黒バス | ナノ




更にその後のお話

*更にその後のお話

「合鍵ちょーだい、せんせ」

 ね? と小首を傾げてられても可愛いくないし、全くときめかない。だが、それでもそう言われた翌日には鍵屋に行き、スペアを作ってもらっている自分にほとほと呆れた。10分ほどで完成したそれを受け取り、その二日後にはまた自宅前で待ち伏せしていた元教え子に渡すと、彼は怜悧な美貌をだらしなく歪ませて笑った。随分と狡猾になったものだが、このひまわりみたいな笑顔だけは変わらないのだから、自分は彼に冷たく接しきれないのだと思う。
 10年ぶりに再会した元教え子との粗相があってから、彼はびっくりするほどボクに執着してきた。
 聞けば、保育園の頃からボクのことが好きで、こうなる機会を窺っていたのだと言う。10年間だ、10年間。彼は今高校一年生の16歳だから、人生の3分の2以上をボクに思いを寄せながら過ごしてきた計算になる。
 幼い頃は引っ込み思案でボクの後ろに隠れてばかりいた涼太君だが、今では有り余る社交性を身につけ、モデルとして業界で活躍している。この通り見目も麗しいから、女の子が放っておく筈がない。
 それを、14歳も年の離れた、来年の一月には大台三十路を迎えるおっさん相手に、貴重な青春時代を無駄にしているのだ。これは、一教育者として看過できない状況である。
 看過できない状況であるのだが、如何せん、ボクには負い目があった。
 酒に酔った勢いで、元教え子で14歳年下の未成年に手を出してしまったのだ。
 それを持ち出して彼からお願いをされれば、きっぱりと断ることが出来ない。こんなことは間違っているとは思うだのが、負い目と幼い頃の彼をだぶるひまわりみたいな笑顔を見せられればぐうの音も出ない。
 結果として、仕事のない放課後は毎日ボクの家の前で待ち伏せる彼を止めることも出来ず、外で待ってると目立つからと合い鍵を強請る彼の言うままにこうして合い鍵を渡してしまった始末だ。
 全く以て教育者失格である。ついでに成人男性としても社会人としても失格である。最悪だ。

「おかえり、先生!」

そう考えれば、最初から芳しくなかった気分は更に底へそこへと落ちていく。自宅マンションに到着し、鍵を開けると当然のようにそこにいた涼太君を見て、遂に気分がどん底へと落ちた音が聞こえた、気がした。

「……ただいま」
「今日も遅かったっスね。晩御飯どうする? 味噌汁とご飯なら用意してあるけど」

 食べるならなんか作るよ、と言ってくれるのが妙齢の女性だったらどんなにか良かったことだろう。だが残念なことに、新妻よろしく甲斐甲斐しく世話してくれているのは、元教え子の16歳男子高校生なのだ。
 食べます、と言うと、了解っス! と嬉しそうに立ち上がりキッチンへと向かう。あれからまだ1カ月しかたっていないのに、彼はこの部屋がまるで自分の部屋の様に振る舞える程度には度々ここに訪れていた。
 男子高校生としては素晴らしいレベルの手料理を頂けるのは正直ありがたくはあるのだが、どうにも素直に喜ぶことが出来ない。

「明日休みだから、今日はゆっくり出来るっスね」

 リズミカルな包丁の音と共に聞えてきた言葉は聞こえないふりをすることにした。
 ボクはゆっくりします。君もゆっくりしてください、ボクのいない所で。そう言った所で無駄なことは分かっているのだが、それでも言いたくて仕方ない。どうしてこうなったのだろうか。
 涼太君ほどのイケメンが立つと、家賃6万円の安いマンションの一室がデザイナーズマンションにすら見えてくるから不思議だ。
 そんなことを考えていた意識が、バイブ音で引き戻される。咄嗟に自分の携帯を確認するが、着信はボクのものからではなかった。

