▼甘い香り(鹿誕)


「どうしたよ?」

つれが立ち止まって
つられてオレも足を止めた。


「金木犀の匂いがして」


シズクは首の角度を僅かにもちあげてキョロキョロとあたりを見渡す。どこにもない。どの木にも橙色の小さな花は見つからない。


「たしかにそうだと思ったんだけど」


「まだちょい早いんじゃねーか」


そう言い終えないうちに、甘い匂いがオレの鼻をもくすぐる。金木犀。たしかに。きっと誰かの家の軒先に植わっているんだろう。幼馴染みほど植物に詳しくはないけれど花の時期には、いっせいにこの里の庭に色づくことくらいはわかる。上着が一枚厚くなった頃に。花は小さいが胸にたまるような香り。


「この匂いがすると、あー秋だなぁって感じがするね」


冷たくなって来た風があの花はここに存在しているよと訴えるようになつかしい匂いを届けてくる。

「そういや、金木犀の花言葉知ってるか」

「なあに?」

「“謙虚”なんだとよ。今みてーに花が見えるより先に匂いがするから」

「詳しいね」

「いのが言ってたんだよ」


“金木犀の花言葉はね”

木に咲いた橙色の小さな花を指差して幼馴染みのいのが自慢気に語っていた、あれはいつの秋だったっけか。随分昔のはずだし、随分昔のことのように思える。謙虚。なんだかいのから発せられるには似つかわしくない言葉だとそのとき考えていた気がする。それ以外にも意味をいくつか並べていた、しかし他のものは今、自分から口に出すにはこっぱずかしい。

再び歩を進めたシズクがふいにオレの手を握ってきた。


「なんか切なくなる匂いだよね」


いのやサクラやオレたちと遊んだ帰り道。シズクが思い出したのはきっとそのあたりだろう。ぜんぶの秋がまとめてかえってくるみたいな気持ちになる。それはわからなくもない。
ざあざあと降り注いだ雨のあと、濡れた道一面に広がるオレンジの絨毯が、さいごとばかりに鼻をかすめていく。その光景を一緒に、隣で見たのは、たしか。
これはオレの場合。

こっちが求めてないセンチメンタルを勝手に香りが引き出してくる。匂いの記憶ってやつだ。

キレイ、と思わず呟いたあれは紛れもなく、今隣にいるこいつである。嬉しそうな、もの悲しそうな、その横顔を盗み見ていた。
小さくてあっという間で、消えてもあの匂いだけ、いつまでもこびりついて離れない。

“他にも花言葉があんのよ。金木犀”

簡単に教えてやるものか。


「いちばんすき。もし家を買うなら、あの木を庭に植えるなぁ」




暖かみのある木造に縁取られた磨りガラスの窓が、垣根越しに覗いた。石畳の階段。白い石の敷き詰められ戸口、その上には奈良家の家紋が掲げられている。
オレんちにもあるんだけど、なんて言わなくても通じてる。ここにも毎年、秋になると香るのだ。彼女の大好きな木が。
戸を開ける前、金木犀の甘い匂いに混じって香るのはきっとかあちゃんが用意してる夕飯だ。

「きょうは鯖味噌か」

「おばさまと一緒に腕によりをかけて作りました。さぁ入って入って!」

そう満面の笑みをみせたシズクが、戸を開けてオレをなかへと招く。

シズクの作戦はお見通しだ。足を踏み入れれば、色とりどりのけたたましいクラッカーに包まれる、そうだろ。

なにせオレの誕生日だからな。

常套手段にもほどがあるが、百歩譲って今日はひっかかってやろう。それでまた笑うなら、安いもんだ。やれやれと苦笑いしながら、金木犀の甘い匂いを体にまとって扉をくぐった。


「ただいま」

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