黒バス | ナノ






 最寄り駅まで徒歩五分、五十メートル歩けばコンビニがある。駅の隣にはスーパー、郵便局、銀行があり、通っている大学からも徒歩で十五分、自転車で八分ほど。小さいが庭が付いているという一軒家は築五年でオール電化だそうだ。
 そんな家を月三万円で貸してくれるというのだから、少しは怪しがるべきであった。だが、言い出したのは高校時代からの友人であり、そんな好条件で貸してくれる理由も割と納得できるものだったのだ。
 父親の給料と母親のパートで頑張ってがんばって夢のマイホームを建てたのが五年前。だがしかし、転勤はないと言われていた父親にまさかの海外赴任の話が舞い込んできたらしい。これが周囲が羨む栄転であったそうで、数年後に帰国後は部長の椅子は確定と言われている出世コースだった。悩みに悩み数回にわたる家族会議の結果、それならば誰か信用できる人に貸そうと言う結論に至った。
 ちょうどこの時、ボクは一人暮らしを始めるために物件を探していた。大学に入り半年と少しが過ぎた。中学、高校に比べ飛躍的に自由な時間が増えた大学生活に戸惑いながらも慣れてきたし、実家からの通学は片道一時間と十分かかる。そろそろ一人暮らしを始めようかと漠然と物件を探し始めた時に偶然不動産屋前で再会したこの友人からの申し出に、ボクは二つ返事でイエスと答えた。
 一軒家だから掃除は大変そうだが、それほど部屋を汚す方でもない。家事は得意とは言えないが、風呂トイレ別の一軒家が月三万円だ。立地も最高である。これは願ってもない幸運が舞い込んできたなどと呑気に鼻歌を歌っていた先週の自分を殴りたい。

「赤司征十郎だ、よろしく」

 差し出された手をしばらく見つめた後、なんとか口元だけを歪めてその手を取ったボクの表情は笑顔の形をしていたかどうか、全く自信がない。そんなボクを気にも留めずに、赤司と名乗ったその青年はボストンバッグ一つを持ち、「僕は二階の右の部屋を使わせてもらうよ」と涼しげに言い放ってリビングを去って行った。



 一軒家を破格の値段で貸してくれた高校時代の友人宅には、何度かお邪魔したことがあった。ボクの両親は礼儀にうるさい方で、友人の家に遊びに行く際は必ず手みやげを持たされていた。まず家にあがって脱いだ靴を揃え、友人のお母さんに挨拶をしてお土産を渡す。たったこれだけのことではあったのだが、ご両親からは礼儀正しい良い子だと認識して頂けていたらしい。
 ボクが一人暮らしをする部屋を探していると聞いた友人はその場でご両親に電話を掛け、すぐに了承の返事を貰ってボクに彼の自宅である一軒家に住まないかと持ちかけてきたのだ。
 何度かお邪魔したことのあるお家だったから場所も間取りももう分かっている。好条件すぎて最初は遠慮したのだが、空けておくのも物騒だし家が傷むから、と懇願されればこちらとしてもおいしい話しだ。断れる筈もない。
 生憎と日本を発つのが来週に迫り時間が取れない彼のご両親に直接挨拶をすることは出来なかったが、電話で御礼だけは言わせてもらった。その後、友人と二人だけで食事がてら簡単な契約書にサインをして鍵を受け取った。来週の月曜日以降ならいつでも入れるから、と言われたのでじゃあ月曜日から住まわせてもらいます、と頭を下げたのが五日前の話である。
 急に決まった話しではあったが、両親には既に一人暮らしを考えている旨を伝えていた所為もあってこちらは何ら問題なくスムーズに引越し準備が進んだ。物に対する執着が薄いので、持ち物は少ない。実家から然程離れた所に引っ越す訳でもない。荷作りはそれほど苦労もせずに終わった。電化製品類は来週以降に少しずつ揃えていけばいい。自炊をするつもりではいるが、最初に張り切って買いそろえても使いこなせずに埃をかぶるのが関の山である。
 そして当日、母親に車を出してもらい少ない荷物を運び終え、コーヒーでも入れようかと思った所でやかんもマグカップも用意していないことに気がついたボクは、近所のスーパーに早速買い出しに行こうと決めて玄関で靴を履いた。
 その瞬間だ。
 鍵穴ががちゃりと音を立て、ドアノブが回る。母親が帰って行った際に、見送りをして確かに施錠した。咄嗟に事態を把握することが出来ずにぽかんと口を開けたままのボクの前に現れたのは、鮮やかな赤髪の青年であった。
 少し長めの前髪から覗く双眸は大きいが涼しげなラインを描いている。赤と琥珀色の異色のそれは今まで出会った人間にはないインパクトを与えた。派手さはないが、非常に整っている顔立ちの彼が無言でこちらを見つめた後、ふっと口の両端をゆるりと引き上げるようにして笑ったから、思わず身体がびくりと跳ねた。

