黒バス | ナノ






「つまらない」

 ほら来た。だから言ったじゃないですか、と言い返す代わりに働かない表情筋を目一杯動かして鬼の形相のつもりで睨みつけてみたが、さすが赤司君。そんなボクには全くお構いなしに平積みされている新刊を一冊手に取りそのタイトルを音読した。

「本屋なんていつでもいけるだろう」
「いつも出掛けている所に連れて行けと言ったのは君です。だからボクはいつも出掛けている所に来ました。文句は一切受け付けません」
「黒子。僕は一般人の言う『遊び』がどのようなものか知りたいんだ。こればっかりは調べても実感が伴わないからね」

 正しいことを言っているのはボクの筈なのに、『全てに勝つ僕は全て正しい』を地で行く赤司征十郎さん(19)の前ではそんな正論役に立たない。まるでボクの方が聞き分けのない子どもであるかのように肩をすくめて困ったように笑われてしまった。解せない。

「じゃあ、君が調べたって言う『遊び』がどんなものか教えてくださいよ」
「そうだな。カラオケにゲーセン、ショッピング、ドライブ、あとはアウトドアスポーツか」
「なんですか、どの筋からの情報ですかそれ」
「グーグルだ」

 頭は良いのにどこかずれている。ルールを覚えただけで初めてのゲームで運さえも味方につけてしまう全て正しい赤司君の風俗の先生はまさかのグーグルだった。
 確かに赤司君の挙げた『遊び』は多くの学生にとって一般的な遊びだろう。でも、彼にそれらを紹介した所で満足してくれるのだろうか。近所の大型スーパーでさえ物珍しそうにきょろきょろしていた彼のことだ。きっと、幼い頃からボク達とは違う感覚で過ごして来て、みんなが経験してきた『遊び』も知らないのだろう。
 何故だかボクには、彼の言う『遊び』が、大学生としてのものではなく、成長過程で誰もが経験してきた『思い出』なのではないかと言う気がしていた。

「遊園地に行きましょう」

 気が付けばボクは、彼の返事を待たずに左手を引いてバス停に向かって歩き出していた。ちらりと横目で彼を見れば、呆けた顔でボクを見ていて、すうと胸がすく思いがした。今まで散々振り回されてきたんだ、たまにはボクだって赤司君のことを驚かせたい。
 一番近くの遊園地まではここからなら無料送迎バスが出ていた筈だ。バスターミナルで時刻表を確認すれば、あと十分程で遊園地行きのバスは到着するようだった。休日のせいで人の多いターミナルで、赤司君と並んでバスを待つ。強引に行き先を決めたボクに、彼は何も言わなかった。

「初めてだな」

 赤と黄色にカラーリングされた車体に乗り込み、一番後ろの席に座る。不意に呟かれたその言葉は独り言のように窓の外に向けて放たれたが、それでも彼の後頭部が嬉しそうに見えて、ボクはまるで子どもをあやすような声色で良かったですね、と答えた。



「あれはなんだ」
「バイキングです」
「乗客が全員悲鳴をあげているが、拷問か何か」
「君の目にはここが処刑場に見えているんですか」

 物騒なことを言いながらも彼の目は知的好奇心で爛々と輝いていた。その様子がいつもの不遜な赤司君とかけ離れていて、おかしくて笑ってしまう。園内マップを見ながらまずどれから乗ろうかと考えていると、腕を引かれた。

「黒子、あの乗馬を模した乗り物はなんだ」
「乗馬……。メリーゴーウンドです。小さな女の子が好んで乗ります」
「よし、あれに乗ろう」
「えっ、ボクもですか」
「当たり前だろう」
「男子大学生二人でメリーゴーランドはちょっと絵面的に悲惨なことになると思うんですけど」
「何を言っている。乗馬は大人のスポーツだ」
「いや、だからあれ乗馬じゃないですって……」

 何を言ってものれんに腕押しで、彼はボクの言うことに耳を傾けてくれない。ずるずると引きずられながら幼女に紛れて列に並んだ。正直すごく恥ずかしい。
 乗客の年齢層が限られているせいか、メリーゴーランドは他の乗り物に比べると待ち時間が少ない。すぐに順番が回って来て、赤司君は水色のたてがみの白馬に、ボクはその隣の茶色の馬にまたがった。
 ファンシーな音楽と共に馬たちがゆっくりと回り始め、柵の外では幼女たちの父親と思しき人たちがカメラ片手に手を振っている。赤司君とボクは、幼女たちの微笑ましい思い出の一部となったのだ。正直すごく恥ずかしい。
 果たして赤司君はこれが楽しいのかと隣を見れば、彼は真顔で白馬に跨っていた。ルックスだけならまさに清廉とした王子様然としているが、真顔は怖い。この王子様は口を開けば増税とか処刑とか言い出しそうだ。
 居た堪れない五周が終わり、無言で馬から降りると彼は憂い顔でぼそりとこう言った。

「……少しばかり恥ずかしいな」

 だからあんなに言ったのに。
 どんよりとしている彼の気を晴らそうと、次は絶叫系かお化け屋敷に入ろうと提案する。

「あの上から下に落ちているだけの乗り物はなんだ。あれは面白いのか」
「ああ、まぁあれはあれで。赤司君絶叫系大丈夫ですか……って初めて来たんだからわかりませんよね」
「分からない。乗ろう」
「君のその何にでも果敢に挑んでいく所、本当に尊敬します」

 果敢にも人生初遊園地でメリーゴーランドの次に選ぶのがフリーフォールだと言うのが何とも赤司君らしい。張り切ってボクの腕を引っ張る彼に大人しく着いていき、きゃっきゃと騒ぐ友人グループや恋人同士に挟まれて順番を待った。待っている最中も赤司君はきょろきょろと周囲を見渡してはあれはなんだ、と質問を投げかけてくる。
 人のことを全く言えた義理ではないだのが、赤司君はいつも綺麗な笑みを浮かべているが感情が読みにくい。明らかに周囲の人間よりも頭十個分くらい突きぬけている彼は、綺麗な笑みではっきりとした境界線を示しているのだ。例え優しい言葉を掛けられても、それは目下の者に対する労いであって、対等な人間同士の気遣いではない。彼の浮かべる笑みは、与えられた者としての義務によるものなのである。
 そんな彼が、今は真顔で周囲を気にしながら視線を泳がせている。恐らく、楽しんでくれているのだと思う、思いたい。

「凄いな、あんなに悲痛な叫び声をあげているのに、降りてきた客の中には笑顔も多い」
「好きな人は好きですからね」
「たくましいな……」

 そわそわと落ち着きなくフリーフォールを見上げる横顔は少しだけ幼く見えた。



 結局、赤司君は絶叫系をいたくお気に召したようだった。落下の直前から真顔で声もあげずにいた彼だったが、降りた後もずっと乗客が悲鳴をあげている乗り物ばかりに乗りたがっていたから、気に入ってくれたんだと思う。多分。
 遊び疲れてお腹も減ったから夕暮れの園内を後にした。賑やかな園内にいたから、地元の駅に着いた時の静けさに、祭りの後のような物悲しさを感じる。冬の冷たい空気がそれを助長した。

「お腹空きましたね」

 ぽろりと零れた言葉に、赤司君がこくりと頷く。これから真っ直ぐ家に帰っても、夕食の準備には少し時間がかかる。作るのはどうせ肉野菜炒めだが、それだってそれなりに時間はかかるのだ。

「コンビニで肉まん買って帰りましょう。お腹がすいて料理どころじゃありません」

 ボクの提案に、赤司君が首を右に傾げる。

「肉まんか。食べたことがないな」
「なら尚更コンビニ寄って行きましょう」

 駅の隣にあるコンビニに入り、肉まんを二つ注文する。店を出てすぐに彼に一つ手渡し、もう一つに歩きながら齧り付いた。
 ボクの様子を見ていた赤司君もそれに倣い、湯気を立てる柔らかい皮にがぶりと齧り付く。熱い、と途端に口を離した彼を笑うと、片手で頬を抓られた。

