黒バス | ナノ







 兄ちゃんを引きとめる為の残る手段はただ一つ。
 兄ちゃんの家出阻止第三案は、身の危険を伴うので出来ればやりたくない。やりたくないのだが、昨晩の一件で兄ちゃんが頑なにオレとの会話を拒否している以上、もうこれしか残っていないのだ。
 隣家の門の裏に隠れて、息を殺して目的の人物を待つ。時刻は23時45分、昨日よりも少し遅いが、日によっては日付けをまたぐこともあるのでいつ帰ってくるかわからない為気は抜けない。
 
「涼太は家族以外の世界をもっと見た方が良い。だから、兄ちゃんは家を出るよ」

そう言って兄ちゃんは柔く笑んだ。
オレはと言えば、そんな兄ちゃんにかける言葉を見つけられなくて、バカみたいにただその場に立ちすくむことしかできなかった。もう寝るから出てって、と言われてもその場から動こうとしないオレの背中をそっと押してオレを追い出した兄ちゃんの掌の温度がまだ背中に残っているみたいだ。
ドアが閉められる直前、にいちゃん、と口を開きかけたオレを拒絶するように静かに扉は閉められた。涙が止まらなくて、決壊した涙腺はただただ大粒の涙を双眸から流し落とし続けた。もしかしたら兄ちゃんがもう一度、部屋から出て来てくれるかもしれないと思ってしばらくその場にいたんだけど、部屋の中からは物音もしなくて、それが更に孤立感を強めてくることに耐えらえなくなったオレは、黙って部屋に戻ったのだった。
今朝も、顔を見てもう一度拒否されることが怖くて、ドア越しに兄ちゃんの気配がしたのに、布団をかぶってただ丸まっていた。
 オレを諭す時の困った顔でもなく、機嫌を損ねた時の不機嫌な顔でもなく、何かを固く決意したように小さく笑った兄ちゃんの表情を見るのはこれで二回目だった。一回目は、ずっと昔のこと。兄ちゃんと、征十郎君のことを話していた時にしていた時にしていたあの表情。
 周りの人間と距離を置いて付き合うのが癖になっている征十郎君のことを怖いと感じるのは、オレに対して気を許している証拠だと言った兄ちゃんに、じゃあ征十郎君は兄ちゃんに優しいから、それは嫌いってことなの? と聞いた、あの時と同じ表情だった。あの時の兄ちゃんが小さく柔く笑んで、そうかもしれませんね、と言いながらオレの頭を優しく撫でてくれたのを思い出す。
 あの時は子供で、大好きな兄ちゃんの初めて見る表情にどうしていいかわからなかった。大人になれば何か変わるのかと思ったけれど、こうしてまたあの時の兄ちゃんを目の当たりにしてオレはただ呆けることしかできない。いつになっても大人になれないままだ。
 昔の思い出に思いを馳せていると、車のエンジン音が夜の住宅街に響いて鼓膜を揺らした。徐々に近づいてくるそれはすぐ傍でエンジンを止める。遠隔操作でシャッターが開くのにびっくりしてしまった自分が情けない。
 ドアを閉める音と、お休みなさいと言う声が聞こえてきて反射的に身体を強張らせた。シルバーのセダンがゆっくりとバックで車庫に入っていく。征十郎君だ。隣の自宅から扉を閉める音が聞こえたのを確かめてから、その場に立ち上がった。

「征十郎君、」

 右手でキーケースを鳴らしていた征十郎君は、オレが声をかけても驚く様子を見せなかった。こんばんは、なんて軽い調子で言ってくる彼は、きっとオレの行動も彼の予見の範囲内だったのだろう。それならば、オレがこれから何を言うのかも分かっている筈だ。

「会社から徒歩10分の距離にいい物件があるんだ。駅からは少し遠いけど、スーパーも銀行も近い。去年改修工事を終えたばかりだから、築年数の割に綺麗だし、セキュリティもしっかりしてる」

