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スクールデイズ2


とても気持ちの良い午後だった。
あんなに猛威を奮って、去ることを知らないのではないかとすら思えた夏の日差しは漸く翳りを見せ、ここ数日はその余韻すら感じることはなくなった。陽が翳ると肌寒くすらあるのだが、午後の温い日差しが肌を温めてくれる分には申し分のない気候であり、昼食後の身体には少しばかりきついのだ。頭を振った所で眠気が飛んでくれる訳もない。欠伸を一つ、小さく噛み殺して、食べ終えたパンの外袋をまとめた。
午後の授業は数学だ。あの教師は厳しいことで有名で、解答者を指名するのも規則性がない為授業中は全く油断できない。こんな酸素の足りない脳みそで臨むには、少しばかりハードルの高い授業なのである。
ざわざわと賑やかな教室では仮眠をとることも出来ない。例えばこれが、屈託ないのに物怖じしないアラジンならば、この喧騒の中でも何もせずに眠ることが出来るのだろう。もしかしたら夢の一つも見られるのかもしれない。
だが、生憎とアリババは、ここでは仮眠すらとれない。

(こんなんだから、あいつにからかわれるんだろうけど)

脳裏によぎった不快な残像を追い出そうと頭を振ったが、やはり今度もそれを追い出すことに失敗する。
ジュダル、この学校の有名人。
初対面で平手打ちをくらってからと言うもの、何が気に入らないのか、または何が面白いのか甚だ理解出来ないが、彼は事あるごとにアリババに対していやがらせ行為を行ってきた。
面倒だし、何より不要な心配は掛けたくないと親友には周囲には気取られない様にしていたが、日に日にエスカレートするそれに、アリババは頭を抱えるしかなかった。
問題なく周囲に馴染み、特別成績が良い訳でもないが、扱い易さや協調性を考慮すれば、教師からの評価は「優等生」の部類に入る。世渡りが上手く、プライドを守ることよりも軋轢を避けることを優先してきたアリババはいじめの対象になることはなかった。嫌味な人間に心ないことを言われることもあったが、いちいち気にしていたらきりがない。はは、と笑顔で受け流す、一種の諦めの良さでそれらをやり過ごしてきた。
そんなアリババが些細な嫌味や陰口でめげることはなかった。大体、そんな場面に出くわすことも少なかった。
とにかく、生まれて初めての理不尽ないやがらせに、アリババは戸惑うと同時に不快感を味わっていた。

(あんな奴の前で泣くなんて)

はぁっとため息を吐くと同時に頭痛がした。
頭上から大量の水を掛けられたあの日、アリババは放課後の教室で一人泣いた。それだって、泣くつもりで泣いた訳ではない。へらへらしているようで負けん気の強いアリババにとって、あのジュダル泣き顔を見られるのは屈辱以外の何物でもなかった。悔しさから自然と零れ落ちた涙を、よりによって元凶であるジュダルに見られたのだ。
奥歯を強く噛みしめる。丸めたパンの空き袋をごみ箱に入れ、昼休みで賑わう教室を出た。
昼休みの校内はどこも賑やかだ。短い時間ではあるが、慌てて次の授業の課題をしている者や、友人とはしゃぐ者、各々が思う様に時間を過ごしている。
一年生が二階、二年生が三階、三年生が四階と、学年毎に階が分かれているこの学校では、放課後や始業前を除いて、特別教室しかない一回は他の階に比べると静かだった。昼休み中に校外に出ることは禁止されていた為に、一部の者以外は玄関にも出ない。
遠のいていく喧騒にどこかでほっとしながら、アリババは滅多に使われることのない視聴覚室に入った。静かにドアを開けて中の様子を窺うが、人の気配はない。
広い教室で誰もいないのに、端の席を選んで座ってしまう自分の性格をなんだかなぁ、と思いながら、アリババは机に顔を突っ伏せた。ゆっくりと目を閉じて、意識を手放そうとする。
が、眠ろうと努力すればするほど意識ははっきりと覚醒する。さっきまでは確かに眠かった筈なのに、こうして一人静かな環境に身を置いていざ寝ようとするとなかなか眠りにつけないのだ。自分のことでさえ儘ならない、と考えれば、自然と浮かぶのはあの男の厭らしい笑みだった。

「嫌な奴のこと思い出しちゃったな」
「嫌な奴って誰のことだよ?」

ぽつりと呟いた独り言にしかし、予想外の反応がありアリババは驚いて振り返り、そして予想外に近くにあったその端正な顔にびくりと肩を揺らした。
アリババがあからさまに動揺しているのを見て、男は満足そうに口端を吊りあげた。それは、先ほどアリババが思い浮かべていた、あのチェシャ猫みたいな笑みそのままだった。