「悪くないな」
「おいしいでしょう?」
「肉まんもそうだが、こういうのも」
「喜んでもらえたようで何よりです」

 最寄り駅から自宅までは徒歩五分。肉まんを食べ終わる頃にはもう家に着く。短い道のりを、肉まんを頬張りながら二人並んで歩いた。

「そう言えば赤司君って大学どこですか?」
「東大の理科三類」
「え……! ってもう驚きませんよ、君のハイスペックは天井なしにも程がありますね」
「そんな大したことはないさ」
「大したことありすぎでしょう……。医者になるんですか?」
「それは考えていない。やりたいことはたくさんあるから、とりあえず最高峰と呼ばれる所に入っただけだ」
「とりあえずで理三ですか」

 凄すぎて逆に呆れてしまう。そんなボクを見て、赤司君は唇の両端をゆるりと引き上げ目をやんわりと細めて笑った。その目の奥にほのかに温かな感情が揺れているような気がした。

「だけど知らないことだってたくさんある」
「それは……そうですね」
「黒子といると楽しいな。お前は僕の知らない世界をいくらでも見せてくれる」
「こんなの普通ですよ」
「お前の普通は心地良いんだよ」

 思いがけず真っ直ぐに向けられた好意の言葉に、反応が出来ない。そうですか、と呟いて視線を逸らし、足の爪先を見たボクの横顔に彼の遠慮ない視線が浴びせられる。赤司君のこういう所が苦手だと思ったが、それは決して不快な感情ではない。



「火神君、料理を教えてください」

 空いた食堂で今日はカレー八人前並べている火神君にずいっと身を乗り出してお願いをすると、彼は口の端にカレーをつけたまま眉を顰めた。

「何だよいきなり。お前、一人暮らしする時に料理教えてやるかって言ったら『火神君に作ってもらうから結構です』って厚かましい理由つけて断ってきたじゃねぇか」
「あの時とは事情が違うんです。おいしい肉じゃがの作り方を教えてください」

 普通が心地良いと言ってくれた赤司君が、ボクの料理を文句を言いながらも残したことがないことに気が付いてしまった。肉まんも、最初は不思議そうに食べていたカップラーメンも今では気に入っているようだが、どうせなら作るならおいしいものを食べさせてあげたい。
 普通の家庭料理ってなんだろう、と考えた結果が肉じゃがだった。我ながら発想が貧困だと思うのだが、ぱっと最初に思いつくレベルのものがきっと「普通」なのだ。だからきっと、これで良い。
 火神君は帰国子女で身体がごついのに、料理が物凄く上手い。ぶっきらぼうで乱暴に見えるが案外面倒見も良い。家事初心者のボクが料理を習うにはうってつけの先生だ。

「まぁ良いけどよ」
「本当ですか! さすが火神君、君はボクの光です」
「お前、その恥ずかしい台詞やめろよ……」

 でかい図体でいかつい顔をしているのに、照れて頭を掻く火神君が可愛くて思わず笑う。すると、火神君がボクの顔を凝視した。

「黒子お前、なんか変わったな」
「何がですか」
「なんかよくわかんねぇけど……。なんか前より笑ってるって感じがする」
「そうですか?」
「わかんねぇけど」

 火神君は大概本能で喋る人だから、自分でも発言の内容が分かっていないことがたまにある。今回もそうらしく、カレーをかきこみながら不思議そうな顔をしていた。

「じゃあ、明日の三講目終わってから家に来てください。火神君も授業ないですよね」
「おー」

 毎週水曜日、赤司君は五講目まで授業があるらしくいつも帰宅は午後八時頃になる。それまでに火神君に肉じゃがの作り方を教えて貰って、明日の晩御飯でそれを振る舞う。完璧な作戦だ。
 赤司君はお世辞を言わないが、人のことをこき下ろすこともしない。火神君が付いているから味の心配はないから、きっと喜んでくれる。またあの笑顔が見られると良いな、と考えた自分に少しばかり驚きながら昼食のうどんをすすった。



