▼深夜のバカンス
里の忍で知らない人間はいないんじゃないかってほど 月浦シズクは有名だ。
ひとつ、里の誉れはたけカカシの教え子。
ふたつ、五代目火影の弟子。
みっつ、若くして医療班班長の座についた上忍。
と、数え出したらきりがない。
実力もさることながら、歳の頃16を迎えたシズク。傍若無人のおてんばだった幼少期はだんだんと息を潜め、いつの間にか少女と呼べる時期も去った。
武器を持たせれば昔となんら変わりのない、他の追随も許さぬ猛獣だが、黙っていれば一輪の花。振り返ると長い髪が肩でふわりと靡き、笑顔に射止められれば、どんな忍でもただの男に成り下がる。
こんな具合に。
「一緒に映画行かないか!?風雲姫の最新作のチケットあるぜ!」
「銀杏通りにうまい甘味処が出来たんだけどさ」
「歌舞伎はどう?ちょうど首都から来てるんだよ」
「イヤイヤせっかくの休みだし、温泉でも入ってリラックス……ってのは?」
アルコールに背中を押しされた奥手な野郎共が ジョッキ片手にシズクの回りへ続々と集まっていく。すっかり恒例となった中忍の定期飲み会で、シズクが「明日急に非番になって」などと口を滑らせたがために、何気ないその一言で中忍たちの心に火がついたのだった。
噂好きの里内。やや離れて席についたシカマルとシズクとの関係を知らない同僚などいないにも関わらず、野郎共はシズクの隣を譲らない。すべてビール泡のせいにするつもりなのか、冗談が過ぎる。その光景に、シカマルはウーロン茶をちびちびと飲んでは冷ややかな視線を向けていた。心の中で悪態をつきながら。
さすがに温泉って、下心みえみえだろーが。
まったく。先輩たちも人が悪ィ。
誰の女だかわかってるくせに。
「眉間にシワ寄ってんなァ、シカマル」
と、イズモが茶化す。
「彼女が非番でも、お前は任務か?」
「明日はオレも休みッスよ」
「なんだ。それならどっか誘えばいいじゃないか」
イズモの言うとおりだった。
シカマルとシズクの、互いの非番が重なる確率を求めよ。そんな問いがあったなら、確実にゼロだっつのと答えてやりたいくらい、奇跡的な一致ことなのだ。
シカマルは男であるまえに忍。
シズクは女であるまえにくの一。
中忍数年目ともなれば次第に仕事は増えていくし、そもそも滅多に非番のとれないシズクと、顔を合わせること自体久しぶりで。
それなのに酒を味わえない歳で無理やり飲み会に連れてこられ、挙げ句目当てを周囲にとられているのでは面白いわけがない。
「あの」
と、わいわいと賑わう居酒屋におおよそ似つかわしくない、素面の声が響き渡った。しびれをきらしたシカマルがとうとう動いたのだ。
「非番ってのは嘘で、実はオレたち明日極秘の任務なんで。二人でゆっくり休ませてもらえないっスか」
しいんと静まりかえった宴会場に、ふたりぶんの足音がやけに大きく響く。
がらがら。ぴしゃん。ありがとうございましたー。先に帰った客への、店員の声。
「ちと悪ノリがすぎたかァ?」
シカマルがシズクの手首を掴んで暖簾をくぐってからも、中忍たちの話のネタは目下、二人の仲についてだった。
「シカマルもまだまだガキだなー!いっちょまえに嫉妬してやがったぜ」
「いやいや、あんな警戒心ゼロの幼なじみを十年も鼻先にぶらさげられても手ぇ出さなかったんだろ?むしろすげえよ」
そんな具合に夜は更けてゆく。
「シカマル」
シズクの問いかけにも、やや早足の背中は顔を背けたまま振り返えろうともしない。
「シカマル、ねえ」
ひょっとしたら前を歩く彼はニセモノかもしれない。シズクは相手の仏頂面を考えて、考えたらすこし、可笑しくて。笑い声混じりに呼び掛けた。
「ねえったら。シカマル」
ようやく足を止めた、振り替えるシカマルは紛れもなくホンモノだ。証拠ならいくらでもある。眉間の深いシワとか、らしくない言動をしたためにすっかり赤くなってしまった頬とか。
「ごめん、シカマルのほうに行こうとしたんだけど、コテツさんたち全然まけなくて」
「…」
「もしかしてそれって やきもち?」
「うっせえ」
シカマル自身、何が引き金になったか整理ができていなかった。執拗にシズクの隣をキープする先輩へなのか、非番になったことを自分に話さなかったシズクへか。それとも、“あんまヒトの彼女にちょっかい出さないでくださいよ”ときっぱり宣言できなかった自分にか。
しかし理由はどうあれ、稚拙な独占欲に舵をとられて居酒屋を飛び出した その青臭い犯行をすぐにでも忘れたい気持ちだった。
手首を引かれるシズクが、その頬の熱を秋の外気が冷ましてしまうのは勿体ないと思っていることも知らずに。
「あのね、明日急に非番になったの」
「さっき聞こえてた」
「正確にはね、シカマルが明日非番だって 綱手様が話してたのが聞こえてね。それで頑張って明日の仕事片付けてきたんです。ふふふ」
確率を動かしたのは彼女の犯行だった。
シカマルがちらりとシズクをみやると、彼女はしたり顔でシカマルを見つめ返した。策士相手に先手を取ったぞ、と言いたげな表情である。
こういうことをサラッと言ってのけるのは、自分が彼女を真綿にくるんで過保護にしすぎたからかもしれない。
「今から風雲姫の映画見に行こうよ」
「明日でいいだろ?レイトショーとか、めんどくせえ」
「銀杏通りの甘味屋さんも」
「ハイハイ、だから明日な」
「温泉」
「今からか?」
「…おとまり、とか?」
「…さすがにそりゃあ…ちょっとな」
シカマルがせめてもの照れ隠しに掴む場所を手首から掌へスライドさせると、すぐに握り返してくる、シズクの一回りちいさい手のひら。あまりに嬉しかったのか、彼女の口からは呪文のように繰り返される。
「とりあえず、今日は二人でゆっくりしましょう」
「もう8時だぞ」
「ゆっくりしましょう、二人で。明日の極秘任務に備えて」
明日非番。だからいまからでもどこへでも行ける。たとえば深夜のバカンスとか。
そう、シズクが嬉しそうに笑っている。彼女がどこまで本気なのかは十年たってもシカマルにはわからない。たぶん全部本気なのだろう。ちょっと目を離そうものなら夜風にさらわれてしまっていても何らおかしくはない。
もう本当に、このまま木ノ葉温泉の宿に引っ張りこんでしまおうか。
「極秘任務、楽しみだね。シカマル」
シカマルの中での月浦シズクは。
ひとつ、破天荒すぎて手に負えない幼馴染み。
ふたつ、無意識に男共を翻弄する小悪魔。
「うるせー。あんましつけぇと寝かせねーぞ」
みっつ、絡めた指先と簡単な誘い文句にすら顔を真っ赤にさせるほど純情な彼女。
数え出したら百や二百は下らない。
きりがないのだ。
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