「君が黒子君かな?」
「え、あ、はい」

 突然鍵を開けて現れた見知らぬ人間からの発言にうまく反応することが出来ず、かろうじて肯定の意味を込めた相槌を打つことしか出来ない。そんな呆けたボクに、赤髪の彼は少しだけ困ったように肩を竦めて見せた。なんだ、その仕草。日本人なのにその仕草が自然にも見えるのはどうしてだ。

「赤司征十郎だ、よろしく」

 いや、いきなり玄関先で知らない人に名乗られましても……。
 どう対応して良いものやらさっぱりわからず、何も返すことが出来ない。ボクは他人に比べて表情筋が発達していないらしく、感情が顔に非常に出にくい。笑顔を作る時でさえ目をやんわりと細める程度の変化しかない。心中では精一杯焦っているのだが、恐らく今も能面みたいな顔でこの欧米人みたいな仕草をさらっとやってのける見知らぬ青年を凝視しているように見えていると思う。

「その様子じゃ、彼から何も聞いていないようだね」
「彼?」

 やっとのことで飛び出た言葉に、青年の口から友人の名前が出る。ああ、と頷くが、彼からはこちらに戻って来るのは二三年後になるからそれまで自由に使ってくれて良いとしか聞いていない。無表情のまま右に首を傾げると、青年はまた口端をゆるりと引き上げた。

「今日から、僕と君は一緒にここに住むんだ」
「……初耳ですね」
「こんな大事なことを伝えていなかったとは、彼もとことん抜けているな。まぁ特に問題はないだろう。二人でシェアしたって充分に広い」
「はぁ」
「とにかく、今日から僕たちはルームメイトだ。よろしくな、黒子」

差し出された手をしばらく見つめた後、なんとか口元だけを歪めてその手を取ったボクの表情は笑顔の形をしていたかどうか、全く自信がない。遠慮がちに乗せたてのひらを軽く握られた後、彼はボストンバッグを肩に下げて君の部屋は左? と聞かれたから頷くと、じゃあ僕は右の部屋を使わせてもらうよと軽い足取りで二階へと上がって行った。
ボクはと言うと、未だ事態を把握しきれておらず、ただ玄関先で白いスニーカーを引っかけたまま呆然と階段の上を見上げることしか出来ずにいるのだった。



 そのまましばらく玄関先で呆けていたのだが、この時期に室内とは家玄関で黙って突っ立っているのは中々に寒い。ぶるりと震えた背筋に我に返り、そういえばやかんを買いに行くところだったと思い出して家を出ようとした所で、荷物を置いてきたらしい赤司君に声を掛けられた。

「黒子、どこに行くんだ」
「やかんを買いにスーパーまで行こうかと思いまして」
「やかん? ポットか電気ケトルで充分じゃないか」
「ポットは電気をくうし電気ケトルは高いんです。やかんで充分です」

 高いと言ってもたかだか数千円ではあるのだが、大学生の生活にはやかんで充分だ。どうせカップ麺を作る時とインスタントコーヒーにしか使わない。

「そういうものか」
「そういうものです」

 もしかして赤司君、どこぞのお金持ちのお坊ちゃんなのだろうか。そう考えてみれば確かに仕草も上品だし、初対面なのに話していると自然とこちらが従えられている様な気分にさせられる。人の上に立つのは彼みたいな人間なのだろうなと頭の隅で考えた。