「……黒子、こちらはどなただ」

 そう言って首を右に傾げた赤司君に、しまったと思った時にはもう遅かった。
 翌日。毎週水曜日は五講目まで授業があっていつもならば帰宅が午後八時過ぎになる赤司君が帰宅したのは、ボクと火神君が肉じゃがを作り始めた三十分後の午後四時のことだった。あーでもないこーでもないとくだらない口喧嘩をしながらキッチンに立っていたものだから、彼が帰ってきた事に気が付けなかった。
 あらかた下準備が整い、後は煮込みながら味付けしていくだけだが、どうせならば料理が出来た状態で彼を迎えたかった。ボウルの中には皮を向いて後は鍋に突っ込むだけのジャガイモとニンジン、それに糸こんにゃくが入っている。

「おかえりなさい、赤司君。今日は早かったですね」
「五講目が休講になったから帰って来たんだ」
「そうでしたか。こちらは友人の火神君です。火神君、こちら同居している赤司君です」
「はじめまして、赤司です」
「あぁ、お前が例の……ぐふっ」

 火神君には今まで散々赤司君のことを愚痴ってきた。今ここで口を開いたら空気の読めない彼のことだ。確実に良くない展開に陥る。そう判断したボクは、火神君が口を開く前に脇腹に手刀を決めた。綺麗に決まった攻撃に、火神君は脇腹を抑えながらこちらを般若のような顔で見ている。

「黒子何すんだテメぇっ」
「火神君、落ち着いてくださいもう喋らないでください」
「あぁ!? それが教えてもらってる立ち場の人間が言う台詞かよ?」

 喚きながら頭を鷲掴みにしてきた火神君の脇腹にもう一発お見舞いしてやると、今度こそ彼はその場に崩れ落ちた。ボクの完全勝利である。

「仲が良いんだな」

 耳に入った声音に背筋が凍った。反射的に目を向けた赤司君の表情が消えていたことに瞠目した次の瞬間、彼はいつもの口端を引き上げる笑い方に戻っていた。一瞬のことだったし、見間違いだろうかと考えるが背筋の粟立が止まらない。

「お前、これが仲良いように見えるのかよ」
「ああ、少なくとも悪くは見えないさ」
「いや、悪いだろ、今のはどう見ても」
「ケンカするほど仲が良いって言うだろう」

 そう言って赤司君は笑みを深くする。それは先日心打たれたやんわりと目を細める笑い方だったのだが、あの時と同じような感動をボクに与えてくれることはなかった。

「あの、赤司君。火神君に肉じゃがの作り方を教えて貰ったんです。食べますよね?」
「すまないが、今晩は外で食べる約束をしていてね。残念だ」
「そうですか……」
「じゃあ火神君、ゆっくりしていってくれ」

 あの笑顔を顔に貼り付けたまま去って行った彼の背中を見送る。胸には不安の種が巣くっていた。もやもやとしたこの感情の正体がなんなのか、ボクには良く分からない。
 つきりと痛むそこをぎゅっと抑えていると、火神君があ、と声をあげた。

「どうしたんですか」
「わかった、最近お前が変わったって思った理由! あいつだよ、赤司だ」
「赤司君がどうしたんですか」
「お前の笑い方、あいつと同じなんだよ。前は目しか笑ってなかったけど、今は口もちゃんと笑ってる」

 昨日学食で言われたことを思い出す。火神君はボクに前より笑ってる、と言ったが、それがどうしてなのかまでは分かっていなかった。
 謎が解けたことが嬉しかったのか、さきほどボクが手刀をお見舞いしたことなどすっかり忘れたかのように彼は満足げに頷いた。

