▼月光
「各自用意を済ませたら少し休もう。白露、あと頼んだよ」
それだけ告げて、助亜さんと猫目さんは音もなく階段を降りていきました。
何もない部屋に、わたしと白露さんの二人きり。出発まで大分ありますが、肌に匂いを移すためにも、わたしたちは変装着に着替えることにしました。
色任務の経験がないわたしが女郎や禿に扮してアジトに向かうのは難しいので、忍の戦いに巻き込まれて親を失った薬売りの貧しい少女、ということで落ち着きました。
忍は身に危険が迫ればとっさに体が動いてしまうもの。一般人に成りすますなら日常の動作の癖をコントロールしなくてはならない。歩き方、目つき、力加減、姿勢…いずれも悟られないよう注意を払う必要があります。
白露さんは巻物を開くと慣れた手つきで文字を辿り。三尺ほどのところで指を止め印を組みました。口寄せで現れたのは、褪せてほつれのある小袖。
「変装での潜入は初めて?」
腕を通しながら白露さんと会話を交わします。
「いいえ。でも、片手で数えられる程度です」
「潜り込むまでは容易かもしれない。ただ、千羽谷には不幸な境遇の人間も大勢居る。感情移入して心を乱さないようにね」
「気をつけます」
頷くと、白露さんは俯きがちに微笑みました。
「あなたは先輩のお弟子さんなのよね」
「はい。最近は任務でツーマンセルを組んでます」
「なるほどね。先輩がなんだか前より丸くなったのはそういうことなのね」
「え?今よりも痩せてたんですか?先生」
あんなに細身なのに。わたしが声をあげると、彼女は今度は可笑しそうに笑いました。
「そうじゃなくて、角が取れたってこと」
「カドがとれた……」
「きっとアナタが側にいるからね」
白露さんの言葉に実感がありません。先生は下忍の顔合わせのときも名前しか教えてくれなかった。あの日唯一話してくれたのは、慰霊碑に親友が眠ってることだけ。暗部時代のカカシ先生はさらに謎。
カカシ先生の後輩だった白露さんは、先生の過去を知ってるのでしょうか。
「白露さん 暗部時代のカカシ先生ってどんな人だったんですか?」
「どんな人か…ね。難しいわね」
「もっとシャキッとしてました?」
「そうかもしれない。女性に人気があったのは確かね」
「もしかして白露さんも…」
ちょっとした興味本位で聞くと、白露さんは巻物を直す手を止めました。
「確かにいい先輩だったけれど 私には心に決めた人がいたからね」
心に決めた人。恋人を語るには、どこか影のある言い方で。この人の愛する人はきっともう この世にはいないんだ。
踏み入ったことを聞いてしまった。二の句の続かないわたしに、「これで準備完了」と白露さんは言い、天井を、ちょうど月が輝いているであろうあたりを見上げました。
「テンゾウの術は便利だけど、灯り漏れを考えて窓を作らないのが残念ね。今日は雲ひとつなくて月も綺麗に見えるでしょうに」
白露も夢も
この世もまぼろしも
たとへていへば久しかりけり。
儚いとは、この人のことを言うのでしょうか。
この人の心は、月のように遠くどこかにあるようでした。
*
明星。わたしたちは二手に分かれ、それぞれに進路をとりました。
「キミは“例の場所”へ行き、まずはひとりでアジトに潜入してくれ。抜け忍の詳細とアジトの様子を調べるんだ。ボクは身を隠して距離を保ちながらついていく。情報を掴んだら昨夜話した方法で知らせてくれ」
「猫目さんからわたしへ用があるときはどのように連絡をとりますか?」
「キミが飲み込む発信器には熱を送れる。そしたらどこか気付かれない場所へ移動してくれ」
「承知しました。よろしくお願いします」
「…ああ」
薬草の籠を背負い、一人道をゆく。猫目さんは、数十メートル離れたあとをついてきてるようですが、やはり暗部の尾行。見破るのは難しい。
なんとなく 昨夜会ったときから感じていたのですが、猫目さんはどこかわたしを避けているというか あまり良く思われてないようです。
何かお気に障ることをしてしまったでしょうか。
考え事をしながらひたすら歩くうちに、火の国の辺境まで辿り着きました。
アジトへ向かうための、第一関門。
ここからはしばらくは、わたしひとりの戦いです。
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