黒バス | ナノ




その後のお話

*その後のお話

 その日の業務を終えて、来月のお誕生日会の準備のために一緒に残っていた女性の先生と園を出る。渡されていた鍵で玄関の鍵を締め、今日も疲れましたね、なんて他愛のない話をしていると、不意に甘ったるい声で名前を呼ばれた。

「黒子せーんせっ」

 散々耳元で呼ばれ続けたあの時と比べれば少しばかり理性を孕んではいたが、それでもその声は無駄に甘ったるい。そう言う声色は女の子を呼ぶ時に使いなさいと何度窘めたところで、オレは先生以外はいらないっスから、とあのひまわりみたいな笑顔で言われれば、もうそれ以上ボクには何も言うことが出来なくなるのだ。
 日はとっくに暮れている。薄暗い街灯の下で、制服のまま保育園前の塀に背を預けていた涼太君は、ゆっくりとこちらに近付いてきた。
 月明かりと橙の街灯の下でさえもはっきりとわかるその容姿の整っている様に、隣に立っていた先生が息を飲むのが分かった。

「お疲れ様、今日は遅かったんスね」
「……涼太君、ここには来るなとあれほど、」
「あ、あの、もしかしてモデルの黄瀬涼太君ですか!? 黒子先生のお知り合い?」

 テンションが上がっている同僚に苦笑いしながらも、憧れのモデルがいきなり目の前に現れたのだから仕方ないかと思い、昔の教え子なんです、と告げる。
 対外用の理知的な笑顔で握手に求める涼太君は、いつも見ている彼とは全く違って、彼が自分とは別の世界の人間なのだと言う事実を実感した。

「あのね、黒子先生。オレ、保育園の中ちょっと見学させて欲しいんス」
「は、なんでですか?」
「今度ドラマに出ることになったんスけど、それが新人保育士さんの役なんス。だから、ちょっと勉強のために実際の現場を見せて欲しいなって」
「事務所の方にお願いすれば良いじゃないですか」
「えー、でもここまで来たんだし、ねぇだめ?」

 少しだけ腰を折って、視線の高さをボクと合わせて顔を覗き込んでくるその面は、相変わらず腹が立つほど綺麗だ。
 せんせい、と呼ばれればボクが拒否できないことを知っていて、その上であくまでお願いとして願望を口にする彼のずるいところが嫌いだった。

「黒子先生、少しくらい良いじゃないですかぁ。他の先生たちには黙ってますから、こっそり入れてあげれば」

 同僚はもうすっかり涼太君にめろめろなご様子で、彼に加勢する言葉をボクに投げかけて来ながらも視線は彼に釘付けである。ここで言い合ってもボクの負けは目に見えている、ならば、とっとと彼の言う通りにして早くこの場を切り上げた方が賢い、と判断する。わざとらしく大きなため息を吐いたのに、それを見て尚にこにこしている涼太君が忌々しかった。

「少しだけ見て、すぐに帰りますからね」

 視線も合わさずにそう告げれば、視界の端で彼の顔がふわりと崩れるのが見える。それを見てきゃあと黄色い声を上げた同僚の声に、更に気分が落ち込んだ。

「ありがと、黒子先生」





 同僚は、この夜中の保育園見学に参加する気満々だったのだが、女性は早く帰った方がいいと、あの自分の見せ方を理解し尽くした人間がする笑顔にまんまと言いくるめられ、頬を紅潮させながら帰って行った。明日あたり、この爛漫な高校生の皮を被った策士の連絡先をねだられることと、だから来るなと言ったのに、と苦情を言うボクに妬いてくれたの? とのたまう涼太君を簡単に想像出来てストレス社会で生きるボクの可哀そうな胃袋が上げた悲鳴を聞いた気がした。
 来客用のスリッパを出し、明かりをつけた園内を案内する。
 涼太君はなんか懐かしー、と言いながら、小さな机や椅子を見て興味深そうに室内を見て回っていた。
 子供たちの使う道具は、当然ながら子供向けのサイズに作られている。普段見慣れない人間からしてみたらミニチュアサイズのそれらはまるでおもちゃみたいに見えるのだが、耐久性と安全性はお墨付きである。子供たちに何かあっては一大事だ。
 室内後ろの掲示板に張られた子供たちの絵を眺めていた涼太君が、愉快そうにかわいいけど何描いてるのかわかんねっスねー、なんて言っている。

「涼太君だって、絵はあまり上手じゃありませんでしたよ」
「えー、そうだっけ?」
「そうです。よくボクの似顔絵を描いてくれましたが、あれはどう見ても宇宙人でした」

 保育士一年目、初めて担当した子供たちの一人が涼太君だった。もう10年前の話だ。
 あの頃は大人しくて、他の子たちの後ろを付いて回るかボクの後ろに隠れているかのどちらかだった彼が、今では芸能界なんて華やかな世界に身を置き、世の女性たちを虜にしている。時間とは概して偉大なものである。

