私の目に映るそれは、画面越しに観る映画のワンシーンのようで。
まさかたまたま覗いた放課後の教室でそんな青春が繰り広げられてるなんて、知りもしない私。
とても綺麗で、青春の1ページといった感じで、同時に私が触れられない世界なのだと強く思った。
教室に映し出される二人の姿は夕陽の効果でくっきりと浮き上がる。そう、二人の横顔も、鼻筋も唇も、くっきりと。微笑む二人の顔はゆっくりと距離を縮めていく。
私がずっと片思いをしていた相手は、私が知らない女の子とドラマチックなキスをしていました。










「俺、彼女できた!」

木兎のその言葉に赤葦くんは一瞬ためてから口を開いた。

「そうですか」

赤葦くんらしいその言葉に少し吹き出してしまった。なんだか赤葦くんに睨まれている気がするがそんなものは無視だ。まあ今から部活って時に木兎をコントロールする側の赤葦くんはテンションを一定に保ちたいのだろう。

「赤葦冷たくない!?」
「いつもの事じゃない?」
「春原も反応が薄い!」
「何が?」
「俺彼女出来たの!」

だからお前も喜べ!と言わんばかりの笑顔に、舌が喉に張り付いたように一瞬声が出なかった。

「…春原?」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「だーかーらー!彼女できた!」
「うん、おめでとう」

そう返事をしても木兎は笑顔を向けたまま動くことはなくて。今からアップなのでは、と思いながら私もその場に立ち尽くした。

「……なに?まだ何かあるの?」
「違う!お前ら俺に興味無さすぎ!フツー相手はどんな子なのとか聞くじゃん!」

そんなこと聞かなくても、可愛い子だってことは、知ってるよ。喉が、乾く。

「……どんな、」

子なの、と聞く前に赤葦くんが口を挟んだ。

「春原さん、マネージャー集合って呼ばれてますよ」
「えっほんとに?ありがとう」
「えっ春原待っ」
「木兎さん、その話は俺が聞きます」

おう、と元気な声を背後に聞きながら私は指先が冷たくなっていることに気づいた。血の気が引く、とはこの事なのだろうか。

「栞ー?」
「雪絵ごめん!すぐ行く!」

駆け足でそちらに向かえば、なんだか体も元に戻ったような気がした。大丈夫。私の現状は、何も変わってはいない。







私はこの梟谷学園高等学校に入学して、一番最初に隣の席になった木兎光太郎に恋をした。半分一目惚れだった。今まで出会ったことがないくらいの明るさと前向きさを持った人。大きな背丈に大きな声。私にないものばかり持っている彼が輝いて見えた。
彼がバレー部に入ると聞き、私はマネージャーになった。なんて単純。でもきっと、青春なんてそんなものだ。
その時から二人の関係に特に変わりはない。私の片想いも丸二年が経ち、本人以外のバレー部の面々にはバレている。と思う。みんな優しいから言わないだけで。
だからさっきも、赤葦くんは助け舟を出してくれたのだろう。好きな人に彼女ができてしまった、可哀想な私に。










「こうたろー?」
紗里(さり!!」

彼の声に体育館の扉の方を思わず見てしまった。

「なに!?来てくれたの?」
「うん、頑張ってるかなーって」
「マジで!?嬉しい!」

木兎の目の前に立つ女の子は、この間の映画みたいなキスシーンの子だった。サラサラでくるりと巻かれた明るい髪、アイシャドウはキラキラと輝いて、グロスが塗られた唇もぽってりとしていて、短めのスカートからはスラリと綺麗な足が伸びている。
彼女の指に手を伸ばした木兎に胸が締め付けられる。木兎って自然にそんなことできるんだ。絡められた指に応えるように彼女も木兎の手を握った。少し離れたここからでもその綺麗なネイルが目に入る。

「まだ部活なの?」
「うん!まだあと一時間くらいある!」
「そっか、頑張ってね」
「おう!」

彼女は彼を一目見てそのまま帰っていった。ブンブンと手を振る木兎にメンバーは苦笑しつつも喜んでいた。最近の彼は調子がいいし、面倒くさくない。
その変わり、私のテンションは下がっていく一方だ。

「木兎さん、今日の個別トレーニングなんですけど、」
「赤葦!なあなあ見た!?紗里めちゃくちゃ可愛くない!?」
「はあ、」
「可愛いよな!?あんなに可愛い彼女がいて俺幸せ!」
「良かったですね。で、個別トレーニングなんですけど」

