黒バス | ナノ






 仕事の付き合いがある人間との飲み会中に流れで登録したは良いがずっと放置していたSNSから友人申請通知のメールが来たのは、ボクが鬼上司の業務命令を全てこなし疲れ果てて帰宅してベッドに倒れ込んだ直後のことだった。
 あと二日で十一月が終わり、今年最後の月がやってくる。成人した辺りから時間が経過するスピードが増したなぁとは思っていたが、社会人になり忙殺されながら日々を過ごすようになりそれはますます強く感じるようになった。
出社すればすぐにメールチェックから仕事が始まり、書類整理にメールの返信、提出物の作成に鬼上司のお使いをこなし、気が付けば終業時間。それでも終わらない仕事に日々残業を続け、週末にはぼろ雑巾のようになっているから休日も特に出掛けることもなく掃除洗濯買い出しをして、あとはゆっくりと身体を休ませる。そんなこんなで華も何もない、寂しい年の重ね方をしている。その自覚はあるのだが、改善しようと言う気概はない。まずあの上司をどうにかして貰わないとまずこの生活の改善は見込めないのだ。
今年四月から赴任してきたこの鬼上司、赤字続きだった前職場を大きく黒字に転じさせたことが評価されての栄転で鳴り物入りの赴任だった。なんとボクと同じ年で部長である。
 赴任早々大改革をやらかして業務内容の徹底的な見直しとデータの整理を命令された我が部署は、彼の赴任早々「鬼」と呼ばれる彼のその所以を知った。この鬼上司、もちろんかなり仕事が出来るのだが、部下に対しても相当高いレベルを求める。定年間近だった三月までの部長の下、ぬくぬくとやっていた部下たちはいきなり浴びせられた冷水に面喰ったわけである。
 そんなこんなで鬼上司からの洗礼は今現在も続いており、その甲斐あってか我が部の業績は右肩あがり。業績が上がれば仕事も増える訳で、三月までは休日前に友人たちと飲みに行く時間もあったが今ではそんな余裕全くない。主に、体力的な理由と時点で時間的な理由で。
 この日も例のごとく疲弊しきって日付が変更になる前になんとか帰宅し、着替えるのも億劫でスーツのままベッドに倒れ込んだ。このまま目を閉じれば次に目を開くのが朝なのは目に見えているのだが、襲い来る睡魔には勝てない。スーツが皺になってしまうなぁと頭の端で考えながら下がる瞼に抵抗せずにそのまま目を閉じた、その時だった。携帯電話が着信を告げ、しがないサラリーマンはその音にびくりと跳ね上がる。
 慌てて鞄の中から携帯電話を取り出すと、メールの着信が一件。それが登録していたことさえ忘れていたSNSからのメールだったのである。
 仕事関係のメールではなかったことに一安心しつつ、再度ベッドの上に倒れながらそのメールの文面を読み上げる。

「あなたに友人申請が来ています! すぐにチェック、か」

 疲れきって摩耗した頭で促されるままに添付してあるURLをタップした。普段ならこんなメールすぐさま削除してそれで終わりなのだが、如何せん脳みそがうまく回らない程度には疲労が溜まっている。

「エンペラーさん……、こんな中学二年生みたいな名前の人知りません……。え、二十七歳? この年でハンネがエンペラーってどういうことですか。この人どこからボクのホームに辿りついたんでしょう」

 登録した時に友人になった同僚二人、それ以外はデフォルトのままのホームは何とも寒々しい。しかも、二十七歳の男だ。何が彼の目にとまって友人申請をしてきたのだろう。ざっとエンペラーさんのプロフィールに目を通したが、どうにも彼との共通事項が年齢以外に見出せない。誕生日が十二月二十日でもうすぐだなぁと言う感想しか出てこなかった。
 面倒だからとりあえず拒否しておこうと画面を操作したのだが、先日変えたばかりで慣れないスマホの操作を誤り、うっかりその申請を承認してしまった。
 「エンペラーさんと友人になりました! さっそくメッセージを送りましょう」と促してくる画面を通話ボタン連打で閉じて、まぁ良いか、と諦めて目を閉じる。
 案の定、目を覚ましたのは携帯のアラーム音が鳴った朝の六時であった。



「黒子、ここの数字が合わないんだがこの報告書はお前が作成したものだな」
 
出社してすぐに鬼上司、こと赤司征十郎部長からお呼びがかかり、悪い予感と共に彼のデスクに馳せ参じれば厳しい表情を崩さない彼に昨日提出したばかりの報告書を叩きつけられた。
 言われた個所を確認してみれば、確かに売り上げに対して先月からの在庫が一致していない。

「すみません、すぐに訂正して修正します」
「十分以内に仕上げろ。提出前のチェックは行っているのか」
「行っていますが見逃してしまいました。申し訳ございません」
「ミスを見逃す程度のチェックはチェックとは言わないぞ」
 
