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「おい!向かってくれ」

金柑たちが顔を合わせ、出方を図りかねていると阿散井が副官室から慌てて飛び出してきた。彼専用の地獄蝶もスゥと阿散井の後ろから出てきた。

「緊急なのか?」
「違うが、厄介らしい!向坂と金柑で行ってこい」

今の今まで、恋愛沙汰でいっぱいだった頭を即座に切り替えて斬魄刀を掴む。金柑!と呼ぶ向坂に、今行くからと伝霊神機の確認。背中に感じる視線が、痛い。

「行ってきます!」

金柑は、駆け出した。その時、一角に声を掛けられなかったことが気にかかった。行ってこいよ、死ぬなよだとかぶっきらぼうにでも声を掛けてくれると金柑は思っていた。

(馬鹿みたい)

金柑は前を走る向坂の蒼い髪に無性に苛立った。置いていかれないように、足を早めた。


その頃の一角は、向坂の後を追いかけるように金柑が出ていった戸をぼんやりと眺めていた。フツフツとしていた思いは一気に冷め、何しに来たんだよと自嘲。涼やかな頭を撫で、一吐き。

「何だかなぁ」

阿散井は珍しく物思いに耽る元上司に首を傾げ、悪いもんでも食ったのかと勘繰った。そのことを口にして、頭に途方もない痛みを頂戴することになろうとは予想もしていない。


ザクザクと野っ原を駆け、二手に別れざるを得ない状況に向坂は、一抹の不安を覚えた。しかしそうも言っていられない今の状況。現れた四体の虚は最初から二手に分かれ、それぞれの獲物を狙うと決めているようだった。

金柑も向坂も二体の虚にそれぞれ囲まれ、お互いに助太刀出来る状態ではない。金柑もそれを悟ったらしく、向坂に大丈夫だからと片手をあげる。小さな白い手を微かに揺りし、金柑の体は軽やかに攻撃へと転じた。

「心配無用なんてな」

向坂は斬魄刀を抜いた。踏み締められた足元の草を、蹴り上げた。


金柑は自分の喉元を狙う虚の伸縮する触手の鎌を避け、斬魄刀を抜いた。

「キシャアー!」
「ベータ、頭ワルイ」

金柑に避けられた鎌を持つ攻撃的な虚とは反対に、落ち着いたもう一体の虚が背中の羽を広げた。ベータと呼ばれた虚はガンマのはムズカシイと奇声を上げ、触手を頭上で振り回す。

(ガンマが上、ベータは下?)

金柑は双方から距離を取り、三角形になるように下がる。背後に回られてはならないと金柑は考えたのだ。

(あとはガンマが言うより先に動くことかな)

じんわりと額に滲む汗は拭えない。指先が冷たく、手は硬い。一息吐くことが一瞬の隙を生む為、金柑は息を詰める。

「ガンマ、こいつニブイ」
「ベータ、お前は近くからネラエ」

キシャア!と叫びつつ意思の疎通を図る虚を目の前に金柑は、動きを止めることを一番と決めた。

(二匹を纏めるべきか)

鎌でヒュンヒュンと風を切るベータは金柑に近付く。ガンマは微動だにしないが視線は金柑から外さない。金柑は瞬時に斬魄刀を握っていない左手を翳した。

「縛道の三十、嘴突三閃」

逆三角を象ったそれは地を這い、草を剥ぎ、ベータを狙った。鬼道の勢いに圧されたベータは足を縺れさせ、地面に張り付けられる。

「よし!」
「バカカ」

その瞬間、金柑は右手に衝撃を受けた。握っていた筈の斬魄刀が手を離れた。それは最悪の事態だ。

(あっ!)

ダンッ!と野原に叩きつけられた金柑。頬に土が付き、擦れた手の平が痛い。ドスリと貫かれた。

「ァアアァア…!」

(痛い!痛い!)

左脇腹を貫いたのは、ガンマの翼の伸縮した鍵爪だった。真上からニタリと笑い、グリグリと抑え付けるガンマ。

「張り付け、スキカ?」

ブチリと自分の体の一部である鉤爪の伸縮部を自らの手で引き千切るガンマ。

(抜かないとっ…)

どくどくと流れ出る血と速まる鼓動に焦る金柑。背中に染み渡る生温い液体に吐き気を覚える。

「っうぇほ…」

宙に浮いたかと思うと直ぐさま急降下をするガンマに向けて、金柑は双火墜を放った。白煙に隠れたガンマ。金柑は自分のミスに気付いた。

(動けないんだから、確実に距離を取れるか動きを止めなくちゃいけなかった…)

「縛道の六十二、百歩欄干!」

ヒュンヒュンと飛ぶ白光の円柱をガンマに向け、金柑は左脇腹の鉤爪を掴んだ。そして、引き抜いた。

「っあ!ぐぅっ!」

はっはっ、と途切れる息を落ち着かせ、脇腹をとにかく押さえた。灯宵!と声を枯らし、よろめく足を何とか立たせる。辺りを見回すと、煌々と橙の光が輝いた。馬鹿者、と金柑には聞こえた。

ギイギイと喚くベータとガンマ。どちらも長くは止めていられない。ほんの少し走ればいい距離を金柑はダラダラと血を流し、のろのろと向かう。左足に激痛が響いた。

(早く早く!)