赤葦くんのスルースキルを見習いたい。そう思って数日観察していたらやめてくださいと怒られてしまった。

「春原さんはいいんですか?」
「何が?」
「木兎さんです」
「……いいもなにも、ねえ」

私がここで喚いたって木兎があの子と別れるわけでもなければ、私があの子になれるわけじゃない。

「私はあんなに可愛くないし、髪の毛も枝毛ばっかりだし、どんなにリップ塗っても唇はカサカサだし、あんなにスカート短くして先生に怒られたくないし」
「…………」
「それに私じゃ、木兎のテンション上げられないしね」

そう、木兎のテンションを上げられるのは“可愛い子”限定だ。

「諦めるんですか?」
「……諦めるも何も、元々そんな見込みはないよ」
「でも、ずっと好きですよね」

黙り込んだ私に赤葦くんは続けた。

「すごく献身的だと思いますよ、春原さん」

この場合の“献身的”はいい意味に捉えていいのだろうか。

「……ありがとう。赤葦くんにそう言って貰えるだけで私は十分だよ」
「でも、」
「大丈夫。部活に支障はないし、安心して」
「……そういうことでは無いんですけど」

少し眉を下げた赤葦くんに微笑んだ。

「どちらかと言うと心配、かな」
「心配?」
「赤葦くんもあの噂、聞いてる?」
「ああ、アスリートハンターってやつですか」
「そうそれ」

木兎の彼女は大会でいい記録を残したり、ユースに選抜されたりしている優秀なアスリートが好物なようで、その辺りを取っかえ引っ変えしていると良くない噂がある。

「でもま、今そんな心配しても仕方ないだろうし」
「はい」
「まあまた何かあったら慰めてよ」
「……はい」

私は、いい後輩を持ったと思う。












「木兎本当に最近調子いいねー」
「だろ!?ぜーんぶ紗里のおかげ!」
「あーはいはい、惚気はいいから」

雪絵と木兎が休憩中に話していた。その内容は相変わらず彼女の惚気で。耳を塞ぎたくても塞げない。

「えー雪っぺ聞いてよー!」
「えっやだよ、もう聞き飽きたー」
「えー……あっじゃあ春原聞いて!」

その瞬間、体育館が静かになった。

「ん?あれ?」

周囲の反応に木兎が首を傾げた。

「ぼ、木兎……俺らが聞いてやるからさ」

気まずそうに声をかけた木葉に申し訳なくなる。その後ろで猿杙も小見も頷いている。

「えー!お前らには毎日言ってるから違う奴に紗里の良さを広めたい!」
「お前はなんなんだよ」
「彼氏ですけど!?!?」

黙って聞いている私をじーっと見てくる赤葦くんの視線をスルーして微笑んだ。

「ごめん、私今度の合宿の事前調整があるからまた今度ね」

監督のとこ行かなきゃ、と一歩離れた。

「えー……って合宿?今度音駒でやるやつ??」
「そうだよー」

じゃあ行ってくるね、と体育館を後にした。
シューズから上履きに履き替える。靴箱から振り返ればまた木兎が木葉に向かって満面の笑みでで何か言っているようだった。好きな人の笑顔なのに、こんなにもつらいのは、私の心が狭いからだろうか。















音駒での合宿が始まった。とは言っても三連休を利用した短期なもので、参加校も音駒と梟谷のみという簡素な合宿だ。

「じゃ、春原今回もよろしくな」
「はーいお世話します」

マネージャーのいない音駒に借り出されるのは何故かいつも私だ。もう慣れたから別に構わないのだけれど。黒尾から挨拶があったので軽く返しておく。すると黒尾は少し黙って私の耳元に口を寄せた。

「……なあ、お前大丈夫なの?」
「ん?何が?」
「木兎。彼女出来たって騒いでたけど」

思わずキョトンとした顔をしてしまった。なるほど、私は思ったより顔に出やすい性格らしい。この様子だと森然や生川の人達にも木兎が好きだとバレているだろう。

「……ああ、うん。大丈夫」
「あんま詳しく聞いてないけどいつから?」
「えー、ひと月くらい前じゃないかな」
「……お前いいの」
「赤葦くんと同じこと聞かないで。その辺は赤葦くんと情報共有して」
「ぶっ、何その言い方」
「あんまり、考えないようにしてるから。それに、」
「それに?」
「多分、というか100%自分の口から話すと思うよ」

あんなに自慢の彼女なのだ。絶対黒尾には言う。私にはわかる。

「…………ふーん」
「なに」
「別にー?」
「ほら、ロードワークからでしょ、頑張って」
「はーい」

そう言って部員のもとに戻っていった黒尾を見送り、私はドリンクの準備やビブスの枚数確認をした。











「あの、すみません」
「……え」

メンバーを入れ替えての試合が何回か終わり選手が休憩している間にドリンクボトルを洗おうと音駒の水道を借りているところだった。

「あの、こう、……じゃなかった、木兎くんいますか?」

何故か私に声をかけてきたのは木兎の彼女だった。どうして。今は合宿中で、ここは音駒で。
膝丈のワンピースで、ヘアアレンジされた髪には大きなリボンが付いている。私が付けたらコントの小道具かって言われそうだけど、彼女にはとても似合っていた。
それに引き換え私は。着古したTシャツの襟ぐりは少しヨレていて、濡れるのが嫌で袖をめくって勇ましく肩を出していた。髪なんて梳かしただけだし、とてもじゃないけど比べるのも失礼なくらい私と彼女は違った。

「あの……?」
「ああ、木兎ですよね」

呼んできますね、と言って背を向けた私を彼女は呼び止めた。

「あの、差し入れを持ってきたので皆さんに渡したくて」

そう言ってトートバッグを少し持ち上げた彼女に私は少しだけ目を丸くした。チャラそうな見た目に反して、きちんとしている人のようだった。もういよいよ彼女に勝てるところがなくなってしまった。

「……じゃあ案内しますね、こちらへどうぞ」

私はそう言って体育館へ向かった。何が悲しくて私は失恋した相手の元に彼女を送り届けなくてはならないのだろう。またみんなに気を遣わせてしまう。でも多分、これが続けばこれが普通になって、多分私も今を懐かしく思える日が来るのだろう。そうでも思わないと、やってられない。

「木兎」
「ん?なに?……って紗里じゃん!」

黒尾たちと話している木兎に声を掛ければ私の少し後ろに立つ彼女に直ぐに気づいた。そして私なんてもう見えてませんと言わんばかりに私の横をあっという間に通り過ぎた。

「なになにどうしたの!?」
「音駒で合宿って聞いたから差し入れとかできないかなって思って来ちゃった」
「マジで!?ありがと!!」
「ううん、光太郎のためだし」
「やった!嬉しい!あ、黒尾ー!この子紗里!俺の彼女!」

私はその横を通り、洗っている途中だったボトルを洗うため水道に戻った。
やっぱり、慣れるなんて無理かもしれない。ひと月も経ったのにこれだ。まだこんなにも苦しい。蛇口を捻って水を出す。今なら、泣いてもバレないだろうか。この水の音に混じって、私の声なんて誰にも届かないだろう。そう思って大きく息を吸った時だった。

「春原」
「くろ、お……」

出そうになった涙を思わず引っ込めた。けれど、声だけはいつも通りに戻ってくれなかった。

「大丈夫、じゃないな」
「……ごめん」
「謝んなくていい。それに本当は赤葦が来たがったんだけど先輩特権で俺が来た」
「……ふふ、何それ」
「いつもお世話になってる栞ちゃんに、日頃の感謝も込めて慰めようかと」