 だから安心してよ、と言われてああそうですかと引きさがるくらいなら、こんなところにいない。征十郎君に歯向かうのは正直怖い。まじで怖い。けど、ここで挫けたら、絶対に後から後悔する。

「征十郎君、お願いです。兄ちゃんを連れていかないで下さい」

 深々と頭を下げると、涼太、と平坦な声音で名前を呼ばれる。顔をあげると、嫣然と笑う征十郎君と視線があった。月明かりの下の彼は、威圧感を通り越して神々しささえ感じる。

「お願いする相手を間違ってるんじゃないか?」

 くつくつと喉もとで笑う彼にとって、オレはバカな子供以外の何物でもないのだろう。相手を間違っているのなんて百も承知だ。もう既に玉砕済みなのだから。だからこうして藁にもすがる思いでここにいるのだ。

「ねぇ、涼太。家族は一緒にいるべきだよね」
「え?」
「でも、いつか必ず離れなければならない。そうして他人と新しい家族を作らなければならないから。それは自然なことだろう?」
「でも、今はまだ一緒に居たい」
「涼太はどうしてテツヤと一緒にいたいの?」
「それは、兄ちゃんが心配だから」
「それだけ?」
「……征十郎君は何が言いたいんスか?」
「質問に質問で返すのは良くないな。まぁ、涼太だから特別に教えてあげるよ。涼太は僕にテツヤの「一番」を取られるのが怖いんだよ。お前たちは兄弟だ。その感情は少々行き過ぎていると思わないか?」

 オレは兄ちゃんが好きで、兄ちゃんもオレのことが好きだ。これはオレが産まれてからずーっと変わってない。オレの一番は兄ちゃんで、兄ちゃんの一番もオレ。だけど、兄ちゃんには大切な人がいて、オレにもそこそこ大切な人たちがいる。幼い頃は小さなコミュニティで引きこもっていることが許されても、成長するにつれ、その輪を広げていかなくては上手に生きていけない。人付き合いは割と得意な方で、友達も結構いる。女の子にはモテるし、部活の仲間も仕事先の知り合いもたくさんいる。それでも、どんなに人間関係が広がってもオレの一番は兄ちゃんだった。
 でも、兄ちゃんの一番は、いつからか一人だけじゃなくなってた。
 
「兄弟仲がいいのは素晴らしいことだ。でも、今回の件はテツヤがお前の今後を案じて決めたことだよ。涼太だってばかじゃない、わかってるんだろう」

 だから、僕はテツヤにつく。
 征十郎君の言葉は悔しいくらいに正論だった。でも、それをすんなりと受け入れられる程大人じゃない。
 俯いて黙りこむオレの肩を叩いて、早く寝ろよ、と言い残して征十郎君は自宅に入っていった。





「お前、何へこんでんだよ、鬱陶しいな」

落ち込むならオレの視界に入って来るなカス、と言われて頭をグーで殴られる。この人、他に言うことないのだろうか。
放課後の教室、部活行くぞ、と声を掛けられるも席から動くことが出来ずに机に突っ伏しているオレを、容赦なくゲンコツが襲う。いたい。体格も体力も常人離れしてるんだから、人を叩く時には是非細心の注意を払って頂きたいものだ。
ざわつく教室の中で一人突っ伏していると、まるで外界と遮断されたような気分になって、それが余計に気分を落ち込ませる。
更に、昨晩の征十郎君の言葉を思い出すと、これ以上ないほどに落ち込んでいた筈の気分が更に下降していくのだから驚きだ。ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくみたいに、身動きが取れなくて先が読めないことに恐怖心が煽られる。

