黒バス | ナノ






「死にたいです」
『は?』

 久しぶりの友人からの電話の第一声が穏やかなものじゃないのだから、さぞ驚いたことだろう。電話越しでもわかる黄瀬君の動揺っぷりに少しだけ溜飲が下がった。黄瀬くん相手にうっ憤を晴らしても、それは全く意味を為さないのだが。
 結局あの後、大輝君は散々ボクで遊んで、ボクは失神して、目が覚めるとやっぱり彼は居なくてボクは一人で処理をしてボタンを付け直した。虚しい。
 実家に帰るつもりだったが、そもそもの原因である大輝君があの態度だ。もう頭を下げる必要もない。
 セックスをしたいと言っていた9歳の彼を思い返す。純粋な好奇心から翳りない笑顔で言っていた彼が、薄暗い台所で同性を無理矢理犯す。同意もなければ愛もない。ただ言葉もなく悪戯に煽って乱暴に穿って、漏れる声は喘ぎではなく悲鳴だった。
 快感を拾うことも出来ず、だからと言って明確な拒絶を出来るでもなく、ただいやだいやだ痛いと口にしながら弟みたいな彼に好きなようにされる屈辱は耐えがたいものだった。

『どうしたの黒子っち、何があったんスか?』
「いえ、ちょっと口に出すのも憚られるようなことがありまして」
『うわあん、死なないで黒子っちぃ! オレ今すぐそっち行くっス』

 受話器越しにぴぃぴぃ泣き叫ぶ彼の声がうるさくて、携帯を少しだけ耳から離す。学生時代からの付き合いである黄瀬君と最後に会ったのは半年前だったろうか。当時からモデルをしていて華やかな世界に身を置いていた彼だが、何故だかボクに非常に懐いてくれて、住む世界も性格も全く違うのに大学を卒業してからもこうして連絡を取り合っている。
 黄瀬君の叫び声の後ろからは、ひっきりなしに複数人の声が聞こえてくる。彼は売れっ子の俳優だ。確か先週あたりに「来年公開予定の映画の撮影に入った」とメールが来ていた気がする。
 自称ボクの親友である彼の気持ちは嬉しいが、仕事を途中で放棄させる訳にはいかない。黄瀬君は昔から大げさで、ボクが少しでも悲しそうな顔をすると本当に全てをふっ切って忠犬よろしくボクの所に駆け付けてくれるのだ。端正な顔を歪めてきゃんきゃん泣いている姿が目に浮かぶ。

「黄瀬君、ステイです」
『えー、なんでっスか! 親友の一大事に駆け付けないわけにはいかないス』
「今はお仕事中でしょう? 近々ボクのために時間を作ってくれればそれでいいですから」

 回線の向こうで不満そうな声を漏らす彼がおかしかった。

『じゃあ金曜日! 黒子っちの仕事が終わった後にどっかで飲まない?』

 彼の提案にすぐに頷いて、何かあったらすぐ電話してくれと何度も念を押す黄瀬君を軽くあしらって電話を切った。





「心配したんスよー、いきなり死にたいなんて言うから」

 さすが芸能人、おしゃれな店を知っているなぁと変に感心しながらグラスを合わせた。彼が行きつけにしているというこのバーは芸能人のお客さんも多いらしく、バースタイルなのに完全個室がある。その個室の一つで隣り合って座る黄瀬君の横顔は相変わらず腹が立つくらいに綺麗だった。
 ため息すら出そうな完璧な造形をふにゃりと崩して、ボクを見ながら安心したように零した彼に釣られて小さく笑う。社交的ではあるが、他人と一線置いて接する癖が抜けない彼が、ボクにだけ向けるこの全幅の信頼を含んだ笑みが好きだった。鬱陶しいし大げさだし空気を読めないところもあるが、頑張り屋で素直な彼と一緒に居るのは心地良い。
 静かにグラスを傾ける彼は、先日の電話の内容が気になっているのに違いないのに、それを聞いてこない。学生の頃ならすぐにでも聞いてきただろうに、そんなところに彼の成長を見た気がした。
 あの時は勢いで彼に電話をしてしまったが、こんな話をこの人にしても良いものだろうか。少し時間を置いたおかげで幾分かは冷静になることが出来た。大輝君のしたことはやはり許せないが、彼にも何か思うところがあるのかもしれない。もしボクが彼の悪行を黄瀬君に打ち明けても、黄瀬君に心配をかけるだけで何の解決にもならない気がする。
 お互いの近況や昔話に花を咲かせて、次々とグラスを空けていく。お互い酒には強い方だから、飲んでも多少テンションが上がって楽しく話しが出来るだけ、デメリットは特にない。昔みたいな無茶な飲み方もしなくなった。

「ねぇ黒子っち、電話の件、聞いても良いっスか?」

 一頻り話しをして落ち着いた頃、黄瀬君がそう静かに切り出した。ついに来たこの話題に、どう答えたものかとしばし思案する。視界の端から感じる彼の真摯な視線が痛い。こんな鬱屈とした話題で彼を煩わせることが余計に躊躇われた。

「いえ、なんでもないんです」
「なんでもないことないっスよね。黒子っちからあんな電話くること滅多にないじゃないスか」
「なんとなくかけてみたんです」
「黒子っち……。オレってそんなに頼りない? オレ、黒子っちのためなら何でもするよ」

 だからそれがだめなんですって。そうは思っても口には出来ない。

「黄瀬君の声が聞きたくなったからかけたんです。それじゃだめですか?」

 答えるのが段々と面倒くさくなってきて、誤魔化す為に親友っぽい言葉を適当に口にする。こんな言葉でだまされるほど、さすがの黄瀬君もバカじゃないかと横目で様子を窺うと、酒に強い癖に目元を赤くしている黄瀬君と目が合った。と思ったら、逸らされた。
 ボクに背を向けてぶつぶつ呟いている黄瀬君の肩を叩いて名前を呼ぶと、大げさなくらいに肩を揺らして裏返った声で返事をされる。どうしたんですかと聞けば、なななんでもないっス! と下手くそな嘘を返された。これだけ盛大にどもっておいて何でもないことはないだろうに。

「あ、ほら、もうこんな時間だ。電車大丈夫っスか?」

耳まで真っ赤にした黄瀬君が腕時計を見て言う。旧友と過ごす時間の流れは早い。もう日付が変わろうとしていた。
 個人的にはまだ話し足りないのだが、黄瀬君はどうなのだろう。

「オレは明日夜だけだから、大丈夫っス!」
「そうですか。ボクも明日は休みですし、家来て飲みますか?」
「え!」
「来たくないなら無理しなくても」
「行く! 絶対行く!」

 そんなに期待されても家普通の家だし何もありませんよ、と言うと無言でぶんぶんと首を縦に振る。すぐにお会計をして駅へ向かおうとすると手を握られて、いつの間にか捕まえていたタクシーに押し込まれた。家まで3駅なのにタクシーに乗るのは勿体ないが、黄瀬君は芸能人だ。電車で大騒ぎになったら困ると思い直し、自分の考えの至らなさを恥じた。
 タクシーで15分も走れば、すぐに自宅マンションが見える。車中、ずっと黙りっぱなしだった黄瀬君がまた会計をしてくれて、ボクも払うと言ったのにお金を受け取ってもらえなかった。追いたてられるように無言でボクの手を掴んでタクシーから降りる。何をそんなに焦っているのか。

