黒バス | ナノ






ツアー七か所目、札幌でのコンサートを終え、ホテルへと戻る。明日の朝の便で東京へ戻り、明後日行われるコンサートで今回のツアーは終わる。
 初めてのツアーは楽しかったが、身体的な疲れ方も半端ではない。だが、それ以上に、ここ一カ月ほど持て余している不快な感情に体力と気力を削り取られていた。
他の地域に比べればだいぶ涼しいこの地域だが、それでも残暑の名残はそこかしこに残っている。部屋のドアを開ければ籠った空気が肌にまとわりついて来て、それを不快に思いながら冷房のスイッチを入れた。

「あー……」

 なんとなく声を出しながらベッドにうつ伏せで倒れこむ。ぼふりと音がして、柔らかい感触に身体が包まれた。目を閉じればすぐに寝ることが出来そうだが、今日も一日中動きまわっていた所為で身体が汗でべたべただ。とりあえず一汗流そうと、言うことを聞かない身体に鞭打ってゆっくりと起き上がった。
 バスタブにお湯を溜めていると、控え目なノック音が聞こえる。気のせいかとも思ったのだが確認のためにドアスコープをのぞくと、黒子っちが部屋の前に立っていた。

「どうしたんスか? こんな時間に」
「ちょっとお話があります。今、大丈夫ですか?」
「……うん、中入って」

ドアを抑えたまま身体を少しずらして、黒子っちを部屋の中へと招き入れる。お邪魔しますと律儀に挨拶をする様がすごく彼らしい。ベッドに座るようにすすめて、オレもその隣に座る。話ってなんスか、と聞くと、黒子っちは静かに口を開いた。

「黄瀬君はボクのことが好きですか」

 全く以て予想外の質問に、盛大に反応してしまう。彼の意図が読めなくて無駄に慌てながらきょろきょろと視線を泳がせるが、彼はオレを見据えたままだ。
 やっとの思いで好きっス、と返すと、ありがとうございますと素っ気なく言われた。一体なんなのだ。困惑しきったオレに、再度黒子っちが口を開く。

「黄瀬君、最近なにか悩んでいませんか」
「……なんでそう思うんスか?」
「見ていれば分かります。ずっと一緒にいるんですから」

 桃っちの件については今は置いておくとして、黒子っちは周囲の人間を良く見ている。人間観察が趣味だと言い切る人間に碌な奴はいないと思っていたが、彼は初めて見るタイプだった。やましいことがないからこそ、趣味は何かと聞かれれば人間観察だと答えることが出来るのだろうか。彼の趣味は、周りを欺くためではなく、周りを気遣うために使われることが殆どである。
 そして、性根の優しい彼は、今こうして仲間であるオレの不調に気が付いて、それを心配して深夜に部屋まで訪ねて来てくれた。その彼の優しさを純粋に嬉しいと思えない今の自分が嫌いだった。

「別に、なんにも悩んでないっスよ」

 なるべく平静を装ってそう答えるが、隣にいる黒子っちの顔を見ることが出来ない。敏い彼のことだ、こんな仕草の一つでオレの嘘なんてすぐに見抜かれるだろう。
 なのに黒子っちはオレの嘘については言及せずに、そうですか、と吐息混じりに呟いた。

「分かってるとは思いますけど、ボクも桃井さんも、黄瀬君のことが大好きです」
「なんスか、急に」
「いえ、君は愛想笑いがうまくて嘘だって平気で吐く癖に、案外子供っぽくて隠しごとが下手くそだから、気になってただけです」
「……どういう意味っスか」

 言葉のままですけど、と相変わらずの無表情で言い切る黒子っちはいつだってぶれない。
 オレが一人で置いてかれるんじゃないかって疎外感を味わってたのを察してくれていたんだろう。本当はそれだけじゃないんだけど、それはまだオレ自身もよくわかってないことだし、何より自分に向けられる好意に病的に鈍い彼が気付くはずもない。

「最近の黄瀬君は、ちょっと変というか、いや変なのはいつもなんですけど」
「それ言わなくても良かったんじゃないスか……」
「自己嫌悪、してたでしょう」

 本当に、どうしてわかるんだろうか。オレが分かりやすいと言われればそれまでだが、それにしたってこの人は本当にオレのことを理解してくれている。欲しい時に欲しい言葉をくれて、だけどそれは甘やかしているのではなくて、背中を押して欲しい時にそっと手を添える程度の温もりと後押しをくれる人だった。
 その影の薄さで気が付けば隣にいて、するりとパーソナルスペースに居座って、でも押しつけがましくなくて心の奥の柔らかいところをそっと撫でてくれる人だと思う。

「ボクは黄瀬君ではありませんから、君の考えていることの全ては理解できません。でも、ボク達が好きな君を、君自身が嫌いになることだけはしないで欲しい。これは、君が大好きなボクからのお願いです」
「黒子っち、」
「黄瀬君が大好きなボクからのお願いなんですから、ちゃんときいてくださいね」

 ふわりと相好を崩した彼に、どうしようもないくらいに鼓動が早まる。喉が熱くなって、彼に伝えたい言葉がある筈なのに、うまく声に出来ない。目頭が熱くて、指先が震えた。
 どうしよう、やっぱりだめだ。気が付かないふりなんて無理だった。桃っちのこともあるし、仕事のこともファンのこともある。だけど、これ以上は誤魔化しようがない。早鐘を打つ心臓が何よりの証拠だ。

「黒子っち」

 彼の名前を呼ぶ。ざぁざぁとノイズが聞こえた。

「黄瀬君」

 彼がオレの名前を呼ぶ。それだけで世界の色が変わる。

「さっきから気になってたんですけど、お風呂のお湯、大丈夫ですか」
「……あ!」

 バスタブに湯を張っていたことをすっかり失念していた。慌てて風呂場に行くと、バスタブの9割まで湯が溜まっていた。危ない、溢れるところだった。

「では、ボクは帰ります」
「え、もう帰っちゃうんスか」
「明日も早いんですから、黄瀬君も早くお風呂に入って寝てください」
「はーい」
「返事は伸ばさない」
「はいっス!」

 おやすみなさいと言い残して帰っていった黒子っちを見送ってから、床にへたり込んだ。顔を両手で覆うと、思いの外熱い顔面の熱に自分でもちょっと驚いた。はあっと腹の底から息を吐き出すと、さっきまでのもやもやが一緒に吐き出されていく気がした。
 黒子っちはやっぱり凄い。彼の言葉一つでこんなに気分が変わる。彼の行動一つでこんなにも世界が輝く。
 この気持ちを誰よりも先に伝えるべきなのは、黒子っちではなくて桃っちだろう。
 信頼して自分の気持ちを打ち明けてくれた仲間である彼女に、この気持ちを伝えたい。裏切りだとは思わないし思いたくもないが、桃っちにはどうとられるだろうか。
 居ても立ってもいられなくなり、メールを打つ。起きてる? とだけ書いた短いメールに彼女からの返信が届くまで、然程時間はかからなかった。
 さすがにこの時間に女の子の部屋に一人で行くのは気が引ける。だけど、一刻も早くこの気持ちを彼女に伝えたい。呆れられるかもしれない、引かれるかもしれない。それでも、今言わないと、また二人に引け目を感じる自分を嫌いになるかもしれない。黒子っちが言ったのだ、ボク達が好きな君自身を嫌いにならないでください、と。
 電話帳から桃っちの番号を呼び出して通話ボタンを押す。2コール目で応答した桃っちは、少しだけ眠そうな声をしていた。

「ごめん、寝るところだったっスか?」
『ううん、大丈夫だよ。それよりどうしたの?』
「うん、桃っちにどうしても伝えたいことがあって」

 オレの気持ちを伝えれば、桃っちはどう思うだろうか。宣戦布告だととられて、もう話しもしてもらえなくなるだろうか。でも、どうしてもそうは思えない。
 むしろ、隠し通してそれがばれた時の方が怒られる気さえするのだ。あんなに可愛らしい見た目に反して、桃っちは意外に豪胆なところがある。そこがまた、彼女の魅力なんだけど。

「桃っちあのね、オレも黒子っちのこと好きみたいだ」

明日の朝も早い。端的に一言、それだけを言って息を呑んで桃っちの反応を待つ。
 それは然して長い時間でもなかったのだが、沈黙が重く感じられて、今までの人生の中で一番長い数秒だった。

『知ってたよ』

 返ってきた言葉は予想外のものだった。
 罵られるまではいかなくても、気まずい空気になることは覚悟していたのに、彼女のもの言いには陰が全くない。からっと言い切って、呆気にとられて言葉が出ないオレに向かって彼女は続ける。

『最初に言ったじゃない。きーちゃんにテツ君のこと相談するのは卑怯だと思うけどって』
「は、え? あれってそういう意味……だったんスか? でも、あの時オレまだ黒子っちのこと好きじゃなかったのに」
『女の勘!』

 そう言われれば返す言葉もない。自分自身だって全く気が付いていない時から、桃っちはオレの黒子っちに向ける感情に見当を付けていたというのか。全く、本当に味方にしたら頼もしいけど、敵に回すとこれ以上ないくらい厄介な人だ。

『先に好きだってけん制しちゃってごめんね。でもきーちゃんが気持ちに気付いてくれて良かった。ちょっと気にしてたんだよ』
「桃っち……」
『明日からはライバルだよ。絶対負けないからね!』

 電話の向こうの彼女の表情は見えない。だけど、不敵に笑っている彼女の様子が容易に想像出来て、気が付けばオレだって負けないっスよ! と返していた。
 おやすみなさい、と電話を切って、ベッドに横になる。脳裏に今日までの出来事が走馬灯のように走った。なんだこれ、オレまだ死なねーし。
 今日も一日疲れた、本当に。でも、こんなに楽しかったことも充足感を得たこともない。これは、なかなかどうして癖になりそうだ。
 明日から始まる本当の戦いに備えて、今はただただ休息を取ろうと目を閉じた。脳みそが興奮して眠れないんじゃないかと心配したが、それ以上に身体は疲れていたらしい。目を閉じればすぐに思考がぼやけていく。敵は相当手ごわい。一瞬でも油断は出来ないのだ。

「おやすみ」

 ひとりでに口を吐いた言葉は、誰の耳にはいることもなく宙に消えた。

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