黒バス | ナノ




黄瀬さんと紫原さんと黒子君

*黄瀬さんと黒子君



 退屈な授業が終わって、終礼が終わる前に全ての荷物を鞄に入れていた黄瀬は、終業のチャイムと同時に駈け出した。
 全速力で走るから短いスカートが翻って中が見えそうになるが、今はそんなことに構っていられない。早く彼に会いたい、彼からのパスを受けて大好きなバスケをしたい。洋服もスィーツもモデルの仕事も好きだが、彼との部活の時間が一番好き。
 彼がいるから、どんなに撮影が押して遅くなった夜も、試合前の鬼畜メニューで死亡寸前の時も、スキンケアを欠かさない様になった。どんな男の子に告白されてもちやほやされても感じなかった高揚が、彼と一緒にプレイするだけで黄瀬の胸を締め付けるのだ。ずっとずっと彼のパスを受けていたい。
 だけど、彼は赤司のお気入りだった。赤司、女バスの主将は、この中学の女帝を呼ばれる存在で、2年の途中から女バスに入った黄瀬などはとてもじゃないが頭が上がらない存在であった。他にも女バスの主力メンバーである「キセキの世代」と呼ばれる面々は良くも悪くも灰汁の強い連中ばかりだった。口ではなんだかんだと言いながらも、彼のことを気に入っている面々を出し抜いて下っ端の自分が彼と練習するには、誰よりも早く体育館に来ている彼の次に体育館に行くしかないのだ。
 緩やかなウェーブがかった長い髪を水色のシュシュでまとめて、思い切り体育館の扉を開ける。

「黄瀬さん、こんにちは。今日も早いですね」

 広い体育館に、いるのは彼一人だけ。上背は決して低くはないのに、線が細くて華奢に見える彼だが、着ているジャージが少しばかり大きい為に余計に線が細く見える。白い手で磨かれているボールに嫉妬してしまう程度には、黄瀬は黒子に夢中だった。

「黒子っち! 練習しよ、パスちょうだい!」
「黄瀬さん、先に着替えてきて下さい」
「やだ!着替えてたらみんなが来ちゃうじゃないっスか」
「……その短いスカートで走り回られると目のやり場に困るんです」

 照れるでもなしにそう言う黒子が、黄瀬は好きだった。同じくらいの年齢の男は一様に、制服の上からでも隠しきれなくなってきた身体の成長に興味を示してくるのに、黒子は違う。だからと言って異性に興味がないのではなく、抱きついて胸を押し当てれば赤面して必死で逃げようとするのだ。彼の淡白さと少年らしさのバランスを、黄瀬はとても好ましく思っていた。
 荷物の中からジャージの下だけを取り出すと、その場でスカートの下から身につける。これでいいっスか? と聞けば、少々あきれながらも、少しだけですよ、とボールを投げてくれた。

「もっと強く投げてくれも大丈夫っスよ! こないだ、青峰っちに出してたパス欲しい!」
「でもあれは……」
「ね、お願い黒子っち!」

 つい2ヶ月前からバスケを始めた自分が、全中優勝校のエースと同じパスを受けるのには無理があることは理解していた。それでも、相性の良さから黒子との練習量が一番多い青峰に嫉妬してしまうのもまた事実。プレイヤーとしては憧れている彼女も、殊黒子のことに関しては、ライバルでしかない。女と女の戦いは熾烈なのだ、立ち止まっている暇などない。
 両手を顔の前で合わせて懇願する黄瀬に、黒子は浅くため息を吐いた。これは、黒子がキセキの面々の我儘を受け入れる時の癖だった。予想通り、ちゃんと受け止めて下さいね、という言葉と共にあの加速するパスが黄瀬に向かって放たれた。
 傍から見るのと自分で受け止めるのとでは大違いだ。ボールがどこから来るかも、どのタイミングで放たれたのかも分かっていたのに、身体の反応が遅れる。辛うじてボールに触れることは出来たものの、掴み損ねたボールはてんてんと音を立てて転がって行った。

「黄瀬さん、大丈夫ですか」
「うん、へーきへーき」
「すみません、強く投げすぎました」

 少しだけひりひりと痛む掌を隠して明るく笑うが、黒子は沈痛な面持ちで黄瀬の両手を取る。割れ物を扱うような柔らかい手つきで黄瀬の両手を取り、注意深く掌を見つめる彼との距離は呼吸が聞こえる程に近くて、突然の接近に黄瀬は気を失いそうになった。
 女子としては背の高い自分が彼と並ぶと、視線がちょうど同じ高さになる。額がくっつくんじゃないかと言う距離に、幸福感と緊張で頭が真っ白になる。さらり、と彼の色素の薄い髪が額に触れた。真剣に涼太の掌を見る黒子の視線が、皮膚に突き刺さる様だった。
 鼓動が早まる。このままじゃ手に汗をかきそうだ。そうなる前に早く離して貰いたいのに、でもずっと触っていて欲しい。低めの体温が、熱い掌に心地良い。好き、黒子っちの事が好き、ずっとそう言いたかった。でも、種類に違いはあれど皆が彼に好意を向けているのはわかっていたから、自分の気持ちを真剣に伝えることはしなかった。ふざけて、じゃれついて、大げさに伝えて、それが冗談であるとアピールしながら、どこかで彼に気付いてほしいと願っていた。でも、それじゃ苦しい。気持ちが溢れて、押し潰されてしまいそうだ。