「じゃあ僕も一緒に行こう」
「はぁ……」

 もうどうにでもなれだ。初対面でしかもこれから一緒に暮らすことになってしまったルームメイトである。これから嫌でも毎日顔を合わせなくてはいけないから、気まずくなるのは絶対に嫌だ。だからと言って特別べたべたする必要もない。家族以外の人間と一緒に暮らしたことがないから何とも言えないが、きっと他人同士が寝食を共にするに当たって、適度な距離を保つことが一番大切なことなのではないかと思う。
 出会って五分で一緒に買い物に出かけるのは少しばかり「適度な距離感」から離れているような気がするのだが、ここで拒否するのも後々の関係構築に支障をきたしそうだ。曖昧に返事をするとそれを了承と受け取ったのか、「ちょっと待っていてくれ」と言い残し彼は再度二階に上がって行った。すぐに黒のトレンチコートを羽織って降りてきて、お待たせ、と言うと外に出るように促された。
 男子大学生がトレンチって、やっぱりお坊ちゃんだこの人。
 ベルトを前で一結びしたそのコートを見つめていると、早く来い、と急かされた。慌てて外に出て鍵を閉め、赤司君の隣に並んで歩く。その圧倒的な存在感のせいで随分大きく見えた彼だが、並んで見ればボクとそう変わらない。恐らく、五センチ程度しか違わないだろう。
 さっき出会ったばかりの人間と器用に会話のキャッチボールが出来るほどボクのトーク技術は高くない。無言でスーパーまでの道のりを歩く。非常にきまずい。左から感じるハイソサエティ且つ支配者オーラに気圧されっぱなしである。それでもたかだか五分ほどだ、スーパーに入ればお互い目的の物も違うだろうし別行動が出来る。
 大型のショッピングセンターに辿りつき、これでようやく解放されるとほっと一息ついたのも束の間、死刑宣告にも似た響きでもって赤司君よりお言葉を頂戴する。

「じゃあ、まずはやかんから探そうか」
「え、いや、赤司君だって要り様のものがあるでしょう? ここからは別行動で」
「ない。必要なものは全部揃えてある。だからお前の買い物に付き合うよ」
「……アリガトウゴザイマス」

 そうして二人で店内を見て回ったのだが。

「要らない物にばっかりやたら興味を示すから全然買い物が進まないんですよ! たこ焼き器もマッサージチェアもいらないでしょう。おもちゃ売り場の前を通った時なんか、ボードゲームの説明を片っ端からさせられたんですよ……。UNOも知らなかったみたいだし、トランプはさすがに知ってましたけど。ドンジャラなんてボクだってやったことないから分かりませんよ、人生ゲームしか分かりません」

 引越し翌日の大学、昼食の時間帯は食堂が混みあうので火曜日と木曜日は少し時間をずらして三講目に食堂に火神君がいるのを知っていたボクは大量のあんかけ焼きそばをかきこんでいる彼を捕まえて一方的に愚痴った。普段饒舌ではないボクの長台詞に驚いたのか、リスみたいにやきそばで頬を膨らませていた彼はごくりとそれを嚥下した後、感心したように呟いた。

「お前、そんなに喋れたんだな」
「今はそこじゃないんですよ火神君」

 小馬鹿にしたようにわざとらしくため息を吐いたボクにむっとしながらも、なんだかんだ面倒見の良い彼は箸でこちらを指しながら話しを続けてくれる。面倒見は良いが行儀は悪い。