嬉しいけど、少し腹が立つのはなんでだろう。

「……赤葦くんが良かった」
「それは傷つくからやめてください」
「嘘だよ、ありがと」

そう言って微笑めば黒尾は少しだけ眉間に皺を寄せた。

「……ありゃしんどいな」
「うん」
「まあ木兎だしな」
「まあそうだね」
「キツいんだろ」

暗に諦めろ、と言いたいのだろうか。諦める、の前に木兎とどうこうなんて考えてない。でも。

「キツいけどさ、」
「うん」
「それでもやっぱり、近くで見ていたいって思っちゃうんだよね」

私がそう言うと、黒尾は目を丸くした。

「馬鹿みたいでしょ。こんなに、苦しいのにね」
「……お前は頑張ってるよ」

差し出されたタオルを受け取る。

「これ、黒尾使ってないよね」
「おま、失礼なやつだな!」
「うそうそ、ありがと」

タオルをふんだくろうとする黒尾の手から逃れる。私には慰めてくれる人が二人もいる。本当に有難いことだ。













音駒での合宿が終わり、本格的にインターハイの練習が始まった頃だった。

「でさ、紗里がさー!」
「はいはい木兎さん分かりましたからスパイク練しましょう」
「おー!」

赤葦に促され練習に戻る木兎を遠くから眺めていた。するとこちらに向かってダッシュしてくる。この人の体力に底はないのだろうか。

「春原ー、ドリンクちょーだい!」
「はい」
「あんがと!」

ごくごくと動く喉を見つめる。そんな些細なことでさえ目を奪われてしまう。やっぱり好き、なんだろうなあ。

「ん?」
「あ、ごめん。なんでもない」

ふいっと目を逸らし、床を見つめた。その瞬間、あ!と木兎が大きな声を上げた。

「なあなあ聞いて欲しいんだけどさ!俺らもうすぐ三ヶ月なの!」
「ふーん」
「またそうやって興味無さそうにする!」
「まあ事実ないからね」
「冷たい!」

誰が聞きたくてそんな話を聞くだろう。それでも木兎の声が聞きたくて返事をしてしまう私を、今ばかりは恨んだ。

「…………それで?」
「ああ!そんでさ、プレゼントとか何がいいと思う?」

心臓を刺されたかと思った。木兎は、今、私に、彼女へのプレゼントを相談している。そんな事実に心が追いつかない。私があんな女の子の喜ぶものを選べると思っているのだろうか。私がどれだけアンタのことを好きかも、知りもしないで。

「……木兎が選んだものなら何でもいいんじゃない?」
「みんなそうやってはぐらかそうとする!俺わかってんだからな!」

恋愛に一生懸命な彼は、見ていて羨ましい。だって人生薔薇色ですってオーラが凄くて、彼女を思う視線はとても綺麗だ。たとえそれが自分に向けられたものでなくても、そう思う。
ただ、最近は部活動中にも彼女の話をすることが増えた。すごく増えた。別にだからと言って支障はない。私が聞きたくないってだけで。

「デパコスでもあげたら?」
「デパ???」
「化粧品」
「あー!化粧品な!それ難しくね?」
「似合いそうな色を選んであげればいいよ。リップとか。彼女が好きなブランド聞き出してさ」

ブランドとか種類とかわかんね!と言う木兎に当たり障りのない返事をした。

「ふーん、なあそれっていくらくらいすんの」
「リップとかグロスなら五千円くらいかな」
「ごせ…!?そんなすんの!」
「まあデパコスだし」

バイトができない私たちにとって五千円は大金だ。下手したらお小遣いがまるっとふっとんでしまう。

「うーんでも記念日だしバシッと決めたいしな!」
「よし決まり。じゃあ練習に、」

戻って、と言おうとした瞬間、木兎に腕を掴まれた。ふわ、と木兎の制汗剤の香りがした。あまりの近さにくらくらする。

「え、何、」
「あのさ!それ買いに行くの付き合ってくんない?」
「…………は?」
「だって俺デパコス買ったことないもん」

そりゃそうでしょうよ。

「春原がいたら大丈夫だろ?」

私だってデパコスなんて買ったことないよ。

「それにアイツに似合う色とかわかんねーし、女のお前なら、」

好きな人の恋人へのプレゼント。それも彼女に似合うリップを選べ、だなんて私は前世でなにかとんでもない罪を犯したのだろうか。その仕打ちが今なのだとしたら、来世の私には幸せになってもらいたい。だから今世の私は穏やかに生きなきゃ、と思ったけれどそんなものは無理だ。私は掴まれた腕を強引に振り払った。

「え、」
「あのさあ、」

地を這うような低い声が耳に届く。これは本当に私の声なのだろうか。もう自分で自分がコントロール出来ていない。そんなこと、自分が一番わかっていた。なのに、私の口は止まってくれない。

「最近、ずっと彼女の話してるよね。部活中もずーっと。休憩時間ならいいよ、でもさあ今は休憩時間じゃないでしょ?ドリンク取りに来ただけだよね?ほら見てよ、赤葦くんたち待ってるじゃん。恋人のこと好きなのは分かってる。自慢したいのも分かる。でもいい加減周りを見て欲しい。自分だけ気持ちよく話せればいいの?少なくとも私は迷惑してる。私はまだまだやること沢山あるの。インハイも近いし部活に集中したい。それに私は木兎のご機嫌取りじゃないの。もう木兎が欲しい返事はしてあげない。だから二度と私の前で、」

あの子の名前を出さないで、そう言い切る前に赤葦くんが私の前に立ちはだかった。
木兎を、守るみたいに。

「春原さん」

赤葦くんの目を見て途端に冷静になる。私は、木兎に、何を言った?

