黒バス | ナノ







「ただいまー」

 玄関に鍵がかかっていなかったから、誰かがいるのかと思ったけど家の中は静かだった。なんだ、不用心だ。泥棒が入ったら大変じゃないか。リビングに顔を出しても、誰もいない。早く帰って来いって言うから、放課後皆で遊んでいる中、一人抜け出して途中で帰って来たのに、あのクソ兄貴め。
 冷蔵庫を覗くといつもよりもたくさんの食材が入っていて、母親の誕生日への心意気がうかがえた。プリンを取り出して、二口でそれを食べきる。まだまだお腹は満たされないけれど、今日はごちそうだ。残しでもしたら、我が家の祝い事には毎回必ず同席する征十郎君に何をされるかわからない。腹ペコにして戦いに挑む必要があるのである。テレビをつけると、ドラマの再放送がやっていた。チャンネルを変えても、ニュースしかやっていなくて、しょうがなくドラマの再放送に戻す。画面の中では最近よく見る女優と男優がもみ合いながらキスをしていた。嫌だやめてって拒否してたわりにはキスされた途端に大人しくなってて、嫌なんじゃなかったの? と率直に思った。クラスの女子たちが騒いでいた記憶のあるそれはベタな恋愛ドラマで、特に興味もなく画面を見つめているうちに瞼が下がって来て、それに抵抗する理由もないのでオレはそのままソファで意識を手放した。





 物音がして、うっすらと意識が浮上する。だけど、まだ脳みそは半分寝てるから、身体を動かすのが面倒くさくて、なんとなくそのまま瞼を閉じた。ただいま、とお邪魔します、が続けて聞こえてきて、兄貴と征十郎君が帰って来たんだなと思う。だけどやっぱり目は閉じたまま。もう少しこのままでいれば、またすぐに眠れそうだ。

「涼太、またこんな所で寝て」

 起きなさい、と肩をゆすられるが、ううーと唸って寝返りを打てば兄貴は簡単に諦めてオレから離れて行った。相変わらずだね、と呟いた征十郎君の声はどこか楽しそうで、今日はどうやらご機嫌が良いらしいことが分かった。うん、良いことだ。付けっ放しだったテレビから音声が消えた。
 寝返りを打ったせいでソファの背もたれに顔を向け、リビングで何やらごそごそと物音を立てている二人に背中を向ける格好になった。

「とりえずこれ、冷蔵庫に入れちゃいましょうか」
「入る?」
「入りませんね……母さん、張り切って食材買い過ぎですよこれ……」

 ビニールのがさがさとした音が聞こえて、二人は何やら冷蔵庫の中を整理しているらしい。途中で、ちょっと大き過ぎたんじゃないの? とか、涼太はいちごショートが大好きだからこれで良いんです、とか言う二人の会話が聞こえてきた。どうやら今日のケーキを買ってきてくれたらしい。大きすぎるいちごショートと言う単語に気分が急上昇して眠気も一気に冷めたが、ここで起きたら嘘寝がばれるのでぐっと堪える。悪いことをしているのでもないのだが、ばれたら怖い、主に征十郎君が。
 しばらくごそごそと言う音が続いて、どうにかケーキを冷蔵庫に入れることに成功したらしい、ぱたんと冷蔵庫を閉める音がした。

「お茶淹れますから、先に部屋に行っていて下さい」
「いや、いいよ。待ってるから、一緒に行こう」

 ……何て言うか、小学生のオレが言うのもどうかと思うけど、この二人って何なんだろう。特別仲の良い幼なじみであることは間違いないんだけど、友達ってこんなんっだけ。
 征十郎君はずっと兄貴の隣にいる。もしかしたら、他に友達がいないんじゃないかなって割と本気で思ってる。征十郎君は外面も頭も良いし、周りに人はたくさんいるとは思う。だけど、他の人の前で兄貴の前みたいに振る舞ってる征十郎君がどうしても想像できないのだ。友達を選んでそう、と言うよりも、兄貴とそれ以外で区別してそう。
例えば、オレは青峰っちと仲が良い。たまにむかついたりもするけど、それでも青峰っちはかっこいいし一緒に居たら楽しい。でも、兄貴と征十郎君みたいにずっと近くにはいない。むしろ、いたら気持ち悪いなって思う。これは、オレがガキだからなんだろうか。高校生になれば、オレも友達との距離がもっと近くなるのだろうか。想像したら気持ち悪くて、やっぱり二人って不思議だなって思った。