「おい、テツ」

 手を引かれるままエントランスに向かうと、玄関前に立つ人影に気が付く。玄関の照明が逆光になって表情は見えないが、制服を着たままのその姿は紛れもなく大輝君だった。

「大輝君、また来たんですか……」
「そいつ誰だよ」
「黄瀬君です」
「黒子っち、この子誰?」
「そういうこと聞いてるんじゃねぇだろ!」

 急に大声を出されて、反射的に肩が揺れた。黄瀬君の右手と繋がれたままになっていたボクの左手を力任せに掴むと、戸惑うボクに構わずにずんずんと大股で歩いていく。引っ張られる形で、足がもつれそうになりながら歩く。
 後ろを振り向くと黄瀬君がぽかんとこちらを見ていて、黄瀬君、と名前を呼ぶと大輝君が振り返ってお前は帰れ、と一言言い放つ。理由はわからないが、どうやら彼はご立腹らしい。握られたままの左手首が痛い。
 右手に持っていた鍵を奪われて、オートロックを解除される。そのままエレベーターで6階まで上がり部屋の前まで辿りつくと、ドアを後ろ手で閉めるなり片手で床に投げつけられた。

「……っつぅ、何するんですか」

 強かに打ちつけた右肩をさすりながら抗議するが、鼻で笑われて玄関先でのしかかられた。威圧感で身体が竦みそうになるが、年下にこれ以上舐められる訳にはいかない。鋭い眼光で見下ろしてくる大輝君を睨みつけて鳩尾に手刀を打ちこむと、うっと軽く呻いた彼の身体が揺らいだ。
 その隙に大輝君の下からすり抜けて、玄関で丸くなって呻いている彼を仁王立ちで見下ろす。二度あったとしても三度目はない。大人として、彼の兄貴分として最大限の威厳を込めて彼を睨みつけて、いい加減にしてくださいと低い声を出した。

「テツ、てめ……げほっ」
「君が何を思って何を悩んでこんな蛮行に及んでいるのかはわかりませんが、もう限界です。これ以上やるようなら警察に突き出す」

 電気の電源を付けて明るくなった部屋で彼を見ると、目尻に涙を溜めたままこちらを睨んでいる。もうこの眼光にも慣れた。いくら射殺すくらい鋭くたって、相手は大輝君だ。おねしょのシーツを変えてあげていた、あの大輝君なのだ。久しぶりに会った彼の変貌ぶりに後れを取ったが、彼の兄代わりであるボクには彼を正しい道に引き戻すという使命がある。

「浮気した癖にえらそうにすんな」

 けほけほと咳をする彼から距離を取って、その様子を冷静に観察していたのだが、そんな彼の吐いた言葉にふと思考が止まった。
 浮気。浮気? それは交際をしている男女がその特定の相手以外と関係を持つことを言うのではなかったか。

「あんな男、部屋に連れ込もうとしやがって。こっちは18年間待ってたんだぞ、ふざけんな! ぜってぇ許さねぇ」
「……大輝君? ボクにとって弟分は君だけですよ。そしてそれは浮気とは言いません」
「あほか! オレら付き合ってんだろうが!」
「…………初耳です」

 衝撃の事実にそう一言口にするのがやっとだった。付き合ってる、ってそういうことか。だから大輝君はあんな蛮行に及んでいたのか。そうか、それなら納得……、いや、出来ない。一体彼とボクはいつからお付き合いを始めていたのだ。全く記憶にない。

「言わなくても分かんだろ」

 すみません、分かりません。大輝君の考えていることが予想外過ぎて、眩暈がする。揺らぐ視界で傾きそうになる身体を奮起させて大輝君を見ると、むっすりと唇を一文字に引き結ぶ彼を見て頭痛はひどくなる一方だ。その表情は拗ねているようで、どこか昔の彼を思い出させた。
 放心していると、驚くべき回復力でいつの間にか復活していた大輝君の顔が目の前に合った。

「3回目だし余裕出てきたから優しくしてやろうと思ったけど、やっぱ無理だ」

 言うなり貪られる唇は少しだけかさついていた。このまま物理的に食べられるのではないかと思うくらい激しい口付けの途中で好きだ、と言われた気がしたが、それは酸欠で朦朧とした脳みそが聞かせた幻聴だったのかもしれない。
 先人の言葉は偉大だ。やはり、二度あることは三度ある。
 引きちぎられるボタンにどんどんボタン付けが上手くなる自分を思い、やるせない気持ちでいっぱいになるのだった。

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