「気が付きませんでした。……火神君、さすが野生動物の洞察力です」
「バカにしてんのか、そうだな、バカにしてんだろ」

 してませんよ、と真顔で返すと、火神君は渋々納得したように頭を掻く。

「好きな相手の癖って無意識に真似るらしいからな。お前、自分で思ってるよりも赤司のこと好きなんじゃねぇの」



 水曜日も木曜日も金曜日も、赤司君は晩御飯を家で食べなかった。
 火神君に教えて貰って初めて作った肉じゃがは、結局一人で全部食べる羽目になった。さすが火神君直伝だけあって、すごくおいしかったのに、何故だか鼻の奥がツンと痛んでしっかりと味わうことが出来なかった。
 自分で思っているよりも赤司君のことが好き、そう言った火神君の言葉を思い出す。そうなのだろうか。

「これからしばらく遅くなる日が続くから、僕の分の夕食は用意しなくても良い」

 火神君が家に訪れた翌朝、リビングで今日は何時に帰るのかと聞いたボクに、赤司君はこちらを見ずにそう答えた。同居を始めてから今まで、彼はあまり頻繁に外出していなかったが、そういうこともあるのだろう。一緒に暮らしているのに、彼の私生活は未だに謎に包まれている部分が多い。お金持ちで世間知らずで、でも何でも知っていて何でも出来る。そんな彼だから、きっと求められることも多いに違いない。彼には彼の世界がある。
 そう頭では理解しているのに、どうしてだか感じるのは少しばかりの寂寥感だ。見ず知らずの他人との同居など気後れしかしなかったのに、この一カ月ほどで随分と絆されてしまったらしい。
 彼が家を空けるようになって三日目。赤司君は食事はいらないと言っていたが、一応寝る前には食卓テーブルにカップラーメンを置いておく。「お腹が空いたら食べてください」とメモをつけて寝ると、翌日そのカップラーメンとメモはなくなっていた。

「……お腹空いてたんですね」

 夜遅く帰って来て朝早く家を出て行く赤司君と生活時間帯が被らず、一緒に家に住んでいるのにこの数日間顔を合わせていない。そんなに根を詰めて一体何をしているのだろう、と思った所で頭の片隅をよぎったある可能性を頭を振って追い出した。
 火神君と遭遇したあの日、赤司君は一瞬ではあるがいつもの綺麗な笑みを崩した。瞬きをする間に消えてしまったあの無表情が脳裏に蘇る。何かの理由で赤司君を怒らせて、それでもうボクの顔も見たくないと思われてしまっていたとしたら。いや、でもそこまで怒る理由がわからない。
黙って他人を自分の居住空間に連れ込まれたのが気に入らなかったのだろうか。赤司君が自分の懐の中に入れる人間はごく限られている。それは、彼は誰が見ても他の人間よりも優れているから、周囲の人間が勝手に彼を敬って崇めて距離を置いてきたせいかもしれない。だから、自分の生活スペースに赤の他人を勝手に連れ込まれて嫌だった、とか。
いや、でもそれであそこまで怒るほど彼は狭量ではない。
日曜日、朝起きて、夜のうちになくなっていたカップラーメンと手紙が置いてあった場所を寝癖だらけの頭でぼんやりと眺めた。お腹を空かせて帰って来るくらいなら、食事はいらないだなんて言わなければいいのに。そう考えると、彼のぞんさいな態度に少しだけ腹が立ってきた。いや、でも彼も忙しいのだ、些細なことで怒るのは良くない。折角の休日だ、晴れやかな気持ちで穏やかに過ごしたい。
そう思って腹の底にたまりかけた苛々を吐き出す。だがしかし、気を紛らわせるためにコーヒーを入れようとキッチンに向かう途中、ごみ箱の中に食べ終わった空の容器が捨ててあるのを見た瞬間に何かが壊れた。