「オレもドンジャラ知らないぞ」
「それは君が帰国子女だからでしょう? 一応、聞いてみたんです。赤司君は外国で暮らしていたのですかって。旅行で行ったことはあるけど、産まれてから十九年間ずっと日本で暮らしているそうです。なんでUNO知らないんですか、信じられません」
「お前、そんなにUNO好きなのかよ」
「それに、せっかくやかんを買って帰ったのに彼、電気ケトルを持っていたんです。まぁ、ルームシェアなんだから電化製品は別々に持っていた方が良いのかもしれませんけど、知らなければうっかりレンジも炊飯器も買って一家に二台ずつあることになってましたよ」
「話すタイミングがなかったんじゃないか」
「そして夕飯です。各々家事は別々にすると思っていたんですか、どうやら彼、ボクが作るものだと思っていたみたいで、聞いてみたら料理したことないって言うんです」
「じゃあ昨日の晩飯どうしたんだよ」
「ばたばたしていましたしカップラーメンで済ませましたけど、カップラーメンも物珍しかったようでじーっと見てました」

 やかんでお湯をわかしてカップに湯を注ぐ最中、キッチンでずっと隣に立っていた彼は興味深そうにボクの手元を注視していた。やりづらいったらない。三分間待っている間もそわそわしながら正座で蓋を見つめていた。

「でも一口食べたら、『不思議な味がするな……』っていきなり大人しくなったんです。お坊ちゃんのお口には合わなかったんですかね。ごみの分別も全く分かってなくて、カップラーメンの容器も燃えるごみと一緒にするし」

 はーっと大きなため息を吐いて顔を伏せたボクの頭を火神君の大きな手が優しく撫でてくれる。不器用なその手の動きに癒されながらちらりと上目で彼を見ると、弱り切った顔をしている。それがおかしくて思わず噴き出すと、彼は不機嫌そうに撫でていた手を乱暴に動かしてボクの髪の毛を乱した。

「でもまぁ、黒子がここまで感情を吐き出すことなんて滅多にないんだからよ。逆に良いんじゃないか」

 逆に良い、何が逆に良いのだ。理解出来ずに右に首を傾げると、火神君も何が言いたいのか分からなくなったのかあーっと唸りながら頭を掻いている。

「特別なんじゃねぇの」
「出会ったばかりの人間に特別な感情なんて抱きませんよ」

 火神君は頭を動かすのが少しばかり……いや、かなり苦手だ。何が言いたいのか分からなくなって適当に絞り出したのであろう言葉を否定してやればあっさりと大人しくなる。
 一気に吐き出してすっきりしたボクが黙ってお茶を飲むと、彼も思い出した様に目の前のあんかけ焼きそばの大群に取り掛かり始めた。が、忙しく箸を動かす手を一時止めて思いついたようにボクに話しかけてきた。

「なぁ、ちょっと気になるんだけどよ」
「はい」
「そいつ家事出来ないんだったら、黒子が全部やることになるんじゃねぇの?」
「え」



「ああ、家事は一切やったことがないな」

 予想通りに返ってきた言葉は、予想以上のダメージをボクにもたらした。
 帰宅後、居間で今朝家を出た時は確かになかったはずのソファーに座って本を読んでいた赤司君を捕まえて早速件の質問を投げかけてみたところ、ボクは大打撃を受けた。一切家事をやったことがないのにどうして家を出て一人暮らしをしようと思ったのか。

「じゃあ、掃除洗濯料理はどうするつもりなんですか」
「やったことはないがやれば出来るだろう」
「どこから来るんですか、その自信」
「僕を誰だと思っている」
「赤司君ですね」
「そうだ」

 そう答えると彼は満足げに口端をゆるりと引き上げた。まだ十代の男子学生らしからぬその笑みはぞっとするほど綺麗ではあるのだが、今はどっと疲れるだけである。

「生憎、ボクは昨日初めて君と会ったばかりです。その赤司征十郎ならば何でも出来ると言う概念は持ち合わせていません」
「そうか」

 精一杯嫌味を込めたつもりだったのだが、それすらも綺麗な笑みに流されてしまう。そんなに自信があるならやってみてくださいよ、と諦めかけて零した言葉に、赤司君が反応した。
 読みかけの本にしおりを挟み、台所に立つ。何をするのかとその様子を物言わず見つめていたのだが、冷蔵庫からブロッコリーを取り出した彼はそれをしげしげと見つめた後、おもむろに包丁を取り出した。赤司君と包丁、何故だか物凄く背筋が凍る組み合わせである。
 きらりと光る刃に赤司君のぞっとするような頬笑み(目は笑ってない)が映ったかと思った瞬間、ものすごい勢いで彼はそれをまな板に叩きつけた。

「……っ!?」
「……切れなかったな」

 片手を添えることもせず、力任せに包丁を叩きつけた結果、ブロッコリーは切れずに先端が少しだけ粉砕された状態で床に転げ落ちた。何だ、今の。下手なホラーよりもずっと怖い衝撃映像を目の当たりにして、ボクは戦慄した。

「料理はボクがやります」
「そうか。助かる」

 嫌な予感ほど当たるものである。彼に台所を任せては大惨事が起こると本能で察知したボクは、気が付いたら料理担当を買って出ていた。それに対して人を使うことに慣れている彼はあの綺麗な頬笑みでもって当然のことのように受け入れる。
 こうして、ボクはなんだかんだで家事の一切を担当することになったのである。遺憾の意。



「……普通だな」

 そんなこんなで料理、と言うか家事全般担当になったボクではあるが、今まで実家にいて家事など碌にやったことのない普通の男子学生だ。料理だって精々作ってインスタントラーメンだし、たまに掃除機をかけるくらいで洗濯機なんて滅多に使わない。包丁だって、調理実習の授業で使うくらいだ。
 そんなボクに多くを望む方がおかしいと思うのだが、生憎と赤司君はお金持ちの坊ちゃんで、人に奉仕されることに慣れている。おいしい料理は待っていれば眼前に運ばれてくるものだし、洗濯物は置いておけばノリがきいた状態でタンスに返って来るものだと思っている、のかもしれない。彼には確かにそんな節があった。
 ボクの作った味噌汁を飲みながら真顔でそう言い放った赤司君に舌打ちの一つでもしてやりたいが、ぐっとそれを堪える。彼は味噌汁の具である油揚げを箸でつまんで興味深そうにじーっと見つめていた。

「生憎ボクは君と違ってそう器用ではないので」
「そうだな」

 嫌みのつもりで放った言葉も軽く受け流されてしまう。さすが上流階級の余裕である。
 家事一切がボク担当と決まってから一週間が経過した。ネットで調べたレシピやハウツーでなんとか味噌汁とご飯と野菜炒めくらいは作れるようになったが、それでもやはりおいしいと胸を張って言えるような代物は作れていない。

「普通だって言うなら何が足りないのか教えてくださいよ」
「それが分かっているなら僕が料理を作っているさ」
「ソウデスネ」

 じっと見つめていた油揚げを口の中にいれて真顔でもくもくと咀嚼し、嚥下する。赤司君の食べ方はとても綺麗だった。背筋を伸ばして流れるような動作でもって食事をすすめる。彼は何をするにしてもその動きに無駄がない。そんな彼が料理をする時だけあんな惨事が起こるのか不思議で仕方がない。
 何だかんだ言いながら米粒一つ残さずに食事を終えた彼は頭を軽く下げてごちそうさまでした、と言った後、食器を重ねてキッチンまで運んでくれる。ただし洗い物はしてくれない。一度、彼に任せてみたところ皿二枚と茶碗一つが犠牲になったので、それ以来食後は食器を片付けた後は風呂のお湯を入れることをお願いしている。とは言ってもお互い大学生だ、そう毎日二人揃って夕食を取れる訳ではないのだが。
 食器を下げてから、テーブルを拭いているボクの脇に立った彼は、何やら楽しそうに笑いながら無言でボクを見つめた。いつもの口の両端をゆるりと持ち上げた大人びた笑い方ではなく、感情を抑えきれないように目を細めて笑うその表情におや、と不思議に思い視線を彼に向けて首を右に傾けた。

「なんですか、赤司君」
「UNOを買ってきた」
「え、だって君やり方知らないでしょう」
「僕を誰だと思っている」
「赤司君ですね」
「そうだ。遊び方は既に調べて頭に叩き込んでいる。後は実践あるのみだ」

