メイン | ナノ




ご近所戦争



私は現在、和菓子屋で働いている。
特に何かやりたいことがあったわけではない。あったわけではないから、昔から顔見知りだった近所のおじさんにうちの店を手伝わないか、と誘われた時に深く考えずに頷いたのだ。
元々、私自身は食が細く、口に入ればそれで良いと思っていたものだから、食べ物のうまいまずいすらよくわかっていない。そんな私が和菓子職人を目指すのはさすがに気が引けたので、こうして店番や経理を買ってでたわけである。
私自身は食が細く、口に入ればそれで良いと思っていたのは事実だが、美味しいものを食べている他人の顔を見るのは好きだった。ほっぺたが落ちると思っているのか、頬に手を添えて口をいっぱいに引き上げて笑う彼等を見ているだけで私まで幸せな気持ちになれた。
人生80年、1日3食で単純計算して生涯87600食、それに間食を加えれば100000食。食に楽しさを見出だすことが出来れば、生きてる内に100000回もの幸福を味わえるのだ。みすみすその幸福を手放している自分は損をしているとは思うのだが、如何せん食に対する興味は薄い。
それならば、おいしいものを食べている人を見て幸福のお裾分けをしてもらえばいいじゃないか。
後付けではあるが、そんなことを考えながら日々働いている。
私が働く和菓子屋は、近所の人々に馴染みの店ではあったが、老舗と言うには新しすぎた。先代から数えて30年ほどの歴史を感じさせるのはその内装の染みくらいである。取り立てて有名なお菓子があるわけでない、だけど昔からの付き合いでご近所さんが贔屓にしているからそれなりに繁盛はしている。質実剛健、実に素晴らしいではないか。

話は変わるが、最近この勤め先である和菓子屋の斜め迎えにやたらしゃれた洋菓子屋が出来た。
フランスで修行を積み、有名な賞をとったこともある新進気鋭のパティシエが開いた洋菓子店らしく、オープン初日には三軒先までの列が開店から夕方まで続いていた。テレビやグルメ雑誌の取材も入っていたようで、その騒ぎは普段静かな商店街が浮き足立つには十分であった。
話題だけならば一月もすれば客足は遠退くだろう。
そう考えて、件の洋菓子店の影響が直撃した帳簿を見ながらため息を吐いたのは3ヶ月前のことだった。
3ヶ月前よりも悲惨さを増した帳簿を見て、私にできることは頭を抱えることだけであった。
これはまずい。非常にまずい。このままでは採算なんてあったものじゃない。
件の洋菓子店は何を好き好んでうちの斜め向かいになんて店を出したのだ。大体、人気パティシエならばこんな寂れた商店街ではなくて、もっと立地条件の良い土地に出店すれば良かったじゃないか。
雑誌やテレビで取り上げられる人気パティシエであるオーナーシェフは、爽やかな笑顔と精悍な顔立ちで若い女性からマダムまで、幅広い層に大人気らしい。
料理人なら、顔じゃなくて料理で勝負しろ。
ああ、いけない。私としたことが苛々しているようだ。他人のせいにしてはいけない。平常心、平常心だ、ジャーファル!

「ジャーファルくん、今日はおはぎをもらおうかな」
「帰れ」

爽やかな笑顔と精悍な顔立ちで注文を告げた人気パティシエ様に、普段出ない悪態が飛び出してしまったのは、まぁ、仕方がないんじゃなかろうか。

「ハハハ、ジャーファルくんは相変わらずクールだな」
「あんた毎日何しに来てるんですか、本当に……」
「買い物に決まってるだろう」
「自分のところのケーキを食べれば良いでしょう」
「ケーキばかり食べていると和菓子が恋しくなるのだよ」

悪態をついても笑顔を崩さない人気パティシエ、シンドバッドは開店から毎日毎日毎日毎日うちの店に買い物に来る。
ふらりと立ち寄り、和菓子を1つ買い、一言二言会話を交わして去っていく。
最初こそ商売敵の敵情視察かと思い警戒していたが、あんまりにも通いつめてくる彼に警戒を通り越してぞんざいな扱いしか出来なくなってしまった。何が目的なんだ、何が。

「そろそろ戻らないとな。じゃあな、また来るよ」
「来なくて良いから仕事しろよ」
「商売敵の心配をしてくれるのか?」
「アリガトウゴザイマシター」

何を言っても暖簾に腕押し。薄ら笑いで見送った彼は、やはり爽やかな笑顔と精悍な顔立ちであった。胡散臭い。



経営状況はいよいよ切実さを増していた。
家族経営で細々とやってきた和菓子屋だ。こうなってくると、危ういのは私の立場である。
気の良いおじさんにもいつも笑っているおばさんにも、本当にお世話になった。人の良さから私に解雇を言い出せずにいるであろう彼等を見ているのは、耐えがたかった。
特に何かやりたいことがあったわけではない。あったわけではないから、昔から顔見知りだった近所のおじさんにうちの店を手伝わないか、と誘われた時に深く考えずに頷いたのだ。
それならば、私はここから去るべきだろう。