「どうしたんだよ、アリババクン、そんなに動揺しちゃってさ。もしかして、嫌な奴って俺のことか?」
「な、んで、ここに」
「俺がどこにいようと俺の勝手だろ。つーか否定しないのかよ、ひどいなお前」

こんなに良くしてやってるのによ! と、男――ジュダルは、芝居がかった所作で言い放つ。
ジュダルが目の前にいる、それだけでアリババは息苦しさを感じた。こんなことになるなら仮眠を取ろうなどと考えずに、大人しく教室で予習でもしているべきだった。そうは考えてもこの現状が覆る訳もなく、アリババは黙って俯いてただただこの厄災が過ぎゆくのを願うばかりである。

「まぁた、だんまりかよ?おい、今日はお前に聞きたいことがあんだ」
「な、んだよ」
「なんで泣いてた」

息が詰まった。
ここまでストレートにあの時にことを話題に出されるとは思っていなかったし、大体、何で、なんて決まっているじゃないか。ジュダル以外にアリババが泣く理由などないのだ。それをわざわざアリババに確認する、その意図がわからない。この男は、とことんまで俺をいたぶりたいのだ、とアリババは思った。苛めて、貶して、再起不能のどん底まで追い詰めるつもりなのだ、と。

「ねぇ、何で?何で一人で泣いてた?」
「そ、れは」
「なぁ、教えろよ、なんで?」
「……っ、お前には関係のないことだ」

我慢ならなかった。これ以上この男に、自分の領域を侵されてたまるか、と思った。
震える声で初めて反抗的な態度をとれば、頭上からへぇ、と息の抜けた声が聞こえた。とてもじゃないが顔をあげることが出来ない。
アリババはただ息をのんで、目の前の男に意識を集中させた。

「……生意気」
「へ、」

途端、胸倉を掴まれて、脳裏によぎったのは初対面のあの平手打ちだった。殴られる、と反射的に眼を瞑り衝撃に備えていたアリババの閉じられた視界に影がかかり、来ない衝撃に目をゆるゆると開けると、目の前にジュダルの顔があった。
あ、と口を開けかけた瞬間、生ぬるい何かに、口を封じられる。

「……んぅ」

遠慮なしに、一層乱暴な程に咥内を荒らされていく。口蓋を舐めて歯列をなぞって行く動きに、アリババは呼吸を忘れて瞠目した。
ジュダルにキスされている、その有り得ない現実を理解するまでにどれくらいの時間がかかっただろうか。忙しなく動く舌の動きに翻弄されて呼吸が出来ない。後頭部を抑えられているから離れることも出来ない。霞んでいく意識の中で、はっきりと感じるのは嫌悪感だった。
男に、あのジュダルに、キスされている。気持ちが悪い。
力いっぱいジュダルの胸を叩いてどうにか離れようと抵抗するも、背中と後頭部を抑えつけた腕の力は一向に緩む気配はない。ジュダルの温い体温がじんわりと制服越しにアリババに伝わる。身体は嫌悪で冷え切っているのに、頭の芯はひどく熱い。
角度を変えて何度も何度もしつこく繰り返される口付けに、息苦しさから生理的な涙が滲んだ。

「ああ、やっと泣いた」

ほんの数十秒、数分の出来事だったかもしれない。しかしそれはアリババにとって、何時間にも相当するほどの時間だった。状況をうまく把握できないまま、漸く解放されてその場に力なく座り込んだアリババに、ジュダルは軽い口調で言い放った。
肩で息をするアリババの前にしゃがみこんで、目を逸らそうとするアリババの顎を掴み無理やり視線を合わせると、ジュダルは優しい手つきで目尻ににじんだ涙を拭い、その指を舐めた。

「やっぱり泣き顔の方が似合うな、お前」
「触るな…!」
「そう睨むなって。お前のことは嫌いだけど、泣いてるお前は嫌いじゃなんだからさ。なぁ、もう俺の前以外で泣くなよ?」
「つぅ……っ」

そう言って彼は、教室の隅に座りこんだままのアリババの首筋に思い切り噛みついた。鋭い痛みが走り、また新たな涙が頬を伝う。
その涙を、今度は口を寄せて吸ったジュダルの動作は柔らかく、まるでアリババを慈しんでいるかの様だった。



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