「オレ、先生のことばっかり見てたっスからね。好きなもの描いて、って言われた時も先生のことしか思い浮かばなかったもんなー」

 言いながら隣に立つ僕の腰に手を回す仕草は自然で、16歳でこの慣れはどうなんだと頭が痛くなる。
 あの頃は大人しくて、他の子たちの後ろを付いて回るかボクの後ろに隠れているかのどちらかだった彼が、今では10年前の他愛もな口約束を言質にとり、酔っぱらって前後不覚になったボクと作った既成事実を盾に、日々の逢瀬を強請り、隙あらば身体の関係に持ち込もうとするのだ。時間とは概して残酷なものである。
 不穏な動きをする涼太君の左手をはたき落とすと、つれないなぁなんて呑気に言われた。

「ほら、もう良いでしょう。ボク疲れてるんでもう帰りたいんですけど」
「え、だめっスよ。だってまだ本当の目的が達成されてないんスから」
「本当の目的って……んぐぅっ」

 払い落した左手がボクの肩に回され、右手で顎を掴まれて固定されたのを認識してから、口を塞がれたのは一瞬だった。
 誰もいない園内で、白く光る室内灯の下、元教え子に咥内を蹂躙される。薄い唇が合わせられた後、隙間から侵入してきた厚い舌が下の上をなぞり、絡みついて根元から吸われる。口蓋を舐められると、慣らされた身体は卑しく反応を示して肩が大きく揺れた。悔しい。目を閉じずに無心で口付けてくる涼太君を睨みつけると、薄らと目を開けていた彼を目が合う。
 口付けたまま目を細めて笑う彼の妖艶さは高校生のものとは思えなくて、これまでの彼の経験遍歴が少しだけ気になった。やきもちとか、そう言うのではなく、単純に。
 次第に酸素不足で頭がぼんやりとしていく、足元から力が抜けて、がくりと崩れ落ちそうになるボクの身体を涼太君が両手で支えてくれた。

「ねぇ、先生」
「はっ……なんです、か」
「しよ?」
「は、」

 言うが早いか、ボクの身体はあっという間にタイルの床の上に倒される。
 こうこうと照らす蛍光灯の下、普段は子供たちを遊ぶ室内で今、ボクは元教え子に押し倒されていた。

「何をばかなことを」
「ばかなことじゃないっス! 大切なことっスよ」

 慌てて抵抗するが、現役男子高生で長身の彼に抑えつけられれば、悔しいが身体は全く自由が利かなくなる。易々と両手を片手で頭上にまとめ上げられ、うっとりとした笑みでボクに覆いかぶさる彼の表情はとても綺麗だった。
 
「ここでしてみたかったから、今日はここまで来たんスよ」

 ああ、だめだこの子。
 両手両足をばたつかせるが、彼の制服のネクタイによって両手は縛られ、股の間に足を入れられ股間をひざで押しつけられればすぐに身体から力が抜けた。

「この……猿!」
「猿で良いよ。10年間先生のことだけ考えてオナニーしてたんだから、我慢しなくて良い今が夢みたいなんス」

 我慢してくれ。ついでに教え子の卒園後のそんな情報知りたくなかった。出来ればずっと言わないでいて欲しかった。
ボクたちはそんな関係ではないのだ、断じて。確かに、あの一夜の過ちをちらつかせて、ねぇ先生お願い? と強請られれば強くは出れなくて、何度か身体を繋げたことはあった。だが、相手は高校生、未成年で元教え子で男で、ボクはれっきとした社会人だ。何かあった時に責任を負うのはボク一人なのだ。
 教え子は確かに可愛いし、彼等の願いならば全力で応えてあげたいとは思う。だが、そんな責任を負える程の歪んだ種類の愛情を、彼に向けてはいない。
 そうこうしている間にも、Tシャツの裾から侵入した熱い掌が地肌に触れていく。汗ばんだ肌が触れて、しっとりと合わさっていく感覚につい先日の情事を思い出させて鳥肌が立つ。
 最初は痛いだけだった行為も、次第に慣らされて浅ましく快感を拾い上げるようになってしまった。こんな変化いらなかったのに。

「先生、いつもどんな顔で子供たちと遊んでるの? 明日からどんな顔でここに立つの? もうこれで、仕事中もオレのこと忘れられなくなるね。ね、教室でこんなことするなんて黒子先生って、」

 耳元に顔が寄せられる。
 低すぎない甘い声は空気を孕んでいて、耳朶を舐められた後に耳元でしゃべられればその感触に身体が震えた。

「へんたい」

 言われた瞬間、膝を思い切りけり上げて、彼の股間を容赦なく蹴り飛ばした。
 男として痛みが分かるから出来ればやりたくなかったのだが、こうするしか方法はなかったのだ。
 ごろごろとそこを抑えて転げ回り、声にならない悲鳴を上げている涼太君を見下ろす。全く、頭が痛い。

「せんせ、ひど……っ」
「自業自得です、ほら早く帰りますよ」

 しばらくは動けないだろう涼太君を残して、教室を出る。
 あんなところで事に及ばれたら、ボクはもう明日からここで子供たちの相手をすることなんて出来なくなる。今でさえ充分振り回されている自覚はあるのに、これ以上思考を彼に奪われるのはごめんである。

「……本当に、面倒くさいですね」

 彼も、ボクも、この関係も。
 大きく吐いたため息は、涼太君の耳に届くことなく宙に消えた。


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