「東峰せんぱい、おかえりなさい!」
私の声が日が落ちた住宅街に響く。帰り道、方向が一緒だから先輩は私のことを送ってくれる。私が田中の紹介でバレー部に入った時からずっとそうだった。先輩が、部活に来なくなるまでは。私は何も出来なくて、時々見かける背中を見つめることしか出来なくて、もどかしかった。もう先輩のバレーが見られないんじゃないか、もう送ってもらうことも、おしゃべりすることも無くなるんじゃないか。でも、今先輩は隣を歩いている。
「春原、…それ何回言うの?」
「私が満足するまでです!」
先輩が戻ってきてからひと月が経つ。私はそれが嬉しくて。でも先輩の復帰に何も貢献できなかったことを悔やみながら、帰り道いつもこの言葉をかける。
「先輩が戻ってきてくれて、嬉しいんです」
「……それも何回も聞いたよ」
それでも言いたいんです、と彼の前を歩きながら言う。私と先輩は付き合っていない。特別な関係なんてない。ただの部活の先輩と、その後輩。先輩の視線を後ろから感じながら歩く。横を歩くのは、照れくさい。
「そう言えば、昨日田中が教室で」
こんな事があったんです、という私の下らない話にも先輩は丁寧に相槌を打つ。西谷なら聞きもしないだろう。この距離が楽しくて。また戻ってきたこの時間が幸せで。私の二度と手放したくないものだ。多分、先輩に恋人が出来なければ続いていくと信じたい。私が話す話に苦笑しながら聞いてくれる先輩は本当に優しい。ずるいくらい優しい。私と先輩の時間はこれだけだ。休みの日に二人でどこかに出かけたり、放課後に寄り道したりもしない。部活後のこの時間だけ。それが私を苦しくもさせる。たまたま家が同じ方向にあるだけで、面倒に思っているかもしれない。優しいから、送ってくれるだけ。そう思うと逆にこの時間はとても悲しい時間だ。私の気持ちが蓄積されていくだけの時間。積もり積もっても行き場のない気持ちだけがどんどん高く積まれていく。そこで私は時々、先輩を試す。
「あ、先輩」
「なに?」
「隣駅の北口に大きなショッピングモールが出来るの知ってます?」
「ああ、菅がそんなこと話してたな」
「週末オープンらしいんですけど、実は及川さんに一緒に行かないかって誘われてて」
ちらっと彼を盗み見る。特に表情に変化はない。
「なんか映画館もあるらしくて、そこで…」
「二人で行くの?」
「え、ああ、はい。一応、デートに行かない?って誘われたので」
「…そうなんだ」
はい、という返事が夜に消える。私は立ち止まり、ふう、とひと呼吸置いて口を開いた。先輩も釣られて足を止める。
「どう思います?」
「……え?」
「行ったほうがいいと思いますか?」
まだ返事をしてなくて、と言う私を先輩は見つめている。私は黙って先輩を見つめ返す。
「それを俺に聞くの?」
「はい、先輩はどう思うのかなって」
「……うーん」
困っている。そりゃあまあ困るだろうけど。私が欲しい返事は一つなのだ。踵を上げ下げしながら落ち着きなく先輩の返事を待つ。ヒュ、という先輩が息を吸う音が聞こえた。
「……俺は、」
「はい」
「俺は、行かない方がいい、と思、う」
行かない方がいい。その返事を聞き、私はにっこり笑う。
「じゃあ後で及川さんに断りのスタンプ送っておきますね!」
「え?スタンプでいいの?」
「はい、だってあの人めちゃくちゃ誘ってくるしスタンプばんばん送ってくるから面倒で」
その言葉に先輩は少し微笑みながら、歩みを進めた。私も自然とそれについて行く。これでいい。これが続けばいい。私には今の関係を壊してまで告白する勇気はないし。なんなら先輩が卒業するまでこのままでいい。この青春に傷をつけたくない。今も、将来的にも。
触れない手
横を歩けなくても
それが私の青春
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