 ぐうの音も出ない。部長の言うことは至極ごもっともなのだ。社会人として、しかも入社五年目としては初歩的過ぎるミスである。素直に頭を下げると、もう良い、とため息交じりの声を掛けられる。
 自分が悪いのだから文句など言える訳もないのだが、それでもその態度に少しだけかちんときながら自分のデスクに戻りパソコンを立ち上げる。すぐに昨日作成したデータを呼び出して修正を掛けた。



「あー……、疲れた……」

 誰もいない自室で独りごちて、連日のようにベッドになだれ込む。
ミスをした日は注意力が散漫になるせいかモチベーションが下がるせいか、どうにも失敗が続く。朝一番での部長からのチェックに続き、その後も小さな失態を重ねて五年間の勤務で培ってきたちっぽけなプライドにひびが入って割れてしまいそうだ。
 今日は金曜日。なんとか終電での帰宅が叶い、日付は変わってしまったものの土日の休みを控え一番安心する自室のベッドで休息をとることが出来た。
 明日は昼まで寝て、その後溜まっていた洗濯と掃除をしよう。食事は適当に外食か店屋物で済ませて、食材の買い出しは日曜に回すことにする。明日はとにかく一日中家から出たくない。
 スーツで寝ては疲れが取れにくい。ゆっくり身体を休める為に、残った全力を振り絞ってのろのろと立ち上がり、ネクタイを緩め始めた時だった。鞄に入れたままの携帯がけたたましく鳴り響き、反射的に背筋を伸ばして慌てて鞄の奥底から携帯電話を取り出す。見れば、見覚えのあるアドレスからのメール着信だった。
 デジャブ、と思いながらそのメールの内容を確認すると、「エンペラーさんからメッセージが届きました! 今すぐチェック」とやはりURLが添えられている。エンペラーさん……、ああ、昨日寝ぼけて友人申請を許可してしまった恥ずかしい名前の人か。
 シャツのボタンを外しながら片手で画面を操作し、URLをタップする。すぐにメッセージ画面が表示され、はじめましてと言う件名の横にNEWとマークが点滅表示されていた。

「はじめまして、エンペラーと申します。突然の申請にも関わらず許可をありがとうございました。
 実は僕、最近こちらに転勤してきたばかりで友人が少なく、たまたま訪れたホームであなたが都内在住の同い年の方だと知り、失礼ながら友人申請をさせて頂きました。
 毎日仕事で忙しく過ごし、趣味の時間も取れず、ただ忙殺されていく毎日に味気なさを感じています。
 宜しければ、僕と友達になってくださいませんか?」

 男相手に突然友人申請をしてくる人間だ、どんな失礼な奴かと思いきや存外しっかりしたメッセージの文面になんだか虚をつかれた気分になった。しかもこれ、どうにも他人事に思えない。むしろ、大いに共感してしまう。
 ボクだって仕事仕事の毎日で読書もバスケもしばらくしていない。休日は家事と惰眠を貪ることに終始してしまい、とてもじゃないが充実した休日を過ごしているとは言えない現状だ。
 しばらく悩んで、まぁこう言うのもありなのかな、と結論を出した。ネット上で少しやり取りをするだけだ。新調したばかりのスマホでのメール作成の訓練にもなるし。面倒になればその時はその時だ。
 そう考えて、彼からの件名にそのままRE:を付けて返信メッセージを作成した。

「初めまして、くろてつと申します。こちらこそ申請ありがとうございました。
 突然の申請で驚きましたが、これも何かのご縁です。ボクも仕事ばかりの毎日で、自分の時間が全くと言っていいほど取れていません。
 お互いいろいろなお話が出来ると良いですね。よろしくおねがいします」

 この短文を十分かけて打ち込み、送信ボタンを押す。一仕事終えた気分で長く息を吐き出し、SNSの接続を切った。なんだかすごく疲れた気がする。明日は起床時間を気にしなくていいからと携帯をマナーモードにし、手早く着替えてから早々にベッドに潜り込んだ。



 翌朝、社会人の習性とは悲しいもので、昼過ぎまで惰眠を貪る予定だったのにいつも通り朝六時に目が覚めてしまう。体内時計の優秀さに少しだけ切なくなった。携帯で時刻を確認しようとロックを解除し画面を明滅させると、メールの着信が入っていた。寝ぼけ眼でそれを開いてみると、またしてもSNSからのメールであった。

「エンペラーさんからメッセージが届きましたって……、夜中の三時じゃないですか」

 非常識な時間帯にメッセージを寄越すな、と考えたが、ネットの世界で時間帯などそれほど考える必要もないかと思い直し、URLをタップする。開かれたメッセージの画面にはNEWのマークと共に新しいメッセージが一通増えていた。
 ありがとうございます、と件名のついたそれを開く。

