黒バス | ナノ







 時刻は23時35分。そろそろ兄ちゃんが帰ってくる時間だ。そう思ったらじっとして居られなくて、部屋の中をうろうろ行ったり来たりをもう30分ほど繰り返している。
 2人暮らしを阻止するためには何を為すべきか。ない頭で必死に考えた。部活中もそのことばっかり考えていたから、青峰っちからのパスを顔面で受け止めてしまった。モデルの仕事もあるのにどうしてくれんの、と思ったけどオレがぼーっとしてるのが悪かったからそれは良い。その後痛がるオレを指さして笑うのにはさすがに腹が立ったが。
 必死で考えて思い浮かんだ案は3つ。
 まずは、両親に兄ちゃんの一人暮らしを止めて貰うこと。接触禁止令が敷かれたのは今朝のことだ。まだ家を出ることは両親には伝わっていない筈。そう踏んで、部活終わりに急いで帰宅したオレは開口一番、兄ちゃんが家を出ようとしていること、料理が出来なくて食が細い兄ちゃんが一人暮らしすることの危険性をありったけの情熱を込めて訴えた。
 しかし返ってきた言葉は、「征十郎君も一緒だから心配ないじゃない」の一言であった。
 さすが征十郎君、仕事が早い。電話かメールか知らないが、真っ先に親に連絡がいっていたらしい。征十郎君はあの通り外面が良い上に周囲からの信頼も半端ないから、征十郎君が言うなら、と言うことで母親はすぐに了承したらしい。その征十郎君が危険なのに……!
 速攻で第一案がぽしゃったオレは、第二案である兄ちゃんへの直接交渉を目指し、こうして部屋中をうろうろする作業を続けているわけだ。因みに、第三案は身の危険があるので、出来れば第二案を成功させたい。

「ただいまー」

 玄関からドアが開く音と小さな声が聞こえた。はやる気持ちを抑えて、ゆっくりと音が鳴らない様にドアを開ける。
 兄ちゃんは帰ってきたらまずうがい手洗いをして、その後着替えてから軽くご飯を食べてシャワーを浴びて寝る。もうすぐ、この階段を上がって、オレの部屋の向かいに位置する自室にやってくるだろう。薄く開けたドアの隙間から外の様子を窺っていると、階段の電気が付いてトントンと階段を上る音がした。隙間から窺い見た兄ちゃんはげっそりして見えて、今日もお疲れの様だとすぐに見て取れた。
 声をかけるかどうか一瞬悩んだが、今声をかけないと接触禁止令が解除される日、即ち兄ちゃんが家を出る日までおあずけ食らうことになってしまう。怒られるかもしれないが、今を逃せば兄ちゃんなしの生活が決定してしまうのだ。脳裏によぎる在りし日のマジギレ兄ちゃんを、頭を振って追い出して声を振り絞った。

「にいちゃん、」

 オレの声に反応してぴたりと足を止める。こちらを見る兄ちゃんのビー玉みたいな目と、薄く開けたドア越しに目があった。不機嫌さを隠しもしないその色を見る限り、今朝の怒りはまだ有効みたいだ。すぐに視線を逸らされて、座敷わらしが喋ったんですかねオカシイナーなんてわざとらしく言いながら部屋に入ろうとする兄ちゃんのジャケットの裾を、薄く開けたドアの隙間から伸ばした手で掴んで引きとめた。

「兄ちゃん、お願い話聞いて」
「……」

 熱のこもっていない冷めきった目で見つめられて心が折れそうになるけれど、寸でのところで踏ん張る。負けじと見つめ返せば、はぁっと大きなため息を吐いた後、兄ちゃんの部屋へと招き入れられた。
 ドアを閉めてスーツのジャケットを脱ぐと、立ったままもじもじしているオレに用があるならとっとと話して、と急かされる。

「家、出て行かないで欲しい、デス」

 勇気を振り絞って吐き出した言葉は、緊張のしすぎで何故か片言になった。
胡散臭い外国人みたいに喋るオレに視線すら寄越さず、ネクタイをゆるめながら兄ちゃんは答える。

「涼太は、兄ちゃんが何で怒ってるのか分かってるの?」

 言われて思い返す。「溜まったら言い寄って来る女の子から適当に見繕って学校でヤッてる!」と言った途端、兄ちゃんの表情が一変した。これが地雷だったことはまず間違いない。じゃあ、どうしてこの発言で兄ちゃんが怒ったか。問題はここだ。
 女の子とは合意の上で行為に及ぶ。よって問題はない。場所……学校で、って言うのは確かに頂けないかもしれない。これが第一候補。次、ヤッてるってこと自体? だとしたらもしかして、

「兄ちゃんやきもちやいてくれたの!?」
「散れ」

 どうやら不正解だったようです。
 兄ちゃんの眼光がちょっと今まで見たことないことになっていて、目を合わせるだけで石になりそうだ。このままじゃ兄ちゃんに嫌われる、そう考えただけで自然と涙が出てきた。えぐえぐと涙を流すオレを、いつもならすぐに頭を撫でて慰めてくれるのに、今は無言でただ見つめている。
 怖かった。このままじゃ、呆れられて嫌われて、家を出れば物理的にも距離が離れて、兄ちゃんがオレからどんどん遠くなってしまう。それは嫌だ、絶対に。
 嫌いにならないで、と嗚咽混じりで漏らすと、またため息を吐かれる。

「……こうなったのはボクにも責任があるのかもしれませんね」
「にいちゃ、ん?」
「涼太。兄ちゃんは涼太を甘やかしすぎたみたいだ。涼太は優しい子だけど、人の気持ちをもっと考えなくちゃいけない」

 兄ちゃんの言っていることがいまいち出来なくて、何度か瞬きを繰り返した。その度に大粒の涙が零れ落ちて行く。

「涼太は家族以外の世界をもっと見た方が良い。だから、兄ちゃんは家を出るよ」





「お前、何へこんでんだよ、鬱陶しいな」

落ち込むならオレの視界に入って来るなカス、と言われて頭をグーで殴られる。何というデジャブ。
 あれから、何を言っても兄ちゃんはオレの話を聞いてくれなくなった。お願いだから、と泣いて縋っても取り合ってくれない。こんなことは初めてだ。兄ちゃんは優しくてオレのことが大好きだから、口では色々言っていても最終的にはオレの願いを大抵叶えてくれていた。頭を撫でて、しょうがない子ですねって言いながら。
 思い出して泣き始めたオレを見て、青峰っちは痛かったのか、わりぃと謝ってくれた。うん、痛い。心が痛い。
 オレも青峰っちも目立つ方だから、このやり取りですっかりクラス中の注目を集めてしまった。渋々と言った様子でギャラリーを蹴散らしながら、腕を引かれて部室へと向かう。その間も涙が止まらなくてずっと泣きっぱなしだったから、明日辺りには「青峰が黄瀬を泣かせてた」と言う噂にいろんな尾ひれがついた噂が校内中を駆け巡ることであろう。
 昼休みを部室で過ごす部員はいるが、あと5分で授業が始まるこの時間だ、当然誰もいない。乱暴にパイプ椅子に座って舌打ちをされて、そんなに嫌なら連れて来なきゃいいのに、と思ったがこの状態で授業なんか受けられないし、ここは素直に感謝しとこうと思う。
 ありがとっス、と言ったら、また盛大に舌打ちをされた。なんなのこの人……。

「戻るのだりーからこのままサボるわ。寝てっから、お前落ち着いたら勝手に戻れば」

 そう言って青峰っちはテーブルに突っ伏して寝る体制に入った。口も態度も性格も頭も悪いけど、案外優しいところがあるのだ、この人には。そう、例えて言うならば映画版のジャイアンのような……