「こんにちは、ジャーファルくん。今日は栗きんつばをもらおうかな」
「ああ、いらっしゃいませ。栗きんつばですね」
「……ジャーファルくんが普通に接客してくれた」
「あんた私のことなんだと思ってたんですか……」

辞めると決めてからは、1日いちにちを大切に過ごしている。一人ひとりのお客様へ真心を込めて、百円の売り上げに感謝しながら日々を過ごす。
するとどうだろう、この目の前の胡散臭い彼にさえ慈愛に溢れた笑顔を向けることが可能となったのである。
まぁ、こうなった原因の一級戦犯は彼なのだが。

「150円です」
「はい、ちょうどある」
「ありがとうございました」

手渡した商品の入った小さな紙袋をじぃっと見つめた後、彼は思い立った様に私を見て口を開いた。

「君はどうしてここで働いているんだ?」

……どうしてこの人は、私がここを辞める日にそんなことを聞くのだろうか。
事情なんて、私が辞めることなんて知らない筈なのに。今まで散々どうでも良い話ばかりをしてきたのに、どうしてそんなことを今日に限って聞いてくるのだ。

「…美味しそうにお菓子を食べる顔が好きだからです」
「……そうか」

じゃあまた明日、と言ってやっぱり爽やかな笑顔で彼は去っていった。
明日など、ないのに。



和菓子屋を辞めてから一週間が経った。
何だかすぐに次の職を見つける気になれず、絶賛ニート満喫中の私はリストラされたサラリーマンよろしく昼間の公園でブランコを漕いでいた。なかなか切ないものがある。
ブランコは漕ぐ度にぎぃぎぃと錆びた音を出し、それがまた切なさを増幅させる。

(そろそろ次の職を見つけないと、)

すっかり秋めいてきた、空気はぐっと冷え込んでいる。歩いていれば然程感じないが、こうして黙っていると指先と鼻の頭から冷たくなっていく。
さて、どうしたものか。
特に何かやりたいことがあったわけではない。あったわけではないから、昔から顔見知りだった近所のおじさんにうちの店を手伝わないか、と誘われた時に深く考えずに頷いたのだ。
その筈だったのだが、存外私はあの職場、仕事を気に入ったらしい。最後まで申し訳ないと目に涙を浮かべながら頭を下げてきたおじさんを思い出すと、ちくりと胸が痛んだ。
また、菓子屋の職でも探してみようか。

「ジャーファルくん?」
「え、」

思案に夢中で気付かなかったようだ、呼ばれて顔を上げればシンドバッドさんがそこにいた。

「急にいなくなるから心配していたんだよ。あそこを辞めるなら、言ってくれても良かったのに」
「はぁ」
「まぁ良かったよ、またこうして会えたんだから」

心配?この人が?私を?
困惑する私をよそに、彼は隣のブランコに座りゆらゆらと揺らし始めた。

「あの…、何かご用でしょうか」
「ああ、前から言おうと思っていたんだが、なかなか言い出せなくてね。だが、君が辞職したのならば遠慮する必要もないだろう」
「はぁ」
「ジャーファルくん。君、うちの店で働かないか?」
「……は?」
「以前から考えていたんだ。俺は経営や桂里面に無頓着でね。それに販売員も男性に頼みたいのに、いくら募集をかけても女性しか集まらない。俺の知り合いの男は、接客には不向きな奴らばかりだからそいつらにも頼めないし…」
「ちょっと、」
「ジャーファルくんがうちに来てくれれば、問題は全て解決するんだ!」
「あ、あんた何言ってるんですか」
「言っていただろう?美味しい物を食べて幸せな顔もしている人を見るのが好きだって。うちにはイートインスペースもある、君には最適な職場だよ」
「だって、あなたとうちは商売敵……」
「もう違うだろう?それに、君がうちに勤めたからって和菓子屋への裏切りにはならないよ。実は和菓子屋の主人にはもう話してあるんだ。君をよろしく、っ仰有っていたよ」
「……根回しまでしてたんですか」

あまりの展開にうまく言葉が出てこず、頭を抱えた。

「そのくらい、君が必要だってことさ」

この爽やかな笑顔と精悍な顔立ちの男は、さらりと口説き文句まで言ってのけるのか。さぜや女性にもてるのだろう。
だって、女性でない私ですら、正直少しだけ、ほんっっの少しだけだが、ぐらっときた。

「……よろしくお願いします」
「ああ、そう言ってくれると思っていたよ!ありがとう!こちらこそよろしくな、ジャーファル」

もう呼び捨てかよ、とか言いたいことは諸々あったのだが、この笑顔で手を差し出されては何も言えまい。

「よろしく、シン」

差し出された手を握り返して意趣返しにと彼を呼び捨てたつもりが、逆に笑みを深くされてしまい、いよいよ私は何も言えなくなってしまったのだった。



111007

[ 5/12 ]

[*prev] [next#]




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -