40
その力は彼が物心ついた頃、目覚めた。
蝋燭の光に揺れる燭台の影と小さな影。
「妾の愛した人と同じ力よな。そなたも立派に生くれよ」
床に横たわる女の手を握り締め、必死に呟く子。
「生くれよ、それはかか様よ」
生くれ、生くれ、生くれと子は泣かず懸命に祈り、掌は白く握り締められる。
「成らぬよ、祈りは成らぬよ。かか様が死ぬるは、理よ」
白い顔に映える青い眼はシットリと濡れ、細く響く声は蓮を震わせる。
「かか様、かか様独りは嫌じゃ」
開け放たれた障子に写る影が、小さく沈み込む。
「そなたの力は人の為に使われよ。じじを頼れよ、支えよ。独りでは無いのだよ。いつも傍にいる…」
カタリと音を立てた障子の影もまた、人知れずに沈む。
「かか様、立派になりませう。この名を忘れぬよう」
じじ、と呟けば、静かに障子は滑り、初老の男が頭を垂れる。
「じじ、共に…妾の子、大事な蓮よ…」
音もなく女の足下に近寄り、蓮と共に女の手を祈るように握り、涙を零す男。寒空にキンとした空気の中、大切な者たちを残しながら、それでも腕に抱き女は隠れた。
「かか様…」
白い吐息に感じる温もりは、生きなければと唯一の男を見やる。
「蓮殿」
二人は隠れた女を忍び、彼女の為に自分の為に、と心を決める。
「じじよ、私と共に生きてくれようか」
幼さの残る顔と年老いた男には、柔らかな笑みが浮かべられた。
「はい」
「有り難い、有り難い」
流魂街の小さなあばら屋の前に、質素な着物を纏った二人の男がいた。一人は頭を下げ続け、しきりにに感謝を述べた。
「構わぬよ、出来ることがあれば言っておくれ」
随分な長身の青年と言うには大人びた彼は、男の肩に触れる。
「蓮殿っ!」
仕事を終えた蓮が屋敷の敷居を跨げば、じじの叫ぶ声。深緑、紅葉、池と調えられていた筈の庭は紅葉で染められていた。
あぁ、血なのだな
認識をした蓮は呟く。
「なんだこれは…」
時折鼻に付く甘ったるい香りに、顔が引きつる。
「恐らくはあの男かと」
じじは足下の鉢を抱き、血に塗れた花弁を摘む。今に始ったことではない。蓮は息を吸い短く吐く。
「気にすることでは無かろうよ」
「左様でしょうか」
悲しくも悔しさを重ねた瞳に、蓮は願った。
「これ以上、血を流したくはないよ」
「承知いたし…蓮殿、幸せ、で、もっと呼び、とう…ござい…れん…」
じじに向けられた筈の笑みは消えた。蓮は崩れゆくじじの身体を抱えながら呼ぶ。すると、むっとした甘い香りが辺りに漂い、花弁が舞う。
「お主は頭が足らぬか」
頭上の声に顔を上げれば、何度か顔を合わせた、自身と同じ生業を歩く者。束ねられた銀髪が風に靡き、羽織りが翻る。
「ふむ、お前の友人であろう、あ奴等などいとも簡単に散ったよ、ほらお前の名のつく華だよ」
笑うことなく銀の眼を蓮に向け、握られた手には赤に染められた蓮華が浮かんだ。
「何をした」
分かってはいるのだと蓮は頭の中で肯定をしながら否定をし、男を睨み付ける。こうさ、と開かれた手から浮かんでいた蓮華は消え去り、返した手で蓮が抱くじじを指差す。
「殺したのか」
言葉を発した瞬間、じじは死んだのかと実感をする。
「ああ、そうさ。一つ言っておこう、此の世界には二つの世界がある。死神とあ奴等よ。力を持ちながら、隔離された世界に身を置く我らの立ち位置は如何に曖昧か。私は力が欲しいのさ。お前の力が欲しいのよ。死神に取って変わりたいのだ」
男は口角を上げながら、細い白い指を突き付ける。
「何を言っている…丹京(タンケイ)」
鮮やかに赤に彩られたそこに立つ男、丹京は笑った。
「もう遅い。此の男に掛けた呪詛が分かるか」
くるりと指を回すと、じじを取り巻く呪詛が姿を現す。
「じじに…」
赤い文字は、じじから蓮に絡み付く。
「此奴は、お前が大事な大事な華だったような。死に際に呼ぶ名の者の支配権を渡してもらったのさ。勿論、知らぬだろうよ」
ちとクサかったか、と含み笑いをしながら、丹京は蓮へと歩を進める。
「いつでも殺せると言いたいのか」
スルリと身体に染み入る呪詛の意を知る。
「そうだ、お前は拒めぬよ」
指を回し小さな湯飲みを空から取り出し、口に付ける。
「何故だ」
丹京の無神経さに顔が歪むのが分かる。
「なぁ、力を得れば、生かすことも死なすことも容易。勿論、秘術を作り出すことも」
要点を言わずに言葉を振り回す丹京に、語気を強める。
「何が言いたい」
そんな蓮など意に介さないとばかりに、銀髪を指に絡ませる。
「ふむ、母やコイツを生かせるのだよ」
朝飯前だというかのように言い放つ丹京。
「世迷い言だ」
有り得ない、そんなもの
蓮は立ち上がった。
「まぁ、良い。力の裏付けによる秘術など幾らでもあるからな」
袖を振れば、鳴る小さな鈴の音だけが清らかで。
「黙れ、黙れ!」
心の奥底で求める母親の影を、打ち消すかのように言い放つ。
「貴様は断れぬよ。名は既に手中さ―蓮―よ」
丹京は指で空に銀色の字、蓮の名を綴る。
みるみると赤く染まるそれは、ドロリと垂れて地に吸い込まれる。
その瞬間、蓮を身体の内から切り刻まれるような感覚が襲った。
「はっ、はっ…は…」
息をすることすら、辛…い
「苦しかろう、死なすことはせぬ。力を寄越せばいくらでも好きにすれば良い」
吸い込まれた筈の名を、地から掬い出しながら笑う。
「貴様っ!」
空気が震えるような怒声にすら、丹京は反応することなく名を手に収める。
「忘れておった、貴様の名は此処にある―蓮―囚われの身だ。勝手に死ぬことさえも出来ぬ。この式神は、お前が力を蓄える為ならば必ず尽くそう。意味は分かるか」
懐から取り出した銀白色の人形の式神を、フッと蓮に飛ばす。
「監視か」
収まる場所を知っているのか、スルリと懐に入り込む。
「ふむ、ようやっと賢くなったな―蓮―よ」
鈴の音がいっそう高くなる。
「その名を呼ぶなっ」
ギリギリと噛み締めた唇からは、鉄の味。
「母上は悲しかろうな。愛しい男の名を付けた愛しい息子に、名を呼ぶなと言われたらば」
ふふっと笑う丹京に、蓮は心を決めた。
「良かろう、必ずや術を得よ。さすれば、力を与えよう」
踏み締める地や草から漂う血の香りから、早く逃れたかった。
「ふん、随分な物言いよ。忘れるな、お前の立場を」
わざとらしく蓮華を取り出し、散らせる丹京。
「分かっておる、我が師」
「賢い者は好ましいものだ」
頭を垂れた蓮に笑みを浮かべ、全てをそのままに丹京はひゅるりと姿を消す。
蓮はただ俯くしかなかった。
>>
prev//後
熾きる目次
コンテンツトップ
サイトトップ