▼独りの忍

黒い衣の忍が鳥のように音もなく水面を渡る。
その動きは もう何年も誰にも気付かれないように生きていることを証明しているかのようだった。
川に沿って上流から下流へと。チャクラを感じ取った付近、数メートル先の川面には倒れた人の姿がひとつ。
イタチは人影に近付いた。くのいちの上半身は荒い砂利に乗り上げているが、腰から下はまだ水の中に浸かっていて、濡れた長髪が体にはりついていた。濁流にもまれる間に散々体をぶつけた筈だが、出血も痣も見受けられない。
傷がたちどころに癒える、それが彼女の能力。

女の周辺には幻術カラスが数羽いて、どのカラスも、小さな頭で女の体を岸の方へと押していた。使役動物が自分の中の命令なしに女へ力を貸しているさまをイタチはしばらく眺めていた。やがて瞬きをすると、役目を終えたカラスたちは水しぶきをあげて空に舞い上がり、煙のようにふっと消えていった。

「生きていたようだな」

体がぐったりとしていても脈はある。
崖に落としたくのいちを、イタチの相方はしつこく追おうとした。自分の口寄せ鮫はしばらくまともな食事にありつけていない。川に落ちたあれはいい餌になると言って仕方なかったのだ。女の体が欠けていないところを見ると、どうやら牽制は効いていたらしい。

「……が…あ…ら…」

シズクは時折 譫言を呟いている。
イタチは水面に膝をついてその顔を覗きこんだ。全然似てもにつかないが、瞼をふせた女の横顔を見ると、母や恋人の面影が重なってしまう。
自分が吹き消した命をまざまざと思い出してしまう前に、片手を女の背中に、片手を膝裏に伸ばして抱え上げた。忍装束がしっかり水分を含んでいてもやはり軽かった。

岸に上がり月浦シズクを運びながら、イタチは別の人物について想起していた。
いつかの夕暮れ、手裏剣術で足を挫いからと背負った弟の重さ。残酷なことに 母や恋人の顔よりもずっとまだ鮮明に覚えていた。

*

忍は任務中に意識を失った場合、目覚めるときすぐに瞳を開いてはいけない。
―――私は今どこにいる?
崖から突き落とされた。そこまでは記憶してる。
背中に固く冷たい感触を感じるのは、岩か何かの上に横たわってるせいだろう。運良く浅瀬に打ち上げられたか、それとも誰かに岸から引き上げられたか。
幻術にかけられて身動きがとれない、というわけではなさそうだが、指一本でも動かしてはならない。周囲の音を拾い上げて、自分が敵の捕虜になっているか否かを知る必要がある。

風。せせらぎ。火。
しばらくしても人の気配を感じないのを確認して、私はそこでやっと薄目を開けた。

「…!?」

気配がない?私はバカか。
じゃあ五メートル先の岩に腰かけているあの黒い衣はなんだっていうんだ。

起き上がると同時にクナイを放つ。
が、うちはイタチはそれを最小限の動きでかわした。

「やめておけ お前に危害を加える気はない。それに、このオレは影分身体だ。攻撃は意味を成さない」

「ふざけないで。干柿鬼鮫もどこかに隠れてるんでしょう?」

「鬼鮫はいない。お前もわかるだろう」

せせらぎだけが耳を擽る。
イタチの本体や鬼鮫の気配はなく、分身体には敵意すら感じられなかった。けれどそれも、こちらを油断させる手口かもしれない。
体勢を立て直し、私は再度イタチを見た。

「鬼鮫は好戦的すぎる。あいつがいる手前、話をするにはあの場から離れる他なかった」

「話す……?どうせ私のことも殺すつもりなんでしょ!?」

イタチの淡々とした口調は、いっそう私の感情を波立たせた。頭の中では、我愛羅の顔が浮かんでは沈みゆく。死んだ と言われて、取り乱さずにはいられなかった。

「我愛羅を返せ……返してよ……っ」

固く握ぎりすぎた拳には、涙の代わりのように血が伝って溢れていく。
憎かった。悔しかった。

「状況が変わった。風影は生き返った」

「……え?」

「砂漠の我愛羅は砂隠れの転生忍術で息を吹き返したそうだ。追ってきた仲間たちとも合流している。転生忍術の術者以外には犠牲者も出ていない」

我愛羅が生き返った。その意味を咀嚼するまでに時間を要した。

「転生忍術……我愛羅は生きてるの…?」

私がひとときの安堵感に浸るうちに、イタチは岩の上から降り、川面を前に佇んでいた。どこか遠くを見るような表情で。
こちらに体を向けることなく、イタチが静かに口を開く。

「自分の身を守りたければ木ノ葉の里を離れるなと、かつて忠告した筈だ。お前に再度警告する。本当に後悔することになるぞ」

数年前にも、たしか同じ問答がなされていた。
木ノ葉崩し後、間もなく里に訪れたイタチが、私に言ったのだ。
木ノ葉の忍でいたいなら、里から離れるなと。

「憎しみにとらわれ、理性を失い、お前は鬼鮫相手にまともな動きひとつ取れていなかった。“暁”に対峙してお前に命はない」

「なぜそんなことを……」

「お前が警戒すべきはダンゾウではない もっと他にいる」

イタチの口振りはまるで、私が抱えている事情を――――“鬼哭”の黒幕であるダンゾウとの確執を、掌握しているかのような口振りだった。
いや、それだけではない。
私自身ですら触れられない“何か”をイタチは知っているんじゃないか?

「まさか敵に心配される日がくるとはね。その他ってのは……暁だとでも言いたいの?」

慎重に探りを入れるが、彼の答えはない。

「S級犯罪者のあなたが今私ひとり始末するのは赤子の手を捻るようなものでしょ。こんな風に会話なんて……あなたの目的はいったい何なの?」

また沈黙を貫くかと思ったが、イタチははじめてこちらを見据えた。あの血のような写輪眼ではなく、漆黒の瞳だった。

「待宵姫を知っているか」

私もここではじめて、イタチの人相を、佇まいをしっかりと見つめた。
サスケによく似ているが、彼はどこか落ち着き払っていて、波風の立たない水面のように思えた。

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