「っ、あ……」
「木兎さん、コートに戻ってください。春原さん、少しこっちへ」

やってしまった。完全に、やってしまった。は、と顔を上げればこちらを不安そうに見る雪絵たちがいる。ああ、ごめん。木兎の機嫌、損ねちゃったかも。赤葦くんに掴まれた腕の感覚も気づかないくらい、完全に自分を見失っていた。

「春原さん」
「ごめんなさい」
「え?」
「部活中にあんな……、ごめん」

今更恥ずかしさが込み上げてくる。下げた頭を上げられない。だって、こんな風にするつもりは、なかった。

「いえ、春原さんが言いたかったことは誰しも思っていたと思います」
「……そんなことないよ、私が」

私が木兎を好きなせいで。そのせいで部活のみんなに迷惑をかけてしまった。

「春原さん、今日は、」
「うん、もう帰る」
「え、いや、あの」
「このままここにいても木兎の機嫌損ねるだけだろうし、悪いけど雪絵とかおりに任せる」
「……わかりました。あと頭を上げてください」
「…ありがとう」

私はコートの方を見ることなく、更衣室へと向かった。
更衣室に戻ってワンワン泣いた。どうせこの時間帯にここに来る人はいない。自分が情けなかった。自分の理想通りにことが進まないからって癇癪を起こすなんて。
泣きながら制服に着替え、マスクをして少しでも顔が見えないように家に帰った。









「栞!起きなさい!あんた昨日お風呂入ってないでしょ!」
「んー…」
「シャワー浴びなさいよ」
「うん……」

昨日帰宅後部屋着に着替えてそのまま寝てしまった私にお母さんが檄を飛ばす。
私はベッドから起き上がりシャワーを浴びるためお風呂場に向かった。
朝練、行かなきゃだし。









「おはようございまーす」
「「「しゃーす!」」」

嫌でも来てしまうのが部活の時間というもので。勿論マネージャーだって朝練に参加しなければならない。

「おはようございます」
「赤葦くん、おはよう」
「昨日はよく休めましたか」
「うん、おかげさまで」
「あの、木兎さんなんですけど、春原さんに拒絶されたのが堪えたみたいで」
「拒絶って……」
「まあ最近目に余るところもあったので、部員みんなで注意しておきました」
「ええ……そんなことしたら……」

絶対にしょぼくれる。大丈夫だったの、という表情が赤葦くんにも分かったのだろう。ため息をついてから口を開いた。

「そうですね、しょげてました」
「だろうね……」
「でも反省はしてくれたみたいなので安心してください。その、春原さんとしてはあまり状況が変わった訳では無いかもしれませんが」
「ううん、ありがとう」

そう言ってシューズを履き替え体育館に入ろうとした。

「春原」

赤葦くんの後ろに木兎が立っていた。

「話がある」
「え、あ、でも、今から朝練……」

私はチラリ、と赤葦くんを見た。

「大丈夫ですよ、行ってきてください」
「う、うん……」

赤葦くんに背中を押され、木兎の後ろについて行けば部室に着いた。

「座って」
「……うん」

部室内のベンチに座ると、隣に木兎が座った。

「昨日はごめん」

急に謝ってきた木兎に何も言えずにいると、こちらの様子を伺うように見つめてきた。

「……俺さ、紗里が彼女になったのが本当に嬉しくて、みんなに言いたくて、」

思わず息を深く吸った。これは、新手の拷問なのだろうか。私はそんなこと聞きたいわけじゃない。赤葦くんたちも、木兎が私にこの話をすると知っているのだろうか。いや、知っていたら止めそうだ。それとも私に現実見ろよ、とでも言いたくて木兎を止めなかったのだろうか。思考がドンドンマイナスにふれていく。

「俺は部活にもいい意味で影響出てたけど、春原からしたら鬱陶しかったんだよな?赤葦が言ってた」
「いや、鬱陶しいとまでは……」
「これからは気をつけるから!」
「うん……」

じゃあこれで仲直りな!と言う木兎にこの人やっぱり中身は小学生なんじゃないかと思い始めた。でも多分、そこが好きなんだろうなあ、私は。無垢というか、無邪気というか。そんなことを思いながらベンチからゆっくり立ち上がると木兎が目をキラキラさせながら口を開いた。

