05
朝練が真田を助ける会議となったその日、真田は結局朝から落ち着かず、好きな日本史もなかなか頭に入らなかった。
気付けば、折り返し地点の昼休みを迎え、目の前には笑みを浮かべた柳生がいた。
普段以上に無口な真田を目の前に、柳生の箸は進む、進む。カタリと箸箱を納めると、柳生は真田の意識を引き戻した。
「どちらにせよ、放課後しか時間はないですよ。約束しなくては」
逆光の柳生の眼鏡に、怯むなかなか見ることの出来ない真田に、柳生は零れそうになる笑みをどうにか抑える。
(味を占めてしまいそうですね)
「さ、行きましょう」
はて、と首を傾げる真田など可愛らしい訳がなく、柳生は早くお食べなさいと言い付けた。
渋る真田を連れ、柳生はほくそ笑む頬を隠しF組へと来た。
騒々しい喧騒に苛立つ友人を嗜め、柳生は友人を探した。
「柳君、宜しいですか」
自分のことは自分でして下されば良いのにと今まで見たことのない真田の表情に柳生は、少しだけ理不尽さを拭い去れなかった。
(が、楽しみもあるのでプラマイゼロですね)
「プラマイゼロ、だな」
笑うことなく柳は、二人の前に立つ。
「呼んで来よう」
柳の言葉に我に返った真田は気付いた。
(何も考えておらんではないか!)
「たるんどるっ!」
柳生に何事かと睨まれた真田を、風子は遠目から首を傾げた。
「いくらか話したいことがある。部活前に来るが、良いか」
思ったよりスムーズに話せた自分に満足した真田は、風子の返事を待つ。
こそばゆい気がした。周りからの視線が、特有の視線ではないだろうかと。
実際は、真田が女子と話しているという意味での僅かに異なる好奇の視線。
午前と変わらない様子の真田にクラスメイトは、何があったのかと度々柳生のもとを訪れた。
さりとて、大したことではありませんよと微笑む柳生に皆、明日の真田の変化を期待した。
そして放課後、真田は廊下を走る丸井を一喝しF組に向かった。
(落ち着いているではないか)
朝はドンドコと跳ねていた心臓を思い出す。
F組の前に差し掛かると、柳がテニスバッグを肩に凭れていた。
中にいると示すと、真田の隣にいた柳生と連れだって静かに昇降口へと向かう。
(これが赤也ならば、呼び止めるのだろうか)
可愛いげがあるのか、ないのかイマイチ分かりづらい後輩が頭を過ぎった。
まだ夕焼けにすらなっていない陽を背に、風子は窓際に立っていた。
小さな背にぽよんと垂れるポニーテールを見て真田は、妙な気分になった。
果たして自分が誤解したことを伝えたならば、彼女はどんな表情をするのだろうか。
(納得して無かったことに
実は私もだった、とか
果ては、涙を流すのか)
真田は教室に入るのを躊躇った。しかし、ガタンと音を立ててしまった。扉に足をぶつけたせいだ。
(たるんどるっ!)
風子は真田に気付き、何だったのかなと傍に寄ってきた。
真田と風子の距離は、床の板七枚分。数える余裕があることと、遠いなと思った。
それは風子も同じだったらしく、照れるからと笑った。
「付き合うということは、俺のことを好いているということか…」
口に出したつもりはなかった。が、実際は出ている訳で風子は、えっと固まった。
風子は、真田を見上げたまま何を言うべきかと焦った。
考えてみれば、好きだから付き合ってと言った訳ではない。
(その『好き』という二文字を言わなくちゃいけない…てことだよね)
おたおたしている風子の顔は真っ赤で、握りしめているハンドタオルの絵柄が終に全く見えなくなった。
沈黙と言えば沈黙の教室にチッチッチッと秒針を刻む音だけが二人を包む。
先に口を開いたのは、真田だった。
「俺はお前のことを知らない。クラスが一緒になったことがない。だから、知りながらという形になるが良いのか」
考えていたことと全く違う言葉に、真田は自分でも分からなかった。
「うん、よろしくね」
はにかむ風子に、まぁ良いだろうと珍しく柔らかに考えた。
まだ残るという風子を教室に残し、真田はテニスバッグを担ぎ直した。
「良稚ね、良稚風子」
好きに呼んでと笑う彼女に真田は、あぁと応じた。
「バイバイ、真田くん」
ハンドタオルは左手に、右手はひらひらと揺れている。
(こそばゆい)
真田は、緩む頬を抑え部室に急いだ。
こそばゆい
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