黒バス | ナノ








「あー、ヤリてー」

 イケメン現役大学生モデルとは思えない発言はしかし、誰の耳にも届くことはなかった。土曜日の部屋に一人、ベッドの上に寝転んで窓から空を見上げる。憎らしいほど晴天の今日は、涼太を逆に落ち込ませた。
 今までは学校、モデル業がない時は女の子と遊んでいた。それが、今では学校、撮影所、家の三か所を行き来する毎日だ。つまらない、大学生って自由を一番謳歌できるのだとばかり思っていた。
 先月のことだった。外泊もだめならば、日中にホテルで休憩だ、と繰り出したホテル街で、あろうことかテツヤとばったり遭遇した。何でも、近くに馴染みの定食屋があるとかでその近辺にはよく出没するらしい。女の子にべったりと寄り掛かられながら頬を引きつらせる涼太に義兄は相変わらずの無表情で、「アウトー」と告げたのであった。

 融通のきかないタイプ、と自ら言っていた通り、彼はありのままを母親に告げた。結果、門限が20時になった。高校生よりよっぽど悪い。都会の大学生なのに、外泊禁止で門限20時。どこの箱入りお嬢様だ。189cmの男子大学生が、外泊禁止で門限20時。絶望を通り越した時に笑いしか出てこないことを、涼太はこの時初めて知った。
 外出しても気分は晴れず、これ以上粗相をしてばれた時のことを考えると冒険も出来ない。家に居ても夜しかいない同居人である義兄は極端に言葉数が少ない為、会話も儘ならない。こちらから話を振ってみても、それに対する薄い反応しか返って来ない。視線すらまともに合わないのだ。

(嫌われてるのか? 何かしたかな……)

 考えてみても答えは出ない。視線を感じて振り返っても、振り返った時にはもう彼はこちらを見ていないのだ。睨まれているのだろうか、それを確認することも出来ない。他人からの視線は普段から嫌と言うほどに浴びている。その勘から言わせてもらおうと、あれは嫌悪の視線ではないと、思う。いや、思いたい。何もしてないのに兄に嫌わせるのはあまり気持ちのいい話ではない。涼太の性質自体が珍しくて観察しているのだろうか。探る様な、何かを訴えてくる様な目線。その視線の種類には何となく覚えがあったが、いやでもまさか、と涼太はその考えを捨てる。快晴の空を映した大きな目を思い出そうとしたがうまくいかず、涼太はそれを早々に諦めた。
 飲み物を取りに台所に向かう。つい10分前に買い物に出かけたばかりで、相変わらず生活感はあるのに何処か物悲しい印象を与えるリビングには涼太しかいなかった。冷蔵庫から牛乳を出して、大きめのマグカップに注ぐ。ソファに座ってテレビをつけるが、興味を引かれるものは何もやっていなかった。見るともなしに画面を眺めながら牛乳を飲む。
 しばらく抜いていないから、下腹部が重い。こうしていても、浮かぶのは性欲への貪欲な欲求ばかりである。
 同居人である義兄は10分ほど前に出掛けたばかりだ、まだしばらくは帰って来ないだろう。涼太はティッシュを手元に寄せてから、部屋着の前を寛げた。やわやわと揉み始めると、快楽に飢えたそこは浅ましく快感を拾い始める。すぐにその感覚に夢中になった。
 手を動かしながら、今まで関係した女たちの痴態を思い浮かべた。緩急をつけてしごけば、すぐに達しそうになった、その時。

「あ、」
「うぇっ、うあ!」

 まだまだ帰って来ないとばかり思っていた同居人である義兄が、エコバッグをぶら下げて立っていた。そして、最悪なことに彼の姿が目に入った瞬間に、涼太は達してしまったのであった。



「さすがにドン引きですよ」
「……はい」
「するなとは言いません。でも、ここは共用のリビングです。しかもこんな真昼間から……」
「すんません、本当にすんません」

 正座で頭ごなしに叱られながら、涼太は少しだけ泣いた。
 情けない、バツが悪すぎる。よりによって義兄にこんな場面を見られるとは。
 買い物は少量だったため、いつもの大型スーパーではなく近所のスーパーですませたらしい。通りでいつもよりも大分帰宅が早かったわけだ。
 手についた白い液体の存在を忘れたまま、思わずおかえりなさい、と右手をあげてしまい盛大に睨まれた。そして舌打ちをされた。この人ってこんなキャラだっけ、とちらりと考えたが、どう考えても自分に非があるのでとりあえず謝った。
 テツヤは買い物した商品を冷蔵庫に入れてエコバッグを小さく折りたたんでから涼太を正座させて、何か申し開きはありますか、と聞いた。あるわけがない。

「あの、母さんには……」
「さすがに報告しませんよ。女の子と遊んでいたのではないですし」

 怒られている間ずっと伏せていた顔を上げて義兄を見上げれば、久々に視線がかち合った。記憶通りの快晴を映した色をした目はしかし、すぐにふぃと逸らせれてしまい、それを残念に思った自分を不思議に思いながらも安堵のため息を吐いた。こんな失態を母親に知られたらさすがに生きて行くのが辛くなってしまう。そんな涼太の様子を見て、テツヤはぼそりと独り言ちた。

「若いとは言え、元気すぎですね」

 恐らく、嫌みのつもりはないのだろう。思わず、と言った様子で零れた言葉は恐らく独り言で、涼太の耳に入れるつもりがなかったのか、大きな目は既に涼太を映していなかった。
 嫌みではなかったのだろうれど、その言葉に若干の苛立ちを感じた涼太は、気が付いたら声を出していた。

「男なんだから、性欲があって当然じゃないっスか」

 言い返されるとは思っていなかったのか、テツヤは大きな目を見開いて涼太を見据えた後、またすぐに目を逸らして言葉を返す。

「まぁ、君は若いですしね」
「そうじゃなくって、テツヤさんだって性欲くらいあるでしょ? 禁欲させられてるオレの気持ちも少しは汲んで欲しいっス」
「……まぁ、ないわけではないですけど。でも、君のは異常ですよ」
「異常じゃないって! 普通!」
「だって君、猿みたいじゃないですか」
「ちょっとひどくないっスか、それ……」

 はぁ、と気の抜けた返事をされて、そんな立場じゃないことは分かっているのに無性に腹が立った。この水みたいな男は、確かにその立ち居振る舞いや存在感からは性の匂いが感じられない。だけど、彼だって男だ。自分だけがこんなに我慢しているのは理不尽じゃないか。その考えの方がよっぽど理不尽なことに気付ける程の冷静さは、今の涼太にはなかった。

「どーせあんただって、気持ち良いことには弱いんだろ?」

 考えて動いたのではなかった。気がついた時には義兄の両手を掴んで、彼を壁際に追いやっていた。どんっと鈍い音がして、背中を打った痛みからかテツヤは顔を歪ませた。能面の様な顔が崩れたことに、涼太は自分でも異常だと感じる程興奮した。片手でまとめあげた両手首は男のものとは思えない細さで、それが余計に倒錯的な欲求を扇ぐ。
 第一ボタンだけ開けたシャツから見えた首筋に舌を這わせると、頭一つ分小さな体が腕の中でびくりと震えた。少しだけしょっぱい。

「ちょっと、何するんですか!」
「気持ちいーことっスよ」

 腕の中で身じろぐ身体を壁に押し付けて、シャツの裾から手を入れた。じっとりと汗ばんではいるが、掌に吸いつくような肌理の細かい肌に自然と喉が鳴った。相当いかれている。義兄相手に何をサカっているのだ。そう思っても身体が止まらない。ここ数カ月の禁欲生活が、欲望に拍車をかける。
 目を閉じて嫌々と首を振る小さな顔を、顎を掴んで固定するとその薄い唇に思い切り齧り付いた。驚いて息を吸おうと開いた隙間から舌を差し込む。逃げ惑う小さな舌を必死で追いかけて、絡め取る。合わせた唇の隙間から甘ったるい声が漏れた。

「……っ、義兄さん」

 口にした単語に、背筋が粟立った。この状況に酔っている。男相手に、義兄相手に何してるんだと考えながらも、相手が女じゃないんだからセーフじゃないか等と的外れなことを考えた。足の間に強引に入り込んで身体を押し付けると、腕の中の小さな体がびくんと大げさなくらいに震えた。
 口を離して、至近距離で顔を見つめると、大きな目いっぱいに涙を溜めたまま睨まれた。正直全く怖くないし、むしろ煽られているとしか思えない。涙が膜になって、その膜に自分が映っていることに酷く安心感を覚えた。上気させた頬がどうにも甘そうで柔らかく噛むと、小さな悲鳴が上がる。

「っ、嫌がらせですか」
「さぁ、何でこんなことしてるんスかね」
「冗談きついです、そろそろやめないと、」
「やめないと、何? あんたさ、オレの顔好きでしょ? ずっと見てたの知ってるんスよ」
「な……っ」
「ほら、顔見てて良いから、大人しくしててよ」
「やめ……っ、ふざけないで下さい! やめろ、離せっ」
「やだ」