「涼太君、携帯鳴ってます」
「あ、はいはい」

 テーブルに置かれたままのディスプレイには、女性の名前が表示されていた。それを確認して、少し面倒臭そうな顔をした後、ボクをちらりと横目で見てから電話に出る。

「もしもし? あー、いや、忙しい。うん。明日も無理、しばらく空いてねっスわ。じゃあね……いや、だから無理だって。あんまり面倒なこと言わないでくんね?」

 穏やかではない会話の内容に、関係ないボクの肝が冷える。

「もう会えないって言ったの、覚えてないの? オレ、頭悪い子嫌いなんだよね。バイバイ」

 背筋が冷えるような声と表情で話していた彼が、通話を終わらせて小さく舌打ちをした。反射的にびくっと震えてしまった自分が情けない。
 険しい涼太君の横顔を見ていると、不意に彼と目があってしまった。瞬間、不機嫌だった彼の顔がふにゃりと和らいで、だらしない顔でボクを見る。

「ごめんね、先生。すぐにご飯作るっスからね!」

 その前にお茶飲む? と言われ、はい、と答える。
 あんな通話の後で、彼は何故こんなにも平然としていられるのか。ボクには到底理解できそうもない。大体、彼と先の女性の関係がどういうものなのかは知らないが、あの一方的な言い草は頂けない。
 曲がりなりにも彼はボクの最初の生徒だ。ボクには、彼が真っ当な人生を送れるよう彼を正しい道に導き義務がある。……尤も、ボクが言ってもあまり説得力がないが。

「涼太君は、お付き合いしている女性がいるんですか?」
「お付き合いしてる男性なら目の前にいるっス」
「そうじゃなくて……。さっきの電話、女性からですよね。あの態度はあんまりなんじゃないですか」
「? だって、好きじゃないのに優しくなんか出来ないじゃないっスか」

 キッチンでやかんを火にかけていた涼太君が、真剣なボクの物言いに何かを感じ取ったのか、不思議そうな顔をしながらテーブルを挟んでボクの向かいに座る。
 きょとんとした様子からは邪気は全く感じられないが、それこそ性質が悪い。根はやさしい子なのだ。深く考えずに他人を傷付ける子にはなって欲しくない。
 
「そうかもしれませんが……。だからと言って、好意を寄せてくれる女性を無碍に扱うのは、男性として如何なものかと思います」

 真っ直ぐな目で見つめられることに居心地の悪さを感じながら、彼を諭す為の言葉を紡いだ。涼太君は頭の悪い子ではない、誠意を持って伝えれば、きっと分かってくれる。言い切ってから彼を見ると、思案するように指を顎に付けて視線を彷徨わせている。涼太君の心に、何かが引っ掛かってくれたのだろうか。
 幾ばくかの安心を覚えて、ペットボトルの水を一口含んだ。

「……先生、機嫌悪い? やきもち?」
 
 見当違いも良いところな発言をする涼太君に、口に含んでいた水を吹き出しそうになった。
 確かに機嫌は良くないが、それは涼太君がこうして日々部屋に押しかけてくることと、元教え子が道徳的に間違った女性の扱い方をしているからだ。それを正してやらなくてはと考えた教育者としての矜持が揺らいだ。この子の行く先を正してやれる自信が湧かない。
 呆れてものも言えずに無言でいるボクに何を思ったのか、涼太君は一層笑みを深くした。自分の携帯を手に取ると、何事かを操作し出す。何をしているのか聞くのも面倒で見守っていると、すぐに操作を終えてボクの正面に向き合って座り直してきた。距離が近いです勘弁してください。

「女の子のアドレス、全部消したっス」

 見当違いも良いところな発言をする涼太君に、今度は本気で思考が追い付かなくなって頭が真っ白になる。何がどうしてそうなった。

「先生がいてくれれば他に何もいらない。だから先生も、オレのことだけ見て、ね?」

 そう言って小首を傾げてられても可愛いくないし、全くときめかない。
 じりじりと距離を詰めてくる元教え子と、後退る三十路直前の男。なんて滑稽な図だろうか。まともに彼を見ることが出来ずに視線を泳がせていると、やかんが沸騰した音が室内に響いた。

「あ、やべ、忘れてた」

 そそくさと立ち上がってキッチンへと向かうのが、元教え子ではなくて妙齢の女性だったならと何度思っただろうか。
 本当に面倒臭い。何度言っても理解してくれない高校生も、彼に振り回される自分も、この関係性も。
 大きく吐いたため息は、涼太君の耳に届くことなく宙に消えた。

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