74
着実に体力は回復し、四番隊への通いも七日に一度となった。その際に、荻堂は話し相手がいなくなると笑った。診察室の外で待つ隊員を横目に笑うしかなかった。よく言うよと。
外は既に暗く、金柑は急いで戻った。雨乾堂はしっとりと佇み、夕闇にぽかりと明かりが浮かんでいた。
「おいで」
随分と親しくなった金柑と浮竹は、冷えぬように小さく火を焚いた。
劣等感が…。金柑はそう言うと、息を吐いた。ぽかぽかと身体は温まるが、指先だけはまだ冷えていた。
「皆、少なからず持っているさ」
そうは言っても…
浮竹の差し出したかりんとうに手を伸ばした。この時間は金柑にとって唯一、気を抜くことの出来る時だった。浮竹は、金柑に何かを話すことを強要するでもなく、金柑が話すのを待った。また、自分から京楽や部下の話をした。
父親、ってこういうものなのかな…
幾ら拾ってもらったとは言え、養父母と過ごす時間は短かった。
「朽木はそうじゃないのか」
柔らかく微笑んだ浮竹に金柑は一瞬、言っている意味が分からなかった。
考えてみれば…
朽木隊長、貴族の家…
そうか
「そうでしたね」
まるで自分が悲劇に塗れているみたいにしたって仕方が無いのに
「名前、早く聞けるようにします」
「ああ、無理はするなよ、金柑」
金柑は、ほんの少し指先が温まった気がした。
その日は、ルキアが非番だった。慣れてきたから大丈夫だろうとかわいい子には旅を、と自信満々に言い放ったルキアを金柑は思い出した。秋晴れの澄んだ青空を少しだけ見上げた。
随分、会ってないな
お礼、出来てないし…
今は、と考えていたことを振り払うように足早に執務室に向かった。
「今日の隊内練習は、どうしようか」
七席が金柑を呼んだ。良い機会だよねと金柑は意を決し、お願いしますと答えた。七席は驚いたが、随分と前向きになった金柑に嬉しくなった。
ここでは午前と午後で交代し、隊内練習を行う。金柑は午後の部に振り分けられた。身体を動かすには程よい季節ということもあり、皆が気合いを入れていた。
金柑は積極的に上官に挑んだ。体力は戻ったが、経験値は上がってはいなかった。そのため、木刀を飛ばされたり、倒れ込むことが多かった。それでも、金柑は怯むことなく、向かう。
時間になり、金柑は身体を伸ばした。節々がばきばきと鳴り、小椿が苦笑した。
「きちんと身体は伸ばせよ。随分、動けるようになったな」
豪快に笑い、金柑の髪を掻き混ぜた。金柑は恥ずかしくも嬉しかった。見てくれている人がいるんだ、と。ルキア以外の人から言われるのは、やはり慣れないなとも思った。嬉しさより照れの方が上回るのだ。痛む身体が嬉しく、金柑は定時際の書類配達に自ら手を挙げた。
「十一と十二ね。あとは…無いわ」
六席から書類の束を受け取って、金柑は後悔した。今まで、金柑はルキアに十一番隊に行ってもらっていたのだ。会う勇気が出ず。しかし、自ら手を挙げた為、金柑は心を落ち着け、良い機会だと言い聞かせた。逃げる、逃げない以前に人として有り得ないからと一角がいることを願った。
金柑は、久方振りの十一番隊に緊張した。執務室を覗くと、居たのは桐立だった。久しぶりじゃないかと屈託のない笑顔。金柑は鼻の奥がツンとした。深々と頭を下げ、金柑は書類を取り出した。
一角さんたちは…
道場かな…
「もう、動けるんか?」
桐立は、以前と同じ様に話しかけた。
しっかし、雰囲気が変わったか
腕を組み首を傾げる桐立。金柑は、ハイと答えた。枚数を確認した桐立は、金柑を手招きし、執務室の外へ連れ出した。
道場、かな
金柑は、桐立を見上げた。
「実はな、斑目三席が荒れてんだよ」