「ねぇ、オレって変?」
「変っつーか、うぜぇな」

 真剣に聞いたつもりなのにあっさりと流された。なんて友人甲斐のない奴だ。未だくすぶっている兄ちゃんへの初恋に火をつけてどろどろにしてやろうか、なんて考えが頭をよぎるけど、それだとこの傲慢な友人だけじゃなくて兄ちゃんと征十郎君にも迷惑が及ぶだろうからそれをぐっと堪える。

「兄弟のこと好きなのって普通だと思うんスけど」
「お前の好きは普通じゃないだろ、どう考えても」
「具体的にどこが?」
「この年だと兄貴なんてうざったいもんじゃねぇの? お前みたいにべたべたして、兄貴以外の人間見下してるのは異常だろ」
「見下してないっスよ」
「そうかぁ? でも、興味はないだろ。それはちょっとまずいんじゃね」

 青峰っちの言葉が兄ちゃんの言葉と重なる。
 そうか、やっぱり他人から見ても他人に興味がないように見えるのか。あれから色々考えても見たけれど、確かに家族と部活と仕事以外の繋がりを軽んじていたかな、とは思う。

「いや、お前、部活の奴らとだってそんな真剣に付き合ってないだろ」

 仕事のことは知らないけどよ、と呆れた顔で言う青峰っちを凝視した。
 今まで意識したことはなかったが、部活と仕事関係で付き合いのある人間にはそれなりに愛想を振りまいていたつもりだ。

「オレ、愛想悪かったっスか?」
「そう言う問題じゃねぇだろ。へらへらしてたって、入ってくんな感がはんぱねぇんだよ、お前」

 表面を取り繕うのは得意だ。感情を読ませないように笑顔を作って敵を作らないようにするのは、恵まれた才能を持つ故に身につけた処世術である。現場の大人たちならともかく、同年代の奴らにそれが見透かされているとは思えなかった。嫌に鼻のきく青峰っちの言うことだ、彼が本能的に読みとっただけで、周囲総意の意見として捉える必要はないだろうが。
 だが、青峰っちの言葉が耳に痛かったことも確かだ。

「兄ちゃんのことが好きなのって、そんなにいけないことなんスか」
「それ自体はいいんじゃね。お前の場合は程度の問題だろ。もうお前めんどくさいわ、先部活行ってるぞ」

オレの兄ちゃんに対する好意が、常識の範疇を軽く超えていることは理解していた。それでも、家族に対して愛情を持つこと自体はおかしいことだとは思わないし、まだ子供と言って差し支えない年齢でいる時分はそれも黙認されて良いんじゃないかとも思っていた。兄ちゃんのことが好きで、他人のことに無関心だった。それはオレにとって非常によろしくないことだ。それは認める。
優しい兄ちゃんがオレの行く末を案じてくれるのは素直に嬉しい。
だけど、兄ちゃんがオレから離れて行くのには耐えられない。
征十郎君が言っていたことも充分に理解できるし、正論だと思う。どんなに仲が良くたって、いずれはそれぞれ独立して新しいコミュニティーを築いていく。でも、それならば、今はまだ一緒にいてもいいんじゃないかって思うんだ。
立ち去ろうとしていた青峰っちのブレザーの裾を思いっきり引っ張って引きとめる。

「やっぱりオレ、兄ちゃんが好きだ!」
「あぁ?」
「だから、オレなりに頑張る!」
「どうでも良いから部活行かせろ、カス」

 兄ちゃんのオレを心配してくれる気持ちは嬉しいし、征十郎君の言葉も理解できる。でも、オレはやっぱり兄ちゃんが好きで、ガキっぽいけど所詮まだガキだし、もうちょっと一緒に居たいと思っても罰は当たらないんじゃないかと思う。
 兄ちゃんがオレの対人関係を案じてくれるのなら、そこだけを直していけばいい。要は自分次第なのだ。兄ちゃんと一緒にいる為に、自分を変える。これは自己改革だ。
 固めた決意以上に固い青峰っちの拳で殴られても、オレの決意は揺らがないのだ。痛いけど!




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