「お返事ありがとうございます。これから宜しくお願い致します。
 こういったサイトで友人を作るのは初めてで、何をお話して良いのか悩むのですが…… 最初なので簡単に自己紹介をさせてください。
 四月から仕事の都合で東京に来ました。三月までは京都にいました。
 趣味は将棋とバスケで、中学高校とバスケ部でした。将棋は全国大会で優勝したことがあります。乗馬も好きですが、働き始めてからは全く乗れていません。
 休日は……、たまった家事をしたり寝たりしています。
 くろてつさんのご趣味はなんですか?」

 将棋で全国大会優勝とか乗馬とか、思った以上にハイスペックなエンペラーさんのプロフィールに坊ちゃんですか、と声が漏れた。まぁ、ネットの世界だ。顔の見えない相手だからと嘘を並べたてているのかもしれない。こちらがその嘘で被害を受けるのではないし、別に偽プロフィールでもこちらは一向に構わない。
 こちらも何か華やかな身分を偽るべきかとしばらく考えた後、知らない相手に見栄を張るのがバカらしくなり、そのままを記入していくことに決めた。

「ボクも仕事以外ではネットすら見ないので、こうして顔を知らない方とお話するのは新鮮です。
 エンペラーさんは将棋がお得意なのですね。ボクはこれと言った特技がないので、少し羨ましいです。
 ボクも中学高校とバスケ部でした。ボク自身はそれほど強くなかったのですが、中学高校共に全国大会までいったんです。これがボクの数少ない自慢の一つです。
 本当は休日に趣味の読書やバスケをしたいのですが、いざ休みになるとベッドから出るのが億劫で結局ずっとごろごろしています。休日のお布団の誘惑には抗えませんね」

 一度入力したメッセージを読み返してから送信ボタンを押す。送信完了の画面を確認して、ボクは二度寝を決め込むためにもう一度目を閉じた。
 次に目を覚ましたのは正午過ぎで、決意の通りにしっかりと睡眠をとれたことに満足しながら身体を伸ばす。部屋着に着替えてしっかりベッドに入って寝られたから、いつもよりも身体が軽いように感じた。カーテン越しに室内に差し込む光は温かい。ますはシャワーを浴びようとベッドから抜け出した時に、携帯のランプが明滅していることに気が付いた。
 見ればもう見慣れてしまったあのSNSからのメールで、慣れた手つきで記載のURLをタップする。これまた見慣れたメッセージの画面が表示され、新着メッセージのタイトルを更にタップした。

「くろてつさんもバスケ部でしたか。しかも全国大会に出場されていたとか。
 謙遜されていますが、それは立派な特技だと思います。それだけの強豪校ならば、毎日の練習もきっとハードなものでしょう? それに中高六年間ついていっていたのですから、それはもっと誇っていいことだと思いますよ。
 確かに休日の布団の誘惑は抗いがたいものがあります。平日は仕事に追われて充分に睡眠もとれていないのですから尚更ですね。今日はゆっくり休めたでしょうか。
 くろてつさんのご趣味が読書と聞いて、最近本を読んでいませんでしたが今日は久々に読書でもしてみようと思います。こちらに赴任してきてからは休日も家で仕事をしていたのですが、少しゆとりを持った方が効率もあがりそうです」

 メッセージの受信時刻は午前七時。ボクが返信したのは六時頃だった。この人、ちゃんと寝ているのだろうか。受信メッセージにも休日も仕事をしていると書かれていたし、返信が早すぎる。
 そう考えるとこの顔も本名も知らないSNS上だけの繋がりであるエンペラーさんのことが無性に心配になってきた。この人、仕事人間すぎて友達がいないんじゃないだろうか。ボクだって多い方ではないが、それでも中高の部活仲間とは今でも良い友人同士だ。
 妙な使命感が湧いて来て、そのまま返信のメッセージを作成する。

「おはようございます。今日はゆっくり寝て、今起きました。疲れもすっかりとれたようです。
 エンペラーさんはちゃんと寝られましたか? お仕事が大変なのは分かりますが、何事も身体が資本です。体調を崩しては元も子もありませんよ。休みの日くらい仕事をせずにゆっくり休んでください。
 ボクも今日は少し心に余裕を持って、久々に読書をしてみようと思います。漱石や安吾が好きでよく読んでいましたが、今日はもっと明るい内容のものを読みたい気分です。何かおすすめはありますか? ボクのおすすめは宮部みゆきのステップファザーステップです」

 ここまで打ち終わり、先ほどの受信メッセージを読み返した。「それはもっと誇っていいことだと思いますよ」、この一言が嬉しかった。レギュラーとして試合には出ていたが、他のメンバーとは圧倒的な才能の差があった。それでも血のにじむ様な努力でバスケを続けてきたのだ。
 社会に出て、あの頃のことを思い返すことも減った。中高の部活の話など、滅多にしない。だけど、あの頃の記憶は確かにボクの中で息づいている。それを認めてくれたような気がして嬉しかった。

「部活のこと、褒めてくれてありがとうございます。仕事のことで少し自信を失っていたので嬉しかったです」

 文末にそう付け足してから送信する。送信完了の画面を確認して、今度こそ浴室へと向かった。





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