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檜佐木は、九番隊道場の鴨居に手を引っ掛けたまま、うなだれた。
こいつらは…
いや、俺も嫌いじゃないぜ
こういうのはよ
檜佐木は目の前で繰り広げられている惨状から、逃避をしたかったが、出来ずにいる。
それは、止めるべき立場の人間であるということと相反して、もっと見ていたいという自分がいたからだ。
実際に寒椿に知らされた時、楽しみの余り筆をへし折ったのだから。
「成長したんだ?」
雨辺が鍔ぜり合いに持ち込み、ニヤリと笑う。
背の高さが違う二人の鍔ぜり合いなど、高が知れている。
けれど、雨辺がわざと鍔ぜり合いに持ち込んだことに金柑は気付かない。
「どうも、です」
時折擦れる右手の指の付け根が、赤くなった。
「遠慮、するなよ」
−ガツン!
木刀がかち合う音と同時に、金柑は後ろに引いた。
その拍子に木刀を握る手が緩んだ。
その様子を見逃さないように、雨辺はすぐに距離を詰め、大きく且つ早く振りかぶる。
ムッと眉を顰めた金柑を雨辺は、更に追い込んだ。
−ダン、ダダンッ
金柑は纏わり付く袴を左手で捌き、小さく下がった。
そのまま間合いを詰める雨辺に木刀の刃を返し、逆袈裟に払う。
当たれば良かった、と心から思えない自分に、小心者かと悔しくなる。
が、それもまた間違いかと思い、握り直す木刀。
「そろそろ決めようか」
「ですね」
「あれま、俺が寒椿に軟禁されている間に。檜佐木副隊長、如何ですか」
檜佐木と大して変わらない背の向坂は、檜佐木同様に鴨居に手を伸ばす。
視界に入った蒼い髪を追いやり、身体の力を抜いた。
「これさ、鍛練だよな。つかさ、誰も口外してねぇよな」
「あ、斑目三席が」
「なら大丈夫か。あぁ、身体が疼くな」
「え…」
「馬鹿、違うからな!」
妙なやり取りをする檜佐木と向坂の存在に気付かない二人は、遠間を維持して、そろりそろりと出方を窺う。
右足、左足を軽く引き付け、いつでも動けるように足を止めない。
金柑と雨辺の木刀が触れ合う一足一刀の間。
−カン、カチ
スルリと抜けた雨辺の木刀は、無駄なく金柑の正面に向かってきた。
−ガン
−ガラン、ガラン
「あ」
沈黙の道場に響いた声は当人達ではなく、檜佐木たちでもなかった。
漸く執務室から抜け出せた一角だった。
金柑は雨辺の木刀を下から掬い上げて、そのまま木刀を首筋に紙一枚の差で突き付けていた。
「負けた」
「え、あ、ありがとうございます…」
今まで一度も勝ったことのない相手に勝利。
それも、雨辺相手に。
金柑は嬉しくもあり、悲しくもあった。
短い間とは言え、好きだった訳だし
強い人でいて欲しいし
金柑は複雑な思いを拭えないものの、これで雨辺のことを気にする必要もなくなるだろう、今まで以上にと何の気なしにそう思えるような気がした。
「善戦したのか?」
「面白かったスよ。ね、檜佐木副隊長」
「まぁな。お陰で身体が疼くぜ」
「あんっ?」
「結構です、檜佐木副隊長」
あ、皆、来てる!
金柑は求められた握手を早々に切り上げ、軽い足取りで三人の元へ走り寄った。
「無邪気だな」
「無邪気っていうか…無邪気ですね」
「つか、檜佐木は顔が緩んでっぞ」
副隊長なんだけど、と真顔で一角に説く姿には、哀愁が漂っていると向坂は思った。
その夜、金柑が向坂と一角に連れられた赤提灯の居酒屋は、いつもと同じ所で。
えーと反抗しようとした金柑は、懐が寒かったと二人に財布を見せられ、呆れた。
「悪かったって。ほら、今度は一角さんに良い店に連れて行ってもらえよ」
「は!?」
「そうしますー」
ぷらぷらと肩を並べる三人の影は、連なる店の明かりによってより濃くなった。
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