▼問答歌

千羽谷へやって来て数日。一見 女郎たちや抜け忍数名が細々と生活しているようにしか思えぬこの地でわたしは知ることになる。
すっかり打ち解けた仲となっていた八重が、その日は飯炊きの仕事ではなく別の場所に、わたしを呼んだのだった。

「もう仕事を教えて良い頃だわ」

「仕事?」

「そう。私たちの要よ」

彼女はわたしの手を引き、集落の裏手へ向かう。こちらのエリアまではまだ偵察には及んでいなかった。
彼女が“要”と呼ぶそれはいったい何か?ひとり思案しながら、わたしは八重とともに、均されてない道をゆき、滝壺の前まで辿り着いた。

「見ていてね」

足を止めた八重が、懐から出した引導を滝に翳したその瞬間。滝の水が半分に割れ、その先に洞窟が現れた。

千羽谷には裏見の滝があった。
その洞窟の先に、彼女たちの“仕事”が潜んでいた。

滝の裏は広大な空間になっていた。人が容易く行き来できるような巨大なダクトが何本も張り巡らされていて、どれもこの場所の中心、深く掘られた穴に繋がっている。
うらぶれた表の集落とはかけ離れた光景。例えるなら、以前綱手様から報告書で見せてもらった、大蛇丸の旧実験施設に似ているといえるかもしれない。

顔や体を布で覆った人びとがダクトを囲うようにして“何か”の作業をしている。医療忍術を学ぶわたしが気づかないはずがない。
この臭気は毒だ。

「設備に驚くでしょう?これが私たちの“要”よ。月乃、あなたは運がいいわ。完成間際に来た」

「完成……?」

「説明はあと。先にキリュウ様のところへ挨拶に行きましょ」

――――キリュウ?
その名に、さっと心臓が凍りついたようになった。忘れもしない 中忍試験の対戦相手。その男は、私に敗北したあと、木ノ葉崩しの混乱に乗じて里から逃亡した。以来奴は自里にも戻らずに、現在は湯隠れから抜け忍として指名手配されていると聞く。
同一人物?……まさか。
しかしそうだったとして、このまま顔を合わせてしまったら。

最悪のシナリオが頭に浮かぶが、八重は私の心中など勿論しらず、怪しげな設備のあいだを進んでいく。

そうして引き返すことなく、わたしはその男と“再会”した。

「キリュウ様。新入りの月乃です」

設備の最上部で忍たちを監視している男が振り向いた。能面を細く削いだような冷たく鋭い目に眼差された。
心拍がはね上がる。あのときと同じ目 やはり湯隠れのキリュウだ。
なぜここにいるかはわからないが、しかしこうなっては戦うしかないだろう。キリュウに眼差されながら、ああ、おわった 潜入捜査は水の泡になってしまった どうする すぐに仕留めるか?それで逃れきれるか?心臓が早鐘を打つ。

しかし、なぜかキリュウは私を一瞥しただけで、すぐ八重へ顔を向けた。

「……またガキか」

「ええ。薬売りの子ですからここでの覚えも早いでしょう」

「ならいい。女共に完成を急がせろ」

そうして、キリュウは無言のうちに去っていってしまった。
私は冷や汗をぬぐうことなく、その気配が消えるまで目をそらさなかった。最悪の事態は免れたとしても…わたしだと、木ノ葉の忍が潜入してると見破られたはずだ。
なのになぜ。

「八重…今のひとは…?」

「キリュウ様よ。彼はここで私たちに毒の作り方を教えてくださってるの」

常と変わらぬ八重のうつくしい笑顔が、このときばかりは末恐ろしいものに見えました。

「完成したら、地脈を使って猛毒を木ノ葉の里に流すのよ」

*

日の落ちる時刻に、私はひとり、谷の川岸にやってきた。昼間の作業で汚れたから水を浴びてくる、と言って。
女たちは誰も引き留めなかった。

八重から与えられた着物の帯を緩め、近くの岩にそれらをかける。
とぷん。日が傾いて冷たくなった川の水にからだを口元までふかく沈める。感知タイプの抜け忍は近くにいない。水の流れる力に誤魔化すようにして、わずかにチャクラを練った。
テンゾウさん もとい猫目さんの木遁分身は、すぐに岩と擬態して現れた。