「黒子っち、あのね、」
「はい、何ですか?」

 思いっきり息を吸う。至近距離で見る彼の目は青く澄んでいて、自分がその目に映っている事実だけで鼻の奥がツンと痛んだ。
 飄々としていて見た目に反して頑固で心が強くて、だから傷ついても誰にもそれを悟らせない、優しい人。モデルとしての自分ではなくて、一人の人間として扱ってくれる人。だから黄瀬は彼が好きになったし、だからみんなが彼を好きになった。

「……ううん、何でもない」

 うそぶいて伝えているこの気持ちが本物だってことに、もしかしたら彼はもう気付いているのかもしれない。でも、伝えてしまえば今の関係性が壊れてしまうことは明確だ。誰よりも彼のことを見ていたから、彼の空色の目が、あの人を見る時に殊に優しく歪むことを、黄瀬は知っていた。誰よりも強くて正しくて、だからこそ誰にも寄り掛かることのできないあの人が呼吸を出来るのは、彼の隣だけなのだ。優しい彼が、そんなあの人を付き離せるわけがない。

「……そうですか」

 だれよりも優しくて誰よりも残酷な人。けど、きっとずっと自分は彼のことを思い続けるのだろう。未だ繋がれたままの手から伝わる体温に、黄瀬は柔く笑んで見せた。





*紫原さんと黒子君



「そろそろ昼休み終わりますよ」
「うん。黒ちん、次はこれ食べて」
「もうお腹いっぱいです……」
「いーから、ほら」

 これで最後だよ、と半分開いていた彼の小さな口に無理矢理お菓子を突っ込むと、うぐっと小さく呻いて半眼になりながらも、口の中のお菓子をもぐもぐと咀嚼し出した。無理に突っ込んだものだから、飲み込めないお菓子で頬が膨らんでいる。リスみたいだ、と思って笑うと、横目で睨まれた。でも、全然怖くない。
 今朝、登校途中に寄ったコンビニで新商品を見つけて意気揚々と買い込んだお菓子をお裾分けしようと、午前の授業が終わってすぐに(むしろちょっとフライング気味で)彼を教室まで迎えに行き、驚く彼を半ば無理やり引きずって屋上にやってきた。
 屋上がこの学校の女帝こと女バスキャプテンの陣地であることは、この学校の生徒であれば周知の事実であった。時間を問わず屋上に出入りする彼女と鉢合わせれば、文字通り命が危ない。この学校で安全に生きて行くこと、それは即ち、赤司を怒らせないことと直結しているのだ。ここへの出入りが許されているのは、彼女が唯一寄り掛かることが出来る彼と、赤司の機嫌が良い時に限ってだがキセキの世代と呼ばれる女バス部員の面々だけである。
だが、今日は昼休みに部費の予算会議があるので、赤司はここには来ない。そして、今日は朝から女帝のご機嫌が宜しくない。即ち、今ここには紫原と黒子の二人しか存在しえないのだ。

「黒ちん、ほっぺのとこ、お菓子ついてる」

 無理矢理に突っ込んだものだから、差し込んだ時に口の周りにカスがついてしまっていた。ごしごしと手の甲で拭うが、口の周り中についているものだから、完全にはぬぐい切れていない。取れましたか、と聞いてこちらをまっすぐに見つめてくる彼に、面倒くさくなって右頬についていたカスをべロリと舐めた。

「ちょ、紫原さん!」
「甘い。黒ちんって甘いんだねー」
「ボクが甘いんじゃなくて、お菓子が甘いんです!」

 イチゴ味が舌の上で溶けて消える。もっと味わっていたかったのに、残念だ。
 もっとお菓子が食べたいのに、先ほど黒子の口に突っ込んだ分が最後だった。どうしようもなく、甘いものを摂取したい欲望に駆られている紫原の隣で、黒子はまだぶつぶつと文句を言っていた。

「紫原さんは、もう少し女の子としての自覚を持った方が良いです。そしてボクが男だと言うことも再認識して下さい」
「ねー、黒ちん」
「なんですか」
「甘い物食べたい」
「もうないでしょう。今は我慢して下さい」
「やだ。黒ちん食べて良い?」
「は?」

 呆気にとられている黒子に構わずに、彼の低い鼻を甘噛みする。近すぎる距離に、視界がぼやけた。眼前に広がった肌の白と目の水色に見惚れていると、もぞもぞと彼が抵抗する。

「いひゃいれふ」
「ごめーん」

 さっきは甘かったのに、今は甘くなかった。おかしいな、と首をひねる紫原に、黒子は怒る気も失せたらしく物言わずに紫原を見つめている。唾液の付いた鼻を拭いてやろうとするが、生憎お菓子しか持っていなかったので拭けるものが何もない。しばし考えた後、制服のシャツの裾で拭くことを思いついた。
 おもむろにシャツの裾をめくり始めた紫原に、滅多なことでは取り乱さない黒子が慌てふためいた。

「何してるんですか!」
「え、鼻拭いてあげようと思って」
「良いです、大丈夫です!」

 シャツの裾をめくろうとする紫原とそれを阻止しようとする黒子の力が拮抗する。だが、いくら男女の差があるとはいえ、紫原の規格外の力に、標準より少し下程度の力しか持たない黒子が叶う筈がなかった。徐々に露わになる紫原の腹に、黒子が顔を赤くして叫んだ。

「ちょっと、止めて下さいって、本当に!」
「……何してるんだ?」

 前触れなく屋上に響いた冷たい声色に、二人の動きが止まった。



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