「ちょっと、征十郎君、」
「黙って」
「やめ……、何考えてるんですか、こんなとこで」

 二人の関係について考えていた所で狙ったようなタイミングで背後から聞こえてくる会話のいかがわしさが増した。えええ、何それ、さっきドラマで見たシチュエーションと被ってるんですけど、え、何してるの二人とも! オレの見えないところで何してんの!?
 二人の小声でのやり取りが気になって気になって仕方なくて、オレは意を決して寝返りのふりをして180度身体を動かしてみた。今度は背もたれに背中を向けて、キッチンの方へ顔を向ける。ばれない様にこっそりと、薄―く目を開けた瞬間飛び込んできたのは、重なり合った二人のシルエットだった。えええ……。
 オレの位置からは征十郎君の後ろ姿しか見えなかったけど、その陰からちらりと兄貴の頭が見えて、征十郎君の腕の腕を掴んでいる手が見える。つまり、兄貴と征十郎君向いあっていて、「こんなところで」するのは躊躇われる様な事をしているわけだ。すぐに思い浮かぶのは寝る直前まで見ていたあのテレビドラマで、はっきりとは見えないけど、えええ……。
 ごとりと何かが落ちる音がして二人が離れたから、オレはまた慌てて目を閉じて寝た振りをした。

「……怒りますよ」
「いいよ、テツヤが怒る顔嫌いじゃない」

 はぁっとわざとらしく大きなため息が聞こえて、何かを拾い上げてキッチンに置く音が聞こえた。茶筒でも落としたんだろう。やかんが沸騰した音が間抜けに響いて、やめて下さいよ本当に、とか征十郎君の抑えた笑い声が聞えて、目を瞑っている分耳に集中した神経が些細な音も拾い上げて、それが何とも生々しい。見えない分、何をしているのか分からないのが想像を掻きたてる。その内に二人は連れだってリビングから出て行った。
 階段を上る二つの足音が消えて、二階の部屋のドアが閉まる音が聞こえたのを確認してから、オレはがばりと起き上がった。
 頭がこんがらがって、今しがた起きたばかりの出来事を理解出来ない。はっきりと見えた訳ではない、見えた訳ではないのだが、あれって、アレだよね? アレしてたんだよね? 脳裏に浮かぶのは、テレビドラマの中の女優さんのとろけた顔で、その顔が兄貴の物と入れ替わる。何が楽しくて兄貴の、しかも男とのラブシーンを目撃しなきゃならないんだ。胸がむかむかして頭にもやもやがかかって、目頭が熱くなった。なんなんだよ、何勝手にそんなことになってるんだよ、バカ兄貴。誕生日だから早く帰ってこいって行ったくせに、オレのこと祝ってくれるって思ったのに、征十郎君といちゃついてんじゃねーよバカ兄貴!





 家に居れば嫌でも兄貴と顔を合わせなければいけない。しかも征十郎君付きで。それが嫌で嫌で仕方なくて、オレは気が付いたら家を出ていた。走って走って、でも所詮小学5年生、行動範囲なんて高が知れている。もう夕方を過ぎて、空はオレンジから濃紺へと変化し始めている。こんな時間に友達の家に行けば、あっという間に家に連絡されて終わりだ。考え抜いた末、隣町の公園まで走った。ここはバスケのゴールが設置されていて、青峰っちがバスケをする時に良く来る。兄貴と征十郎君と4人で来たこともあったっけ、と思い出した所為でまた胸がむかむかした。だめだ、兄貴のことは考えないようにしなきゃ。
 バスケやサッカーでもしていれば気がまぎれ得るんだろうけど、生憎と無我夢中で家から出てきたからボールなんて持っていない。一人で遊具で遊んだって虚しいだけだし、大人に見つかってこんな時間に何しているの、なんて聞かれるのも厄介だ。死角になる場所にいようと視線を彷徨わせると、ゾウの滑り台が目についた。ゾウの足と足の間が空洞になっているから、ここに居れば見つからなさそうだ。
 体育座りをして、膝に顔を埋める。思い出したくないのに、こうして黙っていれば勝手にさっきの光景が蘇る。だめだと思って頭を振れば、今度は昔の兄貴が大好きだった時の自分を思い出す。兄貴と一緒に居るのが好きで、兄貴が好きで、カルガモの子供みたいに兄貴の後を付け回した。6歳も離れたオレのことを、それでも兄貴は邪険に扱うことなんかなくて、いつも歩くのが遅いオレに合わせてくれて、オレの手を引いてくれた。笑わない子ね、なんて陰で嫌味を言う嫌な大人もいたけれど、オレの前ではすごく優しく笑ってくれた。涼太はえらいね、って言いながら頭を撫でてくれた。お兄ちゃん大好きだからずっと一緒にいてねって言えば、もちろんと言って笑ってくれた。

「、んだよ、嘘つきバカ兄貴」

 1番好きだった。誰よりも大好きだった。兄貴もオレが好きだと言って笑ってくれた。でも、兄貴にとっての1番はもうオレではないのだ。ガキっぽいなーって思うけど、そういやオレ、ガキだったっスわ。なら思いっきりへそ曲げてもいいやーって思ったら何だか泣けてきて、膝に顔を埋めたままオレは大泣きした。一度崩壊した涙腺はダムが決壊したようなもので、大声あげて泣いた。どうせ誰もいないんだ、恥ずかしくなんてない。
 一頻り泣いたところで頭が痛くなって、泣きすぎて瞼も痛い。まだ涙は止まらないけど、ちょっとずつ落ち着いてきた。少しだけ冷静になって周りを見ると、もうすっかり日が暮れていた。これは間違いなく怒られる。下手したら誕生日なのに今日が最後の日なるかもしれない、主に征十郎君的な意味で。明らかに泣きはらした顔はきっと酷いことになっているだろう。顔も見られたくないし帰るのも怖いし、どうしたもんかと思いながら鼻水を啜った。

「涼太、汚い」

 ぐいっとティッシュを鼻先に当てられて、ほら、チーンと言われる。オレは子供か。いや、子供だけど。
 小さな頃から兄貴が大好きだったから、どんなに兄貴の影が薄くても両親すら兄貴を見失っても、オレだけは兄貴のことを一番に見つけることが出来た。なのに、ちょっと夢中で泣きすぎたらしい。いつの間にかオレの隣に座っていた兄貴に、バツが悪くて鼻先のティッシュをひったくった。

「落ち着いた?」
「なんで居るんだよ」
「今日は誕生日だから早く帰って来いって言ったじゃないか。バカ涼太」

 頭をぐしゃぐしゃと撫でられる。兄貴の手はもっと大きかったのに、今は昔よりも小さく感じた。誰かといる時はオレに対しても敬語使うけど、オレと二人の時だけ敬語が外れるのはどうしてなんだろうか。

「うるせー、バカ兄貴」
「何を拗ねてるの」
「……拗ねてねーし」
「はいはい、全く困った涼太君デスネー」
「バカにすんな!」
「してないよ」

 瞬間、抱きしめられて、いい子いい子と背中を叩かれる。悔しいけど久しぶりの兄貴の体温は、すごく心地良くて、オレは抵抗するのも忘れて兄貴の胸に顔を埋めてまた泣いた。兄貴は何も言わないでオレの背中を叩き続けてくれた。
 こんな所にいないで、オレの隣になんかいないで、とっとと征十郎君の所に帰れば良いじゃないか。そうは思ってもそれを言葉に出来ない。言葉にすれば、淡白な兄貴のことだ、こんな状態のオレを放って本当に帰ってしまうかもしれない。

「……バカ、バカ兄貴、ばーか」
「はいはい」
「ひっ、ぐぅ、むかつく」
「はいはい。お兄ちゃんがずっとそばにいてあげるから、安心しなさい」
「……迷惑だっつーの」
「はいはい」

 お兄ちゃんは涼太が一番大好きだよ、と言われてオレは耳を疑った。なんだよ、こいつ。なんで何にも言ってないのにオレの言って欲しいことが分かるんだよ。悔しくて胸に頭突きをかましたら笑われた。むかつく。悔しいから、小声で兄ちゃんありがとって言ってやった。本当に小さな声で、わざと聞こえないように言ったのに、それでも兄貴はどういたしまして、と返してくる。本当になんなんだ、こいつ。大好きだよ、バカ兄貴め。



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