困ったもんさ、と腕の痣をいくつか見せた。隆々たる腕に点在する青痣。金柑は、思わず眉をしかめた。
痛そう…
「痛いのは慣れてんだがよ…理由が分かんねぇからどうしようもねぇのさ」
廊下の至るところに傷があるが、道場の看板は綺麗に磨かれて、違和感があった。
「綺麗ですね」
これかと桐立は苦笑した。
「綾瀬川五席がな」
金柑は、以前の看板を思い出した。何の染みか分からないものや、引っかき傷が看板を覆っていたのだ。そうかぁと笑う金柑に桐立は嬉しくなった。
噂には聞いていたがなぁ
雰囲気が変わった金柑に寂しい気もしていたのだ。桐立は道場に入り、金柑は待った。どくどくと波打つ心臓に手を当て、金柑は息を吐く。
「久しぶりだね、金柑」
柔らかい声と周囲に合わない上品な香に金柑は、バッと顔を上げた。
「弓親さんっ!」
お世話になりましたと頭を下げる金柑。弓親は微笑んだ。桐立は、金柑の頭をくしゃくしゃに撫でた。桐立は、荒れた一角を見せようと金柑を促した。弓親もまた、手招きをした。ギイと軋む床。あちらこちらに傷がある。一際激しい怒鳴り声の方を弓親は指差した。
すごっ!
え、本当に一角さん?
驚く金柑に二人は、だろうと苦笑した。弓親は、一角の名を呼んだ。
「そんなにやったら、道場が傷むだろう。いつ改修したか分かってる?」
弓親の言葉に救われた隊員は、こそこそと二人から離れた。うるせーなと一角は振り向いた。
金柑、金柑か?
俺は見舞いに行かなかった
金柑は、罪悪感を抱えている筈
だからこそ、付き合いは短いがあいつの性格なら、何となくだが分かる
弓親に様子を聞けば、思ったよりは、とか言ってはいたが…
どれくらい振りだ
一角の中をここ暫くの思いが駆け巡った。お陰で、木刀が手放された。金柑は一角の荒々しさを知らない訳ではなかったが、比ではない様子に胃が縮まる思いだった。
「お、ひさ…お久しぶりです」
金柑は一角を見上げた。汗を拭い、一角はあぁ、と答えた。
素っ気ない対応に金柑は心臓が縮まり、謝罪をしなくてはと焦った。弓親は、そんな気持ちに気付いた。全く…呆れるんだから。弓親は一角を睨みつけた。金柑は、一角に今までのことを謝罪しようと頭を下げた。
「沢山、御迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした」
尻窄まりに小さくなる声。金柑は、顔を上げられなかった。一方の一角は、金柑のしたいようにさせた。ひたすら謝り、頭を上げない金柑。
馬鹿野郎…
一角は金柑の頭に手を乗せた。
「気は済んだか。ったく、俺が金柑を拾ったのはテメェがいねぇとつまらねぇからだ」
俺の我が儘だ、と仏頂面で一角は言った。
金柑は、そろりと顔を上げ、一角の表情を探った。
が、分からない。分かるのは、手の温もりだけだ。一角の言葉にすら、思うように反応出来ないでいた。困ったように自分を見る金柑に、弓親はくすりと笑った。
「金柑、一角は怒ってないよ。それに心配してたくらいだから」
フンとそっぽを向く友人を見た。
「また、ご飯に行こうね」
金柑の小さな手を取った。金柑は、二人の優しさに気付いた。
一角さんは、私がやりたいようにさせてくれたんだ…。弓親さんはそれを知ってて…
違う意味で緩んでいた涙腺が、解かれた。ぽろぽろ零れる涙。霞む視界には、慌てる一角と笑う桐立と弓親がいた。止まらない涙が、金柑は妙に嬉しかった。泣きじゃくった金柑を送り届けた一角が、小椿につかみ掛かられたのは、また別の話。
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