「プラごみは燃えないごみだってあんなに言ったのに……!」

 燃えるごみ用のごみ箱に洗わずにそのまま捨てられたカップラーメンの空容器に、瞬間的に怒りが湧きだした。理不尽に冷たい態度を取られて放っておかれてごみの分別もしてくれない。あんなにちょっかいかけてきて、家事一切を任されてUNOをやらされたり遊園地にまで付き合わされたのに、ボクが読書をしている時だって何の本を読んでいるんだそれは面白いのかそれよりもUNOをやらないかと散々邪魔して構い倒しておいて、いきなり放置するなんて勝手じゃないか。何よりごみの分別はちゃんとして欲しい。
 苛立ちに任せて乱暴にごみ箱から空容器を拾い上げて、水道で軽くゆすいで不燃物用のごみ箱に放り投げた。恐らくもう既に家を出て帰宅も遅くなる赤司君に一言物申してやろうと、緑のたぬきに「空容器はプラです!!」と書いたメモを貼り付けて音を立ててテーブルの上に置いた。



「痴話げんかか」
「違います」

 今日も今日とてオムライスを九人前喰らっている火神君に一方的に赤司君の愚痴をこぼしていたら返された言葉に、速攻で否定をすると火神君は口の中に入っていたものをごくんと飲み込んでこちらをじぃっと見た。

「火神君、痴話げんかと言うのは恋人や夫婦間のけんかを指します。これは冷戦です」
「だってお前の行動、どう聞いてもヒステリー起こした嫁さんの行動だろ」
「ヒステリーとは聞き捨てなりませんね」
「怒るのそこなのかよ」

 呆れたようにそう言って、火神君はオムライスを口いっぱいに頬張った。大柄でいかつい顔つきなのに、そうやって食べる様はまるでリスのようだ。リスはかわいくて、火神君はおバカさんだと言う所が違うくらいである。
 思っていたことを全て火神君にぶちかましたことで少しだけすっきりとした。まだ溜飲が下がるとまではいかないが、これでいつも通りのクールなボクを取り戻せる気がする。非常に悔しいが、赤司君には振り回されてばかりだ。

「そういや、民俗学の高山の話聞いたか?」
「なんですか?」

 唐突に振られた話題に首を傾げた瞬間、火神君がスプーン一杯にすくっていたオムライスをぼたりと皿の上に落とした。

「赤司だ」
「はい?」
「赤司にもお前の癖うつってたんだよ。そのお前の首を右に曲げる癖、あいつもやってただろ」
「そうでしたっけ」
「やってた! ぜってぇやってた!」
「気が付きませんでした。……火神君、さすが野生動物の洞察力です」
「バカにしてんのか、そうだな、バカにしてんだろ」

 火神君が家に来た日のことを思い返してみるが、やはり赤司君のその癖のことは思い出せない。彼にそんな癖があっただろうか。そもそも、自分にそんな癖があったことさえ知らなかったのだ。赤司君のそれにだって気が付ける訳がない。

「お前らが気付いてないだけで、他にもいろいろうつってんじゃねぇの」
「そうでしょうか」
「お互いの癖を真似し合ってるとかお前ら……」
「なんですか」
「やっぱり『痴話げんか』なんじゃねぇか」



 「早く仲直りしろよ」と大人ぶってボクの頭を撫でたまでは良かったが、その後の「夫婦喧嘩はリスも食わないっていうだろ!」の一言で全部台無しになった。火神君のくせに無理して難しい言葉を使おうとするからだ。
 帰宅後、赤司君に習ってボクもグーグルで調べ物をしてみた。相手の仕草や動作を真似ることがどのような意味を示すのかを検索したのだ。その結果を見て、そんなことはあり得ないと否定する部分と不思議にすとんと腹の底に落ち着く部分が同時に降りかかって来る。

