▼第四話
すっかり夏ですね。
こちらの雨も季節柄か湿度がいつもより高くて大変です。
お祝いのお手紙ありがとう。
無事18歳を迎えました。
なんか照れくさいな。
プレゼント、とてもうれしかったです。
大人っぽいきれいな簪だね。つけるのが勿体ないくらい。
予想はついてるだろうけど、案の定ひとりでうまく結えなくて友達に教えてもらいました。
呆れないでね。
目下練習中です。
ほんとにありがとう。大切にする。
みんなからのプレゼントも一括で届いたの。
包みがやたらデカイと思ったらね、先生なんかイチャイチャシリーズをまるごと全巻送りつけてきたんだよ。
“お前も解禁できる年になったんだから勉強しといてね”って不倫の回にご丁寧に付箋紙までつけてあって。正直ドン引きでした。
ねえ、まさか先生ったら執務室でいかがわしい本とか読んでないよね?
ちょっと心配。
そこまで目を通すと読み手は途中で目を止め、ふふ、とちいさく笑った。
「げ」
戸を跨ぐなりシカダイは靴が一人分増えていることに気付き、思わず声を漏らした。
いつもならサンダルを脱ぎ捨てたまま。そのまま上がるところを今回は180度くるりと回してきれいに並べた。履き物を揃えるのはめんどくさいが、叱られる方がもっとめんどくさい。
レインコートを脱ぎ、平静を装いつつ出来るだけ急ぎ足でまっすぐ縁側に向かう。
手紙の缶箱を抱えてシカマルに話しかけ、そのまま二人で森へ出掛けた。あの手紙の束は今も縁側に置きっぱなしだ。もし勝手に読んだとバレたら――――
「おかえり」
予想は悪い方向に的中し、その“めんどくさい”元凶の人物は雨上がりの濡れ縁に腰掛けていた。
「シカダイ、ただいま、は?」
奈良シズクはシカダイの足音を聞きつけ、振り返ってにっこりと微笑んだ。肩までに切り揃えられた髪が揺れる。手には、彼女本人がその昔書いた文が握られていた。
―――遅かった。
「…たでーま」
たちまち増すにっこり微笑みの無言圧力。
「ん?」
「…ただいま」
「よろしい」
渋々模範回答を口にすれば、シズクはようやく満足したようだった。
“真白の巫女”と称されるように優しき心を持つ母、里屈指のくの一である母に、シカダイはいったい何が不満なの?とチョウチョウは言うものだ。
英雄的くの一が実際自宅ではどうかといえば、調子の悪いテレビや電化製品を直そうとちょっと叩けば粉々に破壊したり、急ぎの用事には伝言も残さず羽を生やして飛んでいったりするのだ。今日の天気のように気分屋。
無論、一度怒れば手はつけられない。
「ねぇシカダイ」
(ヤッベー…どやされる)
シカダイは条件反射で身を固めた。
「洗濯物取り込んでくれたのね。乾燥機まで。ありがとね」
しかしシズクは上機嫌である。
びしょ濡れの洗濯物を取り込んで洗い直して乾燥機にまで放り込んだのはシカマルの機転だったけれど、とりあえず誤解を解かないほうが都合がいい。シカマルは森を出ると火影邸へ戻ってしまったし。
シカダイは心の内で父の機転に感謝したが、母の笑顔のわけはそれだけでないのも確かで。
「母ちゃん その手紙なんだけど」
「ぜんぶ読んだ?」
唇をへの字に結んだままこくんと頷く。
「…怒らねェの」
「怒る?」
シカダイの怯え様を払拭するようにシズクは口角をあげた。
「怒らないよ。でも驚いた。どこから見つけたの?」
「父ちゃんの書斎の本棚のてっぺん」
「そっか…捨てただろうと思ってたのに。父さんたら、ちゃんと取っておいてたのね」
文面に目線を落とすと、シズクの目には嬉しさの混じった懐古の情がたゆたう。
この母は父と同じように、昔送られてきた手紙を大事にしまっているに違いないと眺める息子の表情は、一方でどこか懐疑的で複雑なものだった。
シズクはシカダイを手招きし隣に座るよう促した。姉みたいに、喜んでぴったり母にくっついて腰を下ろすようなことはしなかった。男としての反抗心みたいなもので。
「この頃はメールみたいに気軽に連絡を取り合えなくて、宛名すら書けなかった…でもシカダイは賢いから、母さんの書いたこと わかるよね」
「…」
「シカダイにはもう少し大人になってから話すつもりだったの。ずっと内緒にしててごめんね」
しぶしぶ腰掛けた濡れ縁に、雨のあとの陽が差し込む。庭の木々の葉が明るい。翠雨がぽつ、緑からはなれて地面に吸い込まれていく。
「幻滅するかもしれないけど、母さんの話、最後まで聞いてくれる?」
大人しく頭を撫でられながら、シカダイは黙って頷いた。
「…どこから話そうかな。なにせ母さんの話はすごいから」
「母ちゃん」
「なあに」
一番聞きたい知りたいこと、かなりある。それを今日はぜんぶ話して貰える。それなら最初は聞くのも恥ずかしいような、くだらない質問でもいいだろう。
「…父ちゃんのこといつ好きになったの」
シズクは意外そうに目を丸くしたが、すぐに答えた。
「五歳」
「マジで」
「マジだよ」
普段は乱暴な言葉づかいを決して許さない母が珍しく、悪戯っぽく笑いながら囁いた。
- 494 / 501 -
▼back | novel top | | ▲next