黒バス | ナノ






「テツ、セックスしたい」

 昔から弟のように可愛がっていたお隣さん家の大輝君が唐突に言い出した内容に、口に含んでいた麦茶を吹き出した。

「うわ、汚ねぇ」

 そう言いながらもティッシュを数枚とって口を拭いてくれる大輝君は優しい子だ。少しがさつなところはあるけれど、それも少年らしくて却って好ましかったし年相応な振る舞いだと思う。ただ、先ほどの発言は、もしボクの聞き間違いでなければ年不相応だと思うのだが、最近の小学生はこれが普通なのだろうか。
 テーブル上に吹き飛んだ水を拭いてくれている大輝君の横顔は出会った頃よりはずっと成長したし、時折びっくりするくらい大人びて見えることもあるが、やはり小学生のそれに間違いようがない。黒く焼けた肌は、隙あらば外に飛び出してセミやザリガニを捕まえている所為なのだろう。夏休みになればこうして収穫を見せに来てはジュースやお菓子を強請って、一頻り涼んでから帰っていく。それが彼との日常であった。

「……大輝君、おやつにチョコパイ食べますか?」
「うん、食う!」

 別の話題を振ってみれば、真夏の太陽みたいに眩しい笑顔を向けられる。やはり、先ほどの発言はボクの聴き間違いだったのだ。そうに違いない。こんなに無邪気で純真な大輝君が、小学4年生であんな発言をする訳がない。最近熱くてよく眠れていなかったから、疲れが取れていないのだろう。
 今日は早めにお風呂に入って寝てしまおうと思いながら戸棚にあったチョコパイを出して、ついでに空になっていた大輝君のグラスにオレンジジュースを入れる。ありがと、と言いながらチョコパイを掴んだ掌は、去年に比べてだいぶ大きくなった。子供の成長は随分と早い。
 彼の本日の収穫であるセミが入った虫カゴをつつくと、中に入った2匹のセミがばたばたとかごの中を逃げ惑う様に飛び回る。母さんがいない時で良かった。虫の苦手な母さんが家に居る時は、大輝君は虫カゴを居間にいれることは許されていないのだ。
 あっという間にチョコパイを食べ終えて指まで舐めている大輝君にウエットティッシュを手渡すと、手を拭きながらこれ、と茶色い封筒を差し出される。A4判のそれを受け取り、何だろうと首を傾げながら中を覗くと、水着姿の女性が胸を寄せ上げて挑発的なポーズをとっている雑誌が一冊入っていた。
 なんだ、これは。
 咄嗟に雑誌を封筒の中にしまって、背中の後ろに隠した。ボクのものではないけれど、これは小学生に見せる雑誌ではない。大輝君がもう少し大きくなったら、例えば中学生になって性の芽生えが訪れた頃にこっそりと人目をはばかりながらお世話になるもので、朝から晩までセミと戯れている健康優良児の彼が持っているにはふさわしくない類のものだ。
 なんのてらいもなく渡されたからびっくりしたが、きっと道端で拾ったものを処分に困って大人に渡そうとしてボクに渡してきたのだろう、そうだそうに違いない。昔から弟のように可愛がってきた大輝君が、小学4年生でこんな雑誌を持っているわけがない。

「その雑誌さ」
「拾ったんですよね? これはボクが処分しておきますから、大輝君は気にしなくて良いんですよ」
「いや、友達から貰ったんだ。それ見たらムラムラしたからセックスしたいんだけど」

 どうすればいいんだ? と言って笑う笑顔はやっぱり真夏の太陽みたいだ。弟のように可愛がってきた大輝君の口から吐かれた衝撃的な発言に、ボクの思考は真っ白になった。

 大輝君とは、彼が産まれてからの付き合いだからもう9年、いや、明日で彼は誕生日を迎えるから10年間の付き合いになる。
 お隣さんに赤ちゃんが産まれると聞いて、兄弟のいなかったボクは自分のことみたいに喜んだことを今でも覚えている。日々大きくなっていく大輝君のお母さんのお腹に触らせてもらったり、話しかけたりしていた。早く出てきてね、一緒に遊ぼうね、と語りかけていたのは、ボクが7歳の頃の話である。
 赤ちゃんまだ産まれないの? と半年間毎日聞き続けて、彼が産まれて初めて対面した時の感動は未だ忘れられない。小さな手でふるふると震える赤ちゃんは猿みたいであんまりかわいくなかったのに、次に会った時にはふわふわで天使みたいに可愛くなっていて凄く驚いた。
 それから暇さえあれば青峰家にお邪魔して、大輝君の成長を見守ってきた。幸いなことに素直にすくすくと育った大輝君もボクのことを兄みたいに慕ってくれたし、ボクだって大輝君のことを可愛がってきた。誕生日には毎年お互いの家でお祝いをしたし、大輝君が小学校に上がってからは家にお泊りに来ることも増えた。
 ボクが中学校にあがる時は、離れるのが嫌だと泣く大輝君を宥めるのが大変だった。部活に入って帰宅が遅くなったボクの帰りを、家の前でずっと座って待っていてくれたこともあった。危ないから家の中に入って待っていてくれと頼んだのだが、絶対に嫌だときかない彼には困らされたものだ。結局、土日や時間のある時は優先的に遊んであげる約束をして、彼のご機嫌をとるのに成功したんだっけ。
 そんなこんなで10年間。家族ぐるみの付き合いもあったし、ボク達は本当の兄弟以上に仲良くしていた。
 
