へと侵入することができる。

背凭れに預けた体を引き起こし、いのは今日再会したばかりの親友へ憚りながら、六代目火影に報告する。

「シカマルの神経回路に異常はありませんでした。ただ、一部の記憶障害があります。今のシカマルには……シズクの記憶がありません」


* * *


シカマルの中から自分に関する記憶だけがなくなっている。
それを聞いたシズクは黙ったきり何も言葉を発しなかった。
記憶の喪失は外傷による健忘だけでなく心的な原因も存在する。ただし経緯を聞いた限りでは今回の奇襲はそのどちらの要因も可能性としては低い。

「記憶がねェってどういうことだってばよ?忘れてるって、しかもなんでシズクのことだけ?」

「私が術で見たシカマルの記憶の中に、幼少から今に至るまでのシズクがどこにもいなかったのよ。消しゴムでキレイに消したみたいにね」

「けどそれってさ シズクと一緒にすごした記憶はどうなんの?シズクと一緒にご飯を食べた出来事とか、プレゼントもらったりしたこととか」

「シズクと二人で過ごしたり話をした記憶はシカマル一人だけの記憶になってた。贈り物は気付いたら持ってたもので、その入手経路は“空白”……みたいなって扱いになってるみたい」

シズクは病院の冷たい壁に頭を寄せて、昨日へと移り変わった一連の出来事を想起していた。
トネリという忍。自由に動く傀儡。発煙筒。吸収した泡玉。伸びる影。
そして。

「あのとき……トネリって忍は、ベールみたいな布を持ってた。それがシカマルに覆い被さって」

「そのベール、さっきシカマルの記憶にも出てきてたわ。薄いピンク色をしてて、長くて宙に浮いてるみたいな」

「そしたら急にシカマルの意識がなくなったの。目を覚ましたらそのときにはもう……」

「忘れてたってわけね」

ヒナタの手にしていたぼろぼろのマフラーを借り、肩へストールのように掛けながら いのが状況を代弁し始める。それを見ていたヒナタは、ぽつりと小さく呟いた。

「それってまるで、かぐや姫に出てくる羽衣みたい……」


「カグヤ……!」

反応は三者三様だった。
いのとチョウジはぽかんと瞬きし、ナルトとシズクは複雑な表情に変わる。その中でカカシは一人、なくしていたパズルのピースが見つかったように微かに頷いていた。


「成る程ね。となるとそのベールってのは普通の代物じゃないな。忍具だ」

「あれが忍具?」

「エキスパートを呼んで調べる必要があるな」




悪い予兆は連鎖し、役者は次々に幕から登場する。

「カカシ先生!」

一同が診察室を出てすぐの廊下で話しているところに、三人分の足音が聞こえてきた。姿を現したのは、サクラとサイ、そして日向一族の忍。


「火影様、大変なことが……ってあれ、シズク!?」

「……久しぶり、サクラ」

「帰りは来週じゃなかったの!?」

「サクラ、今はまず報告が先だ」

「ああ……ヒナタ様もおられましたか。よくぞご無事で」

「コウ、あなた怪我を……一体何が?」

ヒナタが日向の忍に駆け寄り、体の負傷を気遣った。日向コウは爛れた肩を庇うも、絞りだすような声で事態を宗家嫡子に伝えた。
痛恨の念に歪められた口元からまたひとつ、今夜の悲劇が語られることとなる。

「ハナビ様が先程何者かに拐われました」

「え!?」

「我々見張りがついていながら……面目ありません!!」

拐われた日向の後継者。
流れ落ちる隕石。
消えた記憶。
原因はどれもわからぬまま。

シズクの指におさまる細い輪は、ただ冷たく光るだけ。
この数年平和に包まれていた木ノ葉隠れは 再度混乱の渦中に飲まれた。

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