黒バス | ナノ






3年付き合った彼女に振られた。
 きっかけさえあれば結婚するんだろうな、と漠然と思っていたのはどうやら自分だけだったらしい。3年も付き合ってきたのに、別れはあっさりとしたもので、朝目が覚めたら入っていた留守番電話によってボクたちの付き合いは幕を閉じた。
 一日の始まりがそんなんだったせいで、今日は一日散々だった。
 元々体力のある方ではなかったが、30歳が近付くにつれてどんどん落ちて行く体力に反比例するように、子供たちの要求はエスカレートしていく。鬼ごっこしよう大根抜きしよう縄跳びしようだっこしておんぶして、その全てを叶えてやることは出来ないが、それでもかわいいかわいい教え子たちの言うことをなるべくなら叶えてやりたいと思うのは、何も保育士と言う職業に10年間従事している責任感からだけではない。単に子供たちの笑った顔が好きだからで、それはこの職業を選んだ理由でもあった。 黙っていると余計気分が落ち込むし、それならば子供たちの為に動いて忘れようと、年齢と自分のキャパシティーを忘れてはしゃいだのがいけなかった。クラスでも一番大きな男の子をたかいたかいした瞬間、腰が鈍く嫌な音を立てて、最後の力を振り絞ってその子を地面に下ろした後、ボクはその場に静かに蹲った。
 子供たちが呼んできてくれたお隣のアヒル組の先生(新人の女の先生だ)の肩を借りて、午後は救護室で休ませてもらっただけで大分良くはなったが、まだ少し痛む。しばらくは子供たちに抱っことおんぶとたかいたかいはしてあげられそうにない。
 休ませてもらった分の事務仕事を変わって引き受けたので、今日はいつもよりも帰りが遅くなった。明日は休みだし、朝からのうっ憤もある。今日は飲む。愚痴を聞いてくれる相手はいないが、酒にこのもやもやを晴らしてもらえれば充分である。 家系のせいか、飲むとすぐに赤くなり、加えて少量で酔ってすぐに記憶を飛ばしてしまうので、外では気兼ねなく飲めないのだが、家でならいくら飲んでも吐いても記憶を失くしても問題ない。
 駅前のスーパーで発泡酒ではなくて、七福神の絵の描いた高い缶ビールを数缶かごにいれ、つまみとおにぎりとアイスも一緒に会計を済ませて店を出た。
 日は完全に沈んだが、それでも日中の熱気は未だしぶとくそこいらにその気配を残している。生ぬるい外気に、自然と汗が滲んだ。首筋を伝う汗を掌で拭うと、エコバッグの中で缶がぶつかる音がした。

「あつ……」

 夏は苦手だ。
 焼けても赤くなるだけで、男の癖に女性よりも白い肌は、年を重ねても変わらない。からかわれたり羨ましがられたりするが、良いことなんか一つもない。すぐにのぼせてしまうから、日光も苦手だった。

「……黒子先生?」

 不意に呼ばれた名前に振り向くと、そこには光を放たんばかりにきらきらとした少年が、琥珀の双眸を真ん丸にしてこちらを見ていた。
 長い手足と高い背丈には覚えがないが、太陽がそのまま透けた様な金髪に、長い睫毛、切れ長の猫目には見覚えがあった。

「涼太、くん?」

 記憶の奥底の方からずるずると引っ張り出したその名前を口にすれば、目の前の少年は花が綻ぶような笑みを浮かべた。






 10年前、専門学校を出て保父になったばかりの話だ。
 1年目で任されたクラスは、園の中でもとりわけ個性的な子供たちばかりが集まるクラスだった。
 クラスを仕切る征十郎君は大人たちと同じ目線で話をするし、小学生と言われても納得するくらい身体の大きな敦君はいつもお菓子を食べていたし、真太郎くんは毎日変なものを持ちこんできては一時もそれを手放そうとしない。さつきちゃんはよく懐いてくれて良い子だったけど、黒子先生と結婚すると言って周りの女の先生を威嚇したりしていた。
 それに、大輝君は典型的なガキ大将で、大人しい涼太君をいつもいじめていた。お人形さんのように整った顔立ちの涼太君はお母さんたちや園の先生方には大人気だったが、大人しく引っ込み思案で、いつも何かの陰に隠れて自分の考えを口に出さない子だった。優しい子だったんだと思う。そんな子だったから、大輝君に何か言われてもただ従うだけで、力任せに叩かれても文句一つ言わずにぼろぼろと泣くばかりだった。
 なかなか自分の意見を言わない涼太君に対する苛立ちもあったのだと思う。あそんでやるよ! と言っては涼太君を叩いたり、泥をかけたりする大輝君を何度も叱ったのだが、問題の当人が何も言わないから根本的な解決には至らず、当時ボクは頭を抱えていた。

「りょうたくん」

 名前を呼んで頭を撫でると、気持ち良さそうに首をすくめて笑う。ボクに対しては警戒心がなく、よく懐いてくれていたのだが、それでも口を開いてくれることは殆どなかった。クラスの誰かが涼太君の名前を呼べば、ボクの陰に隠れる。滅多にしゃべることがない上にその整った容貌も相まって、彼は本物のお人形さんのようだった。

「嫌なことは嫌って言わないと、みんなわかってくれませんよ」

 撫でながら何度目かわからないその言葉を告げるが、やはり涼太君は不思議そうな顔をしてボクを見上げるだけだった。
 問題児ばかりのクラスではあったが、みんな性根は優しい良い子ばかりなのだ。大輝君だって、すぐに手が出るが、涼太君と一緒に遊びたいと思っているから毎回毎回声をかけてきているに違いない。セミを捕まえたと言って見せに来てくれた時だって、真っ先に涼太君に見せてあげていた。もっともその後、セミが怖かった涼太君が無言で泣きだしてそれに腹を立てた大輝君がセミを投げつける事件が起きたのだが。 涼太君が自己主張を覚えてくれれば、もっとみんな仲良くできるのに。
 そう考えて、涼太君にいろいろと働きかけてみたのだが、経験のない保育士1年生のボクにはうまい手段が思いつかず困り果てていた。





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