「お前、まじで殺すぞ」

 いつの間にか声に出していたらしい。落ち込んでる人間に本気の殺意を向けてきた昔からの友人に、必死で謝ればまた舌打ちをされた。
 すぐに興味を失くして、また寝る体制に入る青峰っちを無視して、オレは一人で話し始めることにした。

「兄ちゃんにマジギレされた」
「……昨日聞いた」
「更にキレられた。本気で家出るって」
「仕方ねぇだろ。てか、あのテツを怒らせるってお前何したんだよ」

 寝るのを諦めたのか、むくりと上半身を起こして頬杖をついている。
 
「それが、よくわかんないんスよ」
「はぁ?」
「オレに彼女が出来ないのが心配だって言われて、兄ちゃんといる方が楽しいって言ったんス」
「……病気だな」
「で、溜まったら言い寄って来る女の子から適当に見繕って学校でヤッてる! って言ったら兄ちゃんがキレて、」
「は? お前それ言ったの? テツに?」

 ばっかじゃねーの、と汚い物を見る目で罵声を吐かれる。何だこれ、兄ちゃんと同じ反応じゃないか。

「で、なんで怒ってるかわかるかって聞かれたから、もしかしてオレが女の子とシてることにやきもちやいてるのかなって」
「アホだアホだとは思ってたけど、本物だなお前」

 いっそ清々しいわ! と爆笑された。バカにアホと言われてむっとするが、この反応から察するに、青峰っちは兄ちゃんが怒った理由がわかっているっぽい。それならば下手に出て、その原因を聞くのが得策だろう。

「青峰っちは、兄ちゃんがなんで怒ったか分かるんスか?」
「いや、普通わかるだろ」
「わかんないから聞いてるんスけど」

 憮然として答えると、ようやく笑うことをやめた青峰っちがオレの顔をまじまじと見てくる。しばらくオレの様子を観察して、言い出しにくそうに頭を掻いた。なんだ、この反応。

「あー……。お前の場合、根本からずれてるから説明すんの大変そうだな」
「はぁ? どう言う意味っスか」
「うるせぇよ、オレだって説明するの苦手なんだから黙ってろ!」

 確かに、ごもっとも。勉強はおろか、得意分野のバスケに関してさえも説明が下手くそなのは、小学校からの付き合いで充分に承知していた。その青峰っちが、頭を使うことが何より嫌いな青峰っちが、オレの為に一生懸命考えている。彼に対してこれほどまでに友情を感じたことはない。それならば彼の心意気に答えようと、居住まいを正して彼の言葉を待つ。

「じゃあよ、テツに好きな奴がいたとして、だ」
「征十郎君?」
「それでいいわ。テツが赤司のことを好きだろ。で、赤司はテツ以外の女のことが好きだとする」
「征十郎君は兄ちゃん以外に興味ないっスよ」
「例え話しだよ、空気読め。で、赤司はテツのこと好きじゃないのに、セックスしたいからって理由だけでテツとヤったとする。お前、どう思う?」
「返り討ちを覚悟で、闇討ちする」
「だろ?」

 そういうことだ、と言われて、はっとした。今までオレのしてきたことが、征十郎君のしたことと一緒ってことか。つまり、女の子たちの好意を踏みにじって、その女の子たちを大切に思う人たちの気持ちも踏みにじっていたと。
 兄ちゃんは優しい人だから、オレが他人の痛みに気付かないバカヤローに育ったことに対して苛立っていたのか。

「そうなんじゃねぇの?」

 そうなのか。
 分かってしまえば、こんな簡単な理由だった。それでもオレはその事実に全く気付けなくて、兄ちゃんが怒るのも無理はなかったのだ。
 オレには圧倒的に想像力が足りていなかった。自分の行動が、他人にどんな影響を与えて、どんな気持ちにさせるのか、それを考えることを放棄していた。
 兄ちゃんのことばかりを考えて、自分のことだけを優先して、他のものを無視し続けてきた結果がこれか。

「うわあ、どうしよう……」
「どうしようったってなぁ。お前が態度を改めて、それをわかってもらうしかないんじゃねぇか」
「……青峰っちがまともなアドバイスをくれた」
「ケンカ売ってんなら買うぞ」

 こんな簡単なことが分かっていなかった自分が恥ずかしいと同時に、小学校から精神的には同じレベルで成長してきたと思っていた友人に諭されたことに少しだけ居心地の悪さを感じた。ガキ大将のままで中身は成長してないと思っていたのだが、情緒面は存外に育っていたらしい。少なくとも、オレよりは。
 原因は何かと考えれば、すぐに答えに行きつく。家族と幼なじみとばかり過ごしていたオレよりも、それ以外のコミュニティーで好きな子がいた彼の方が、様々な価値観や考えに触れる機会が多かった、それが要因の一つなのではなかろうか。

「そっか、青峰っちの初恋、うちの兄ちゃんだったもんね」

 行きあたった答えを口にした途端、がたんと派手な音がして、音のした方を見れば青峰っちがコントみたいに椅子から落ちていた。何事かと思えば、褐色の肌でも分かる程に顔が赤くして、おまえ、なんで、なんで、と文章にならない単語を呟いている。あんな毎日おっぱいおっぱい言ってる癖に、初恋の話をされただけでこんなにうろたえるとは。案外可愛い男だ。

「え、だから、身内以外に好きな子がいた方が情緒が発達しやすいのかなって思って」
「そうじゃねぇよ、アホが! なんでオレがテツのこと好きだったって知ってんのか聞いてんだよ!」
「え、いや、見ればわかるっしょ」
「うわああ、まじかよ……」

 背中を丸めてでかい図体を小さくして部室の隅で蹲る。暴君のらしくない姿に、それほど初恋を知られたのがショックだったのかと他人事ながらに思った。
 面白くてしばらく眺めていると、小声でテツは知ってるのかよ、と聞かれる。

「兄ちゃん、自分への好意には鈍感だから気付いてないと思うっスよ」
「そっか……」

 オレの答えに安心したのか、小さくなってた青峰っちがすっくと立ち上がって伸びをした。
 本当は、人の機微に敏い兄ちゃんのことだ、少年の淡い恋心なんて気付いていたのだと思うけれど、オレの足りないところを教えてくれたお礼に黙っておくことにした。
暴君のエロ峰っちの意外な一面に、こう言うところをもっと女子に見せたらモテるのになーと思うけど、どうせ言っても聞いてくれないから言わないでおく。
 バツが悪そうに頬を掻いている友人は女体に興味は示すものの、これと言った浮いた話は聞かない。誰が誰を好き、なんて話をしている時だって、女の子の胸の批評しかしない。まさかとは思うが、まだ初恋を引きずってたり?

「な訳ねぇだろ。赤司に殺される」

 ……それって、征十郎君がいなかったらまだ好きだったかもしれないってことか。
 これ以上深く突っ込むのは危険な気がして、好奇心を抑えて疑問をぐっと飲み込んだ。若気の至りってやつだよ、と尚もバツが悪そうにしている友人に対して思うのは、やっぱりな、という長年の予想を確認出来た満足感だけ。今だって突っつけば再燃しそうな恋心だが、それだって面倒なことになるのがいやだから突っつかないだけだ。別に、青峰っちに対して敵対心は湧かない。
 じゃあ、なんで征十郎君と兄ちゃんが一緒に住むのは嫌なんだっけ。そうだ、それは二人が付き合ってるから。でも、付き合ってるなら二人で住んだって問題ないんじゃないの?

(いや、でもそれは、なんか嫌だ)

 もやもやした感情を腹に抱えたまま、結局午後は部室で時間を潰した。  


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