「ミラーリング……」

 好感を寄せている相手の仕草や動作を無意識のうちに真似てしまう事。または自分と同様の仕草や動作を行う相手に対して好感を抱く事。
 火神君は、赤司君の笑い方がボクにうつって、ボクの仕草が赤司君にうつっていると言っていた。つまり、ボクも赤司君もお互いにお互いを好いていたから無意識下で相手の癖を真似していたと言うことか。
 ボクが赤司君のことを好き。無論、嫌いではない。振り回されっぱなしではあるが、彼の好奇心旺盛で知識欲に溢れたところも世間から少しばかりずれた所も好ましく思う。でも、これは愛情なのだろうか。いや、友情としての好意であるのならばそれで良いのだが、なんだかそれも少し違う気がする。
 赤司君がボクのことを好き。……正直、彼はボクのことを新しくて物珍しいおもちゃ程度にしか思っていないと思う。
 階下から物音が聞こえてきて、びくりと身体が跳ねた。ボクが起きている時間に赤司君が帰って来るのは一週間ぶりである。下に降りて行こうかどうしようかと散々悩んで、このまますれ違い続けるのは気持ちが悪いと決意して階段を下りる。
 リビングのドアを開くと、カップ焼きそばの容器を持った赤司君と目が合った。

「……おかえりなさい」
「ただいま」

 彼はちらりとこちらを見た後、持っていた空の容器を不燃物用のごみ箱に投げ捨てた。

「ちゃんとゆすぎましたか」
「当然だ。僕を誰だと思っている」
「赤司くんですね」
「そうだ」

 今まで何回も間違えてきたごみの分別をやっと覚えてくれた赤司君は、誇らしげに胸を張って見せる。それがおかしくて、ちゃんと話しあうまでは気を許さないと決めていたのに思わず吹き出した。

「もう用事は済んだんですか?」
「用事があるというのは全部嘘だ」
「は」
「お前の顔が見たくなかったから、適当に理由をつけてここに帰らなかった。それだけだ」

 薄々勘付いてはいたが、こう面と向かってはっきり言われるとやはりそれなりにショックは受ける。なんだかんだ上手くやれていると思っていたのはボクだけだったのかと卑屈になりそうな自分を奮い立たせて、なんとか会話を続けようと言葉を紡いだ。

「随分とはっきり言うんですね」
「嘘を吐くのは嫌いでな」

 平坦な響きが、尚も心臓を抉る。
 だが、次の一言で様々なもやもやは一気に吹き飛んでしまった。

「やはりテツヤに会えないのはつまらないから、もうやめることにした」

 会えないのはつまらない。そりゃ、あれだけ良いようにボクに絡んで遊んでいたのだから、ボクがいなければきっと退屈なことでしょうね。それにしたって、勝手に避けておいて自分の都合だけでまたすり寄って来るなんて随分と自分勝手じゃないか。
 ボクだって言いたいことはたくさんあるのだ。今まで火神君にばかりぶつけていたが、今日こそ赤司君本人にぶちかましてやる。
 何が「テツヤに会えないのはつまらない」ですか。ここまで考えて、彼がボクのことを下の名前で呼んだことにようやく気が付いた。この人、なんでボクのことテツヤって呼んでいるのだ。

「なんで呼び方変えてるんですか」
「火神も黒子と呼んでいただろう? ボクの方がテツヤと近しいのに、呼び方が同じなのは面白くない」
「なんですか、その変なやきもち……」

 つらっと言い放つ彼に呆れて、一つため息を吐きながら横目で彼を見る。すると、赤司君ははたりと動きを止めて、猫のような双眸を見開いて首を右に傾げていた。どうしたのだろうと声を掛ける直前、彼がああ、と納得したように表情を柔らかくした。
 その笑みにどくんと心臓が飛び跳ねる。

「ああ、これがやきもちと言う感情なのか」

 そう言った彼は、さもおかしそうにくつくつと笑うとボクとの距離を詰める。赤司君とボクの視線の高さはそう変わらない。間近で輝く赤と琥珀に、場違いに見惚れていると、彼の冷たいてのひらがボクの頬を優しくなぞっていった。

「本当に、お前といるのは楽しいよ、テツヤ」

目を細めて唇の両端を引き上げて綺麗に笑う彼に、「ボクは疲れます」と返すのが精いっぱいだった。
彼のてのひらが火照った頬に気持ち良い。どうやら、これからもボクは彼に振り回される運命のようである。

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