伸ばした右手、屈んだ姿勢のままで触れた柄の触り心地に安堵する間もなく金柑は、始解をした。

「燈せ、灯宵…」

ぬらぬらと流れる血液のせいで目が霞み始め、足元がふらつく。

「ギャッハハハ!止め、サス」
「ベータ」

ガンマは触手を振り回すベータを窘めるように一歩前に出て、肩にささる縛道を抜いた。
#NAME1##は、ぼそりと呟いた。

「縛道の三十七、吊星」

死魄装と体を押し付け、金柑は息を吐いた。通常は使わない方法。とにかく何かで傷口を覆いたかった。

縛道を放つ範囲を手の平大という極めて狭くし、本来は支柱となるべく五本の支えを自分の体に巻き付くように操作。完璧な止血とまではいかない緩衝材の縛道。金柑には正解かどうか分からない。ただ脳裏に浮かんだのは、任務を中途半端には出来ないということ。

「っらぁ!」

軋む肉を押さえつけた鬼道が違和感を与えるが、金柑は宙へと飛んだ。そして、ベータの触手を出来うる限りで避け、斬り飛ばす。怯んだベータをガンマが庇うとは考えられなかった。

(所詮、見捨てるだけの下っ端)

罪悪感を覚えたが、ベータの頭上から真っ向へと切り落とす。手に伝う硬い軋みや跳ねる血、昇華される虚の肉体を浴びた。

「あとはお前だけ…」

頭が痛み始め、足はふらつくどころではなかった。今すぐにも、へたりこみそうな程に震えている。

シネ、とガンマが発すると異様に霊圧が高まった。金柑の弱っている体には、堪えた。

(なんで…)
「お前テイドの霊圧なぞ、腹持ちモヨクナイナ」

ギイギイと羽ばたき、上げた霊圧を垂れ流す。それは金柑の傷口に酷く痛みを及ぼした。

「煩い!灯宵!」

手こずることは許されないな、と静かに怒声を含むのは金柑の斬魄刀の灯宵。聞こえるのは金柑だけだ。

「金柑、宵咲だ」

ジワジワと手に広がる温もり。刀身が淡い橙から薄紫へと変わる。金柑は切っ先をガンマに向け、ひょぅと息を吸う。脇腹に走る痛み。

「ギャァアア!」

下卑た奇声を放つガンマは、金柑に飛び掛かる。

「宵咲(よいざき)」

金柑はガンマの爪を左腕に受け、右手に握る刀を袈裟にガンマの側頭部から斬り掛かった。

すると金柑が斬りつけたガンマの側頭部からシュウシュウと蒸気が上がったかと思うと、ヒョウヒョウと冷気が吹き出す。ウギャアァァ!と叫び、手で側頭部から仮面を覆うガンマ。金柑は体を引かずに、斬魄刀を引き抜いた。

「っあ!」

ガンマは金柑の左腕から抜いた腕を振り回す。ベータに比べて、頭のキレるやつかと思っていた金柑は、そうでもないのかと考えた。

後退りをするガンマ。金柑は追い込むように体を前進させて、斬魄刀を横一線に斬り放つ。パン、と飛ぶガンマの右腕。そして仮面の隙間から消えていく霊子。

(昇華できた…)

思ったよりも手こずった結果に金柑は、どこかしらにあった自分の驕りに気付いた。

(すぐ済むと思ってたかな…)

まだまだだ、て自分を奮い立たせて傷口を押さえる。出来る範囲の軽い処置を終えて、向坂の元へ。

(帰るのイヤだな)

張り付く死魄装とこびりいた血。引き攣る傷口に霊圧を当てながら、ガンマの言葉を思い出す。

(私程度の霊圧か)

これが現実だ、と金柑は最近、目まぐるしく変わる自分自身や自分の周りの環境にのまれていたのかなぁと遣る瀬無い気持ちになった。

同時に、もっと自分の在るべき様を理解しなくちゃいけないと明白になった気がした。そして脳内を占めていたあの男のことに綺麗に蓋をした。今はまだ、その時じゃないのとばかりに。

見上げた空は垂れ込めていたが、金柑の心は晴れ晴れとしていた。


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