 付き合え、と肩を掴まれやや強引に椅子に座らされた。彼も向かい側に座って、手にしていたUNOの箱からカードを取り出す。爛々と輝く異色の双眸に抗う気力も起きずに、ただ彼がカードを切るのを見守った。彼の白くしなやかな指が黒いカードを切り、彼とボク交互にカードを配布する。

「二人でやってもあまり面白くないと思いますけど」
「初心者に負けるのが怖いのか?」
「ルールを覚えたばかりの初心者には負けません」
「はは、僕を誰だと思っている」
「君、それ好きなんですか。ちょっと考え直した方が良いですよ」
「……全てに勝つ僕は全て正しい」
「まぁ良いですけど」

 かくして、初心者赤司君対まぁまぁかじったことがあるボクの仁義なき戦いが幕を開けた。



「なんなんですか、あの人。何かにつけて『僕を誰だと思っている』だなんて聞いて来て、思春期特有の根拠のない自信プラス実家がお金持ちってだけだと思ってたのに本物のチートだったなんてずるいです聞いてません」
「お前、本当に同居人のことになるとよくしゃべるよな……」

 昼食時のピークから時間帯をずらした三講目、食堂は閑散としている。その中で軽く見積もっても五人前はくだらないであろう鶏唐揚げ丼とライス大盛りを前にして必死でほっぺたを膨らませている火神君の前を陣取り、唐突に愚痴り始めたボクを火神君は呆れたような目で見てくる。正直、こんな目で火神君に見られるなんて屈辱以外の何物でもない。

「UNOなんて運任せのゲームだろ。それに負けたって別にどうってことないんじゃねぇの」
「その台詞は十戦十敗してから言ってください」
「は? 十戦十敗って、お前十回もやって一回も勝てなかったのか?」
「なんなんですか、本当にあの人……。なんであのタイミングでドローさせてくるんですか! カードゲームって駆け引きもあるでしょうけど基本的に運任せじゃないんですか。なんですか、十戦十敗って」
「とりあえず少し落ち着けよ、黒子。あと、その上手をもっと普段にまわせよ」
「……もしかして、饒舌って言いたいんですか」
「ん? あー、なんかそれだったかもしれねぇ」

 言い間違えても気にしない。さすが火神大我君です、さすがおばかさんです。
 彼のおばかさんっぷりにすっかり毒気を抜かれてボクは、脱力してテーブルに顔を突っ伏した。
 こんなことを火神君に愚痴ったところでどうにかなる訳ではないことは分かっている。だが、アクティブではないボクが家にいる時間は短くはなく、必然的に同居している赤司君と顔を合わせる時間が長くなる。
 同い年らしからぬ余裕と浮世離れした佇まい、言動、洗練された振る舞いに突拍子もない発言。赤司君は今まで出会ったことのない種類の人間だったし、恐らくそうお目にかかれない種類の人間であろうことも薄々分かってきた。
 もちろん彼のことを嫌いではない。ただ、初めての家族以外との生活と慣れない彼に戸惑っているだけなのだ。だから、はけ口が欲しい。少しだけ空気を抜けば、きっとうまくやれる。

「たかがゲームに負けただけなんだからそう落ち込むことねぇだろ」
「罰ゲームで今週末一日付き合え、だそうです。庶民の遊びを知りたいそうですよ」
「あー……。まぁなんて言うか……がんばれ」
「がんばれる自信がありません」

 赤司君はそれはそれは良い笑顔で「黒子がいつも出掛けている所に連れていけ」と仰った。重ね重ね言うが、ボクは決してアクティブではない。趣味は読書のインドア派だ。そんなボクが出掛ける場所なんて本屋に図書館、足を延ばしても隣町のショッピングモールくらいだ。
 つまらないと思いますよ、と暗に諌めてもつまらないかどうかを決めるのは僕だと頑として譲らない。少しばかり世間からずれていて好奇心旺盛な彼と過ごす休日。考えるだけで頭が痛い。

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