首筋に顔を埋めて思い切り息を吸うと、甘い匂いがして頭がくらくらした。しばらく女に触っていなかった所為で、感覚がおかしくなってしまったようだ。でなければ全く興味がなかった義兄に、こんなにも欲情している理由が他に見当たらない。

「……りょうたくん、」
「……? なに、ぐぇっ」

 弱々しく名前を呼ばれて顔を上げた瞬間、思い切り頭突きをされてそのまま意識が飛んだ。





(なんだ、夢か)
(変な夢)
(どうせ見るなら、女の子との方が良かったなー)
(いや、でもあれはあれで……いやいやいやないっスわぁ)
(ない……か?)
(…………どうせ夢なら、最後までしたとこ見たかったかも)
(夢、って、あれ、)

 意識を取り戻したのはそれから約三時間後のことだった。ぼんやりと赤みが差した室内で、まどろみの中で随分と突拍子もない夢を見たものだ、と二度寝をしようと瞼を閉じた瞬間、その突拍子もない夢がどうしようもない現実感を引きつれて色鮮やかに脳内に蘇った。反射的に勢い良く上半身を起こすと、頭がジンジンと痛んで、小さなうめき声が漏れる。
顔面が蒼白になるのを感じながら、頭を抱えた。どうするんだどうするんだどうするんだ、答えの出ない問いが涼太の頭の中をぐるぐると駆け巡る。
 どうして自分があんな蛮行に及んだのか、今となっては全くわからない。欲求不満でのぼせ切って、腐った精子で頭が毒されていたとしか思えない。なんてことをしでかしたんだ、といくら悔やんだところで時間は元には戻らないし、義兄を強姦しかけた事実は消えない。そう、自分は彼を強姦しようとしたのだ。

「うああ、有り得ないってマジで」

 どれほどそうしていただろうか。ベッドの上で小さくなって頭を抱えていたが、一緒に暮らしていて、他に行く当てもない涼太には、テツヤに土下座してでも許しを請うことしか選択肢はなかった。頭に血がのぼっていたとはいえ、随分なことをしてしまったし、言ってしまった。到底許して貰えるとは思えない。
 でも、とにかく自分には謝ることしかできないのだ。殴られても詰られても、ひたすらに謝ろう。腐っても男だ、よし、と鋼のごとき決心を決め気合を入れて立ちあがったその時。ドアをノックする控え目な音と涼太君、と自分を呼ぶ小さな声に先ほど下したばかりの鋼の決心が早くも音を立ててしぼんでいった。

「入ります」
「ちょ、まだ返事してないっス!」
「ああ、気が付いてたんですね」

 晩御飯出来ましたよ、といつもの能面の様な表情で淡々と告げられて拍子抜けする。あまりの素っ気なさに、あれは本当に夢だったのかと考え始めたが、頭は大丈夫ですか? と添えられた言葉に、その儚い希望は打ち砕かれた。

「あ、頭ってボクが頭突きしちゃったからって意味で聞きました。中身の方はもう手遅れみたいなので、心配してません」

 なんてことない顔してると思ったが、やはり怒っている。そりゃそうだ、と涼太は再度決意を固め直して正座して、床に頭を付けた。

「本当にすみませんでした」
「許します、とは言いませんが、今さら何を言ったところでどうにもならないので、もう良いです」
「いや、でもそれじゃオレの気が……」
「君の罪悪感を拭う為に謝られても困ると言っているんです。もう良いと言っているのだから、やめましょう」
「テツヤさん、オレ、」
「ご飯冷めますよ」

 そう言ってテツヤはさっさと部屋から出て行ってしまった。簡単に許してもらえるとは思っていなかったし、それだけのことをしでかしたことは頭では分かっている。テツヤの態度は尤もだった。なのに、それに対して傷ついている自分勝手な感情に、涼太は深くため息を吐いた。

「あ、そうだ」

 ひょっこりとテツヤが再度顔を出す。びくっと涙目になりながら彼を見ると、義兄は無表情なままこう言った。

「確かに君の顔は好きです。とても綺麗ですから。もしかしたら見すぎていたかもしれません。不快にさせていたのなら謝ります、すみません」

 早くご飯食べちゃって下さい、と言い残して今度こそ本当に去っていた義兄が残した爆弾に、涼太は顔を赤くさせながら、恥ずかしがればいいのか喜べばいいのか、深い罪悪感に苛まれればいいのか全く分からなくなって、ただただ口を抑えてその場にしゃがみこんだのだった。


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