▼ひなげしとアネモネ
第十班が任務へ出た。
朝方、私は 気付けば紅先生のアパートの前に立っていた。
数日前に紅先生の問診の予定が入っていたのだけれど、葬儀や身辺整理のために延期になっていた。心身を崩していないか気がかりだったけれど、ドアを開けて顔を覗かせた彼女は、私が想像していたよりも顔色が良かった。
「よく来てくれたわね」
先生は私を自室に招き入れてくれた。
部屋もきれいに整理されている。テーブルには、“紅先生へ”と手紙のついた風呂敷包みがいくつも置かれていた。
「これって……」
「ヒナタたちが毎日のように持ってくるのよ。冷蔵庫にもたくさんあるの」
包みには栄養満点のおかずが入った手作りのお弁当箱に、たくさんのお菓子や飲み物がつまっていた。
「その巨大おにぎりはきっとキバが握ったやつね」
「確かに」
イビツで不格好なおにぎりを見て私は思わず笑ってしまった。女性の一人暮らしなのに、こんなに大量に持ってくるのが、キバらしい。
手をつけられていないものもあったが、紅先生は少しずつ、食欲を取り戻しているようだった。
私って、バカだなぁ。紅先生がまだ泣いているかとか、寝込んでいるかもしれないと、てっきり思っていたのだ。この人は木ノ葉の上忍で、逞しいくのいちで、自立した一人の女性なのに。
「第十班が任務に出たってヒナタから聞いたわ。アナタも心配でしょう」
「……はい。でも、待ってるって約束しました。それにカカシ先生がついていってくれてます」
キッチンをお借りして、持参したお茶を煎れる。
すると紅先生が、窓の外を眺めて呟いた。
なんでかしらね。声が聞こえたような気がするのよ。と。
「任務に向かう前だったのか、窓の外の……あの辺りにね、アスマが立っていたような気がするのよ」
「あのあたりですか?」
「そう。ああ見えて心配性だから、気づかれないように私の様子を伺ってたのね。きっと」
微笑むその目にもう涙はないけれど、これから向き合っていく悲しみは、どこまでも深い。
「本当に馬鹿な人。我が子の顔も見ないままいっちゃうなんて」
お腹を愛しそうにさすりながら、紅先生は瞳を閉じた。
「私たちは忍同士だし、お互い覚悟も出来ていたから……言いたいことはその日のうちに伝えるって決めていたのよ」
相手への文句とか、お願いとか、愛の言葉とか。
「でもほら……アスマって不器用じゃない。照れ臭くて肝心なことを濁したりして。そういう時は、あの人、物頼みだったのよ」
「物?」
「そう。例えば あれよ」
紅先生は私を手招きして、窓辺へと連れてきた。そこにはきれいな花びらを揺らす赤い花がいくつも咲いていて。花の名前に疎い私に「ひなげしよ」とさり気なく教えてくれた。
「不器用な癖に、花言葉に託すなんてね」
「ひなげしの花言葉って……」
「それはヒミツ」
紅先生が悪戯っぽく笑う。その意味を聞かなくても、分かるような気がした。アスマ先生が紅先生に伝えたかった思いは、今もここに、確かにある。紅先生のすぐそばに。
「こっちの花はアネモネよ。色によっても内容が変わるけど。……そうね、今のアナタには紫かしら」
「紫?」
ひなげしの隣、たくさんの赤に紛れてひらく小さな紫の花弁。私はその花を見つめ、神様、と胸の奥で唱えた。
「あなたを信じて待つ、よ」
アスマ先生が紅先生に送った、ひなげしの伝承。
私はそれを、大人になってから ふとしたきっかけで知ることになる。
その昔、この世界が人びとが、まだチャクラを持たなかった頃の、ふるい話だ。
ある軍人が戦いの末に、敵の軍に追い詰められて、窮地に陥った。死期を悟った軍人は、その時、最愛の妻を想うのだ。
“山を抜き去るオレの力は、世の中を覆い尽くすほどだった。
だが、いまはもう、刀も握れん。
足も動かん。
どうしたらいいのだろうな。
そう、こうなっちまったら お前のことも、
どうしたらいいってんだろうな”
軍人は最愛の人を手にかけたとも、
はたまた 妻が亡き夫を追って自ら命をたったとも言われている。
でも紅先生は、そのどちらをも選らばなかった。
彼女は前を向き、最愛の人が残した未来の希望を繋いでいくことを選んだのだった。
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