「情報を掴みました」

ちゃぷん、ちゃぷん。あくまで水浴びをしてる呈を装いながら、背中越しに猫目さんの分身に語りかける。

「このアジトはただの寄り合いではありません。猛毒を扱う抜け忍が指揮を執り、谷の裏で強力な毒の兵器をつくっています」

「なんだって?」

「北アジトに戦力があると見せかけて、このアジトで秘密裏に殺戮兵器をつくることが彼らの本当の目的だと思います。手筈が整ったらその毒を…地脈を使って木ノ葉の土地へ放出する計画です」

「確認は」

「この目で見ました」

てのひらを受け皿にして透明な水をすくいあげ、顔を浸した。胸を詰まらせるような思いもなにもかも、この水で清められたらと願ってしまう。それくらい状況は悪い。

「毒は完成間近です。あれが流れれば里は土壌ごと汚染されます。木ノ葉が危険です」

「状況を把握しながら対処しろ。さほどの脅威でないなら主要人物以外は“鬼灯城”送りでも構わん。お前たちは増援に加わり、討伐に協力しろ」

北アジトに潜伏している主要人物さえ仕留めたらあとは捕まえるだけで済むかもしれない。
その認識は、甘かった。
この千羽谷に集まった反木ノ葉思想の人びとにキリュウは特殊な毒のつくりかたを伝授している。八重を含め、全員が荷担していた。キリュウを仕留めても、木ノ葉に続くこの地理が残ってしまえば。人びとの記憶に、復讐の心とたしかな知識が、残ってしまえば。
もとよりたかが抜け忍集団が、これほどの設備を工面できるわけがない。背後には相当な組織が絡んでいるはずだ。

「情が移ったのかい」

猫目さんの声からは、彼がどう思っているのか心中を掴めない。
情が移ったとか、そういうことじゃない。違うと信じたい。それでもわたしは首を横にふることが出来ない。

「記憶を消すとか……せめて命だけでも」

「無理だね。復讐の炎を燃やし、抜け忍の片棒を担いでいる。この計画に荷担している者は立派なテロリストだ。記憶を弄ったとしても、この千羽谷の地脈が木ノ葉を陥れるに好条件だと誰かに伝わったらいずれ同じことを企てる者が現れる。それはキミにもわかってるだろう」

「……」

「生き残りを作らないことが木ノ葉のためになる」

「暗部の任務はいつもそうなんですか」

「そうだよ。ボクだってこの手の任務は何回も経験してる。キミの気持ちは痛いほどわかるさ」

猫目さんは声を小さくした。
そして、誰にも逃げられない策を共に企て、最終確認した。

「数時間前に、白露が北アジトの感知タイプに接触した。今は幻術で操っている。作戦は明日決行だ」

わたしは着物の裾から紙片を出し、必要なことをしたためた。

「この谷で生産されている毒を中和させるために必要な薬剤の一覧です。猫目さんの分身体に里まで取りに行ってもらってもいいでしょうか?」

「ああ」

「それと、わたしが処理できない場合も踏まえてシズネ様も呼んできていただけると助かります」

「…了解した」

*

再び着物の袖を通し、谷の中心へと戻る。
空には針のような三日月がのびはじめていた。
ところどころ不器用に直された櫓や民家。ここはまぎれもなく、悪人の巣穴。
暗くなってきたというのに、女郎の連れ子が、まだ外で蹴鞠をしている。


あんたがたどこさ 
……さ
せんば山にはたぬきが居ってさ
それをりょうしが弓矢で射てさ
煮ってさ 焼いてさ 食ってさ
それを木ノ葉でちょいとかぶせ


憎しみに身を売れども、生活も笑顔もある。
普通の街と、木ノ葉の里と何が違うっていうの?

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