 そんな目に入れても痛くない彼が、セミ獲りに興じて蜂に追っかけられたり、ザリガニを追い求めてどぶにはまったりしている彼が、年齢2桁を目前にして、階段3段抜かしの勢いで大人になった。あんなに可愛かった彼が、グラビア見てムラムラしたからセックスしたいって、これ如何に。
 ボクだってこれでも17歳、健全な男子高校生だ。ただ、人並みに性に興味はあるものの、今は部活と大輝君の相手で女の子とのお付き合いなんてしている時間はない。好きな子もいないし。これは負け惜しみではない、決して。
 それでも可愛い弟分の前では、頼れるお兄ちゃんでいたい。動揺して大嵐な内心を誤魔化す為に冷静を装って、大輝君にはまだ早いです、と言えば、何で慌ててるんだ? と言われる。無表情で何を考えているかわからないと評判のボクのポーカーフェイスの下を見抜けるのは、10年の付き合いの所為か、それとも彼に備わった野生の勘の所為か。
 決まりの悪さからこほんと咳払いを一つついてから、大輝君、と名前を呼んだ。

「そういうことは、きちんと責任が取れるようになった大人の男が口にしていい言葉です。君にはまだ早い」
「なんだよ、テツはしたことあるのか?」
「……ありますよ」
「まじで!? なぁ、気持ち良かった? おっぱいってどんな感じ?」

 もうやだ、この子。
 爛々とした目の輝きは、去年誕生日プレゼントに帝光戦隊キセキレンジャーの合体ロボをあげた時以来のものだった。毎年順調すぎるくらいの勢いで成長していく彼をほほえましいと思っていたけれど、こんな成長は望んでいなかった。
 いや、だがしかし、最近の小学生はませていると良く耳にする。さっきの雑誌だって友達にもらったと言っていたし、これが昨今の小学生の普通なのだろうか。
 だとしたら、兄として大輝君が誤った性の道に進まない様にボクが導いてあげる必要がある。性行為とはどのようなものか、それをするにあたって必要な心構えと準備について、とか。未経験であるボクが教授出来る内容なんて、高が知れているのだが。

「大輝君」

 ボクが背筋を正して真っ直ぐに彼を見れば、大輝君も同じように背筋をぴっと伸ばしておう! と元気よく返事をしてくれる。本当に素直ないい子である。

「セックスとは子供を作るためにする行為です。それに伴い快感を覚える場合もありますが、その結果子供が出来たとして、子供である君には責任がとれない。わかりますか?」
「テツ、辞書みたいだな」

 元気だがいささか勉強の方に問題がある大輝君に元気にそう返された。理解してもらえないだろうなぁとは思ったが、ここまで綺麗に分かってもらえていないとは一層清々しいくらいだ。
 どうしようかとしばし考えていると、音を立てずに背後に回ってきた大輝君に雑誌の入った封筒を取られそうになった。慌てて取り上げると、なんだよ返せよ、とむくれられる。小学生男子がこういう本に興味を持つのはおかしなことではないかもしれないが、まだ早いと思ってしまうのは小さな頃から成長を見守ってきた大輝君への親心、もとい兄心のせいだろうか。

「大輝君、もし赤ちゃんが出来たとして、君は赤ちゃんを育てることが出来ないでしょう?」
「出来るよ! なんだってやってやる」
「じゃあ、赤ちゃんにお母さんやお父さんがつきっきりになったら、寂しくなりませんか? ボクだって、君の赤ちゃんが出来たら、君ではなくて赤ちゃんばかりを構ってしまうと思います」
「え、それはやだ!」

 泣きそうな顔でぶるぶると首を振る大輝君は、やっぱりまだ子供なのだ。堪らなく可愛くて頭を撫でてやると、安心したようにふにゃりと相好を崩す。
 もう少し大人になってからにしましょう、と言うと、じゃあ何歳になったらいいんだ? と聞かれて撫でる手を止めた。

「明日で10歳になるから、そしたら大人か?」
「10歳はまだ子供ですよ」
「じゃあ何歳?」
「そうですねぇ……、18歳でしょうか」

 確か、18歳未満との性交は淫行条例で禁止されていた筈だ。18歳になれば、車の免許も取れるし、結婚も出来る。17歳のボクに何歳から大人かを聞かれても正直困るのだが、9歳の大輝君から見ればボクだって大人なのである。はっきりした答えを与えて導いてやる義務が、ボクにはあるのだ。

「18歳か……。まだまだだな」

 納得してくれたのか、難しそうな顔をして考えている彼の頭を再度撫でてやる。室内は冷房がきいているが、それでも彼の体温は温かかい。

「あっという間ですよ」

 そう言ってやれば、そうか、と返してくれる単純さが愛しかった。





 そんなこともあったかなぁ、あったような気もするなぁ、というのが正直なところだ。
 高校を卒業して大学に進学、就職して実家を出てからは青峰家とも疎遠になっていった。実家に戻れば挨拶には行くが、わざわざ電話をしたり近況を報告したりすることはしない。
 20歳を過ぎると時間の経過が早くなるとは聞いていたが、それは想像以上だった。毎日の仕事に忙殺されて一日が終わり、一週間が終わり、気が付けば一年が終わっている。そんな感じで大輝君と最後に会ったのは2年前だっただろうか。去年の誕生日もメールだけは送ったのだが、それに返事は来なかった覚えがある。
 ボクもボクで忙しいが、大輝君だってもう高校生だ。きっと忙しく過ごしているのだろう。それは少し寂しいが、それが大人になるってことなのだと思う。
 8月ももう終わるというのに、暑さは衰えることを知らない。夜になれば日差しがない分少しはましだが、湿度の高さと背中を滴る汗で張り付くシャツの感触が気持ち悪い。
 珍しく早く仕事を終えて、一人暮らしをしているマンションに向かう。途中で時間を確認するために見た携帯の表示で、今日が彼の誕生日だということを思い出した。
 8月31日、彼は今日で18歳になった。すぐにおめでとうございますとフリック入力し、少しの文章を付け足して彼のアドレスに送信した。今年は返事が来ると良いのだが。
 エレベーターで6階まで上がり、一歩踏み出した所でマンションの部屋の前で蹲る大きな影に気が付いて足を止めた。その影は確かにボクの部屋の前にいる。恐る恐る近付いてみると、ボクの気配に気が付いたのか影がむくりと顔を上げた。

「テツ、おせーよ」

 浅黒い肌に不機嫌そうな顔。立ち上がると見上げる程高い長身と、筋肉のついた腕。それは間違いなく可愛い弟分の大輝君であった。

「大輝君、久しぶりですね。どうしたんですか?」
「おお、とにかく家いれてくれよ、腹減った」

 お腹をさすって見せる彼を家の中に招き入れ、冷蔵庫に残っていたご飯でチャーハンを作って出してやる。うまいうまいと言いながらあっという間に完食してしまった彼に改めてどうしてここにいるのかと聞くと、彼は出来の悪い生徒に教える教師の様な口調でこう言った。

「はぁ? セックスしに来たに決まってんだろ」

 彼の意図が全く読めない。
 久しぶりに会った弟分の口から飛び出た単語の衝撃と、その単語を今ここで使う意味が分からなくて、ボクはしばらくその場で固まった。昔から少し頭が弱い子ではあったが、高校へ行って磨きがかかったのだろうか。純粋で可愛かった大輝君が、その辺のヤンキーみたいに見えるのもそのせいか。
 確かに実家を出る前から少しずつ荒んでいく気配は見られたのだが、それでもここまで分かりやすくグレるとは思わなかった。口調から表情、纏う雰囲気までが、ボクの記憶の中の可愛い大輝君とは大きく違う。

「……ちょっと何を言っているのか分かりませんね」
「お前が18歳になったらヤって良いって言ったんだろ、忘れたのかよ」

 信じらんねー、とふんぞり返る彼が信じられない。もしかして、あの夏の日のことを言っているのだろうか。セミ獲りの帰りに寄った我が家で、グラビアを見て「セックスがしたい」と言っていたあの日のことを。
 確かにボクはあの時、大人になったら性行為をしても良くて、18歳になったら大人だと言った、気がする。だが、それが何だというのだ。大輝君だってもう自分で物事を考えられる年齢だろう。あの時みたいに、セックスをしたいからどうすれば良いのか教えろとでも言うつもりか。

「オレ今日で18歳なんだけど」
「そうですね、おめでとうございます。さっきメール送ったんですよ」
「あ? ……ああ、本当だ。じゃなくてよ、もっと他に言うことねぇの?」

 未だ見えない彼の意図に首を傾げた。

「どうしたらセックス出来るか聞きに来たんですか」

 そう答えると、大輝君は深いため息を吐いて頭を抱えた。何故だか酷く屈辱的である。唇を引き結んで大輝君をじとりと睨みつけると、横目でこちらを見ていた彼と目があった。途端、立ち上がった彼がボクの腕を掴んでずんずんと部屋の奥へ進んでいく。

「ちょ、ちょっと大輝君、どうしたんですか」
「やっべぇ、今の顔きた」
「は、何を言って」

 言葉の途中で身体を投げられて、危うく舌を噛みかけた。衝撃に目を瞑ったのだが、背中の柔らかい感触は痛みを感じさせない。ベッドに投げ倒されたことを理解した途端、大きな影がボクに覆いかぶさる。

「18年間待ったんだから、責任とれよ」

 言いながらTシャツを脱ぎ捨てた彼の浅黒い肌を見て、あの夏の日、誇らしげにセミを見せてくれた笑顔を思い出す。昔から弟のように可愛がっていたお隣さん家の大輝君が唐突に剥きだした牙に、ボクはどう対応して良いのやら全く分からず、ただ彼のことを見上げるのだった。

[ 41/64 ]

[*prev] [next#]
TOP



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -