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−お前は何故、此処に居るのか−

最初はぼんやりと聞こえていた声も、今でははっきりと聞こえていた。

「楽、だから?」

も考えずに済む
隊長や副隊長のこととか…
ルキアにも心配かけたかな

−友人に刀を向けたからか−

ヒヤリと首筋が冷えた。

「そうかもしれない」

金柑は、考えるより先に答えていた。

−そんなもの気にする必要はない。私が言うのもおかしいな−

何度も聞いた声が、今は和らいでいた。

−気にするなら、早く戻れ。此処に居るということは逃げているという意味よ−

逃げている…
「そりゃ、そうだよ」

金柑はフッと笑った。声はまだ聞こえる。

−皆、お前に会いたいのだよ−

姿を見せない声の主もまた笑った。

金柑は赤茶色になった襦袢を少し端折り、床に座った。

−お前は戻りたくはないのか−

金柑は頭を埋めた。
帰りたい
何もなかったみたいに
何も知らない振りをして、今までみたいに…

泣くに泣けず、息が苦しくなった。

−戻れば良かろう−

温い風が吹いた。

嫌だ
「嫌だ、帰ったら…私は…」

−自己嫌悪など自己満足に過ぎない−

凜と響いた言葉に、金柑は顔を上げた。

私、乱菊さんにそう言ったじゃない…

−私には相談出来る者など既にいなかった。お前が羨ましいよ−

キリキリと左手の傷が痛んだ。

「私、欲がいっぱい」

金柑は言った。

応じない声の主を気にすることなく、金柑は続けた。

「死神でいたい。ルキアに会いたい。阿散井くんと甘味処に行きたい。吉良くんに相談したい。檜佐木さんと話したい。朽木隊長に会いたい。乱菊さんと弓親さんとお酒を飲んで、雛森ちゃんに聞きたいことがある。竹井と柴岬と騒ぎたい。一角さんに謝りたい。皆に謝りたい。一角さんに会いたい…」


−十分だろう。戻れ−

甘い香が漂った。

戻って良いのかな…

金柑の心を読んだかのように声の主は、あぁと応えた。

−罪悪感だろうが、今のお前には生きる場所がある。傍に人がいる。私とは違う。

いくらでも甘えられるよ。私はお前のような迷いを持つ小娘に…斬られた。だが、後悔はしておらぬのだよ。

一つ言うなれば、私の墓を立ててくれぬだろうか。あの場所に…お前なら分かるよ−

金柑は大きく息を吐いた。そして、呼んだ、声の主を初めて。

「丹京、分かった。頼まれたら断れない」

−それで良い−

「ね、蓮華丸は来ないかな、此処に」

シンとした静寂が、金柑にのしかかる。

言うんじゃなかった…

−此処には来ない。あれは本懐を遂げた、お前のお陰でな。それに此処は…−

「な、に…?」

−ほら、あすこから行くのだよ。いつか、また−

くすくすと笑い声だけを残し、丹京の声は聞こえなくなった。

小さくぽとりと光る穴、金柑はゆっくりと立ち上がり、足を進めた。

今から、帰る…

金柑は丹京の言葉の意味を考えながら、そろりと足を踏み入れた。

−此処はお前が望んだ世界、所謂『夢』にあたる。ただし、生死の瀬戸際の世界でもある。お前は早く帰ると良いよ−

丹京、ありがとう

金柑は、小さく呟いた。

その頃、卯ノ花は小さな霊圧の揺らぎを感じた。

行かなくてはなりませんね



時を同じくして六番隊。

阿散井は肩を叩いた。

書類を書き続けたせいで肩のみならず、首筋も固まっていた。

あぁ…疲れた
隊長は…

金柑が四番隊で預かられてから、朽木は定時前に一度姿を消すようになった。

誰もそのことを尋ねたりはしなかった。阿散井でさえも。

外は暗くなり始め、風が葉を静かに揺らしている。

篭った空気を入れ換えようと、阿散井は窓の鍵を回した。

カチリと音を鳴らしたそれの窓枠を、力任せに引いた。

見れば、ルキアが六番隊隊舎前にいた。

「早く終わらせるか」

ゴキリと身体を鳴らし、阿散井は窓から離れた。

竹井と柴岬はぼんやりと空席を見ていた。



個室へ向かう前に、阿散井とルキアは卯ノ花の元を訪れた。

「卯ノ花隊長、金柑は?」

ルキアは卯ノ花に尋ねた。

「先程、霊圧が僅かに上がりました。今、向かうところです」

卯ノ花は優しく笑い、手にした紙挟みを抱え直した。

卯ノ花が言葉とは裏腹に笑ったことで、ルキアはまさかと阿散井を見た。

阿散井もまた、ルキアと同じことを思った。

目を覚ましているのか

「ウミノさんの身体の傷は酷いものでした。本来、霊圧を上げて傷を治すのですが、何故か霊圧が上がりませんでした。その為、体力と霊圧共にかなり落ちていますね」

卯ノ花は二人にそう話した。

二人には、卯ノ花の言葉が深刻には聞こえなかった。

「ですから、復帰したら鍛えてあげて下さいね」

微笑んだ卯ノ花にルキアは、はいっと応えた。

静かな廊下の突き当たりに金柑は、いた。

中に入ると、金柑は未だ目を覚ましていなかった。

霊圧、上がったのか…
全然分かんねぇ

阿散井は、卯ノ花に声を掛けた。

本当に金柑は、と言いかけて止めた。

「どうされましたか、阿散井副隊長」

にっこりと笑む卯ノ花がいた。

いえ…、と阿散井は黙った。

卯ノ花は金柑の手を取り、探る。

ルキアはジッと待つ。

「そろそろ目を覚ますでしょう」

そして卯ノ花は何処から呼んだのか、地獄蝶に囁いた。

「金柑」

ルキアは、金柑の手に触れた。

すると、微弱にも霊圧を感じることが出来た。

「ウミノさん、こちらですよ」

柔らかい卯ノ花の言葉と共に、金柑の霊圧が僅かに上がった。

そして、目を覚ました。


あまり馴染みのない木目の天井が、金柑の視界に広がった。

「私、起きた…の」

上手く喋れず、声が掠れた。

「ウミノさん」

呼ばれた金柑は、動かない身体の変わりに頭だけを動かした。

「卯ノ、はな隊長…」

い、たいなあ
身体だけではなく、喉もヒリヒリと痛むようで、喋ることを諦めた。

分かっているらしく、卯ノ花はそのままでと制した。

「金柑、金柑?」

ルキア…来てくれてたんだ

泣きそうな声と眉間に寄った皺が、ルキアの全てだった。

「起きてくれて、ありがとう」

続けて馬鹿者が、と苦笑しルキアは微笑んだ。

ありがとう、ルキア…

「俺もいるんだがなー」

野太い声に金柑は、懐かしさが込み上げた。

ルキアの後ろで居心地が悪そうに立つ阿散井。

「お陰で執務室が静か過ぎだ」

額の手ぬぐいをごそごそと弄る姿は、見馴れたものだった。

失礼します、と男の声と共に戸が開いた。

「勇音は」

卯ノ花は男に尋ねた。

「副隊長は、先程運び込まれた急患を診ています」

「そうですか。では、荻堂八席お願いします」

卯ノ花は道具一式を荻堂に託し、自分は金柑のベッドの横に座った。


「何か、聞きたいことはありますか」

金柑は、ゆっくり息を吐いた。

「どれくらい寝ていましたか」

卯ノ花は答えた。

「二週間ですよ。ただ、傷のせいで目覚めない訳ではないと分かったので、ウミノさんの意思に委ねていました」

そうか…
そうだ…

金柑は、聞きたいが聞きたくないことを尋ねた。処遇である。

「私の処遇は…どう、」

荻堂に支えられて身体を起こす。

「ありませんよ。今回のことは、ウミノさんに原因はないですからね」

金柑は、有り得ないと首を横に振った。

「言っちまえば、金柑は利用されたってことだ。それに、アイツを倒したのもお前だからな」

阿散井が気にするな、と言った。

でも…

金柑の言いたいことは分かるが…
ルキアは、金柑の包帯が巻かれた左手を取った。

「金柑、お前は責務を果たしたのだ」

金柑もそう思うようにはした。

しかし、拭えないモノがあった。

朽木隊長がな、と阿散井が割り込んできた。

「朽木隊長がな、お前は絶対にそう言うって言ってたが…。だから、席を落とすってよ」

少しは気が楽になるだろ、と阿散井は壁にもたれた。

確かに、そうかもしれぬ

ルキアは、未だ晴れぬ表情の金柑を見つめた。



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