「ねえ!俺めっちゃいいこと思いついた!」
「……いいこと?」

木兎がこういう言い方をする時、それが褒められたものだったことは正直あまりない。だから身構えてしまった私は誰にも責められないと思う。

「春原も彼氏作れば俺の気持ちわかってくれそう!」
「……は?」
「黒尾とかいーんじゃね?仲良いじゃん!」

身構えたからと言って、うまく対応できるわけじゃない。
ああ、わかってる。これは善意なのだ。彼にとっては、純粋な善意だ。
もういい。私は、頑張った。

「……木兎さ、」
「うん?」
「私がなんであの時怒ったのかわかってる?」

立ち上がって俯いたままそう言った私に、木兎は顎に手を当て悩むような仕草をした。

「え?部活に集中してなかったから!」
「そうだね、それもある。でも、それだけじゃないの」
「えっなに?」
「私、木兎のこと好きなの」
「……………………え、」

目の前で目を丸くした木兎にざまあみろ、と思った。どうだ、アンタは私が自分のことを好きだなんて思いもしなかっただろう、ふふん!っと心の中で悪態をついた。

「木兎のこと好きだから彼女の話あんまり聞きたくなかったし、その彼女へのプレゼント選んでなんて言われたから、すごく、すっごく嫌だった」

黙っている木兎に、言うつもりがなかった言葉がどんどん出てくる。ああ、私は学ばない。

「木兎の彼女のこと悪く言いたくないけど、あの子、自分のステータスになるような人としか付き合わないって有名じゃん。そんな子に木兎を利用されてるのかもって思うのも嫌だった」

好きな人の好きな人を悪く言うなんて最低だ。聞き捨てならなかったのだろう、木兎もベンチから立ち上がり私を見て否定の言葉を述べた。

「っ、紗里はそんなんじゃない!アイツは本当に俺のことが好きだって言って、」
「分かってるよ。木兎が私よりあの子を信じてるってことも。私の方が長い付き合いなのにね」

嫌みたらしくそういえば、木兎が驚いたような顔をした。

「……ごめん。こんなこと言うつもりじゃなかった。朝練の時間、無駄にしちゃったね」
「……」
「さっきのは忘れて。木兎はあの子の彼氏だもん。あの子を優先するのが当たり前だよ」
「いや、でもっ、」
「木兎のこと好きだって言ったのも、忘れて。全部」
「…………」
「今まで通り、主将とマネで頑張ってこーね」

私は黙っている木兎を置いて部室を出た。
私は、なんて嫌な女なのだろう。

その日以降、木兎が私に彼女の話をすることはなくなった。私は今まで通りマネージャーとして接したし、部活の雰囲気を損ねているということも無いようで安心した。





「春原さん」
「赤葦くんお疲れ!タオル?」
「はい」
「待ってね、赤葦くんのは……はいこれ」
「ありがとうございます」
「いーえ」

汗を拭く赤葦くんを見て、ボール磨きを続けるため背を向けた。

「あの、」
「ん?」

ドリンクも欲しかったのだろうか、振り返りながら首を傾げた。

「木兎さんとは、どうなりましたか?」

直球な質問に、どう答えようか悩む。

「どう、って?」
「この間おふたりで話してから、普通すぎて少し驚いています」
「ああ、まあ今まで通り頑張ろうねってなったし」
「そうですか」

納得したような、いやしてないような顔をしてある。

「あの、木兎さん、春原さんに何を話したんですか?」
「聞いてないの?」
「はい」
「んー、彼女が大好きでみんなに言いたかったって。あと、……」
「あと……?」

口にもしたくないけど、自分の胸に閉じ込めておいたら私が私で無くなってしまいそうだった。一呼吸置いて赤葦くんに向き合う。

「春原も彼氏が出来たらその気持ちわかるよって。黒尾なんてどう?って言われた」
「な、」
「ね、鈍すぎてビックリするよね」

あの朝練の時間に、そんなやりとりがあったことを赤葦くんは知らなかったらしいし、驚きようを見れば木兎がそんなことを言うなんて想定外だったようだ。

「……春原さん、なんて返事を?」
「私が怒ったのは木兎が彼女の話ばっかりして集中してないことだけじゃないよって」
「え、それって……」
「うん、好きだって言った」

私が告白をするとも思っていなかったのだろう。赤葦くんは目を丸くしたが、納得したような顔をした。

「……そうですか」
「うん。でも忘れて、とも言った。あと、木兎の彼女のこと悪く言っちゃった」
「……まあ評判は良くないですしね」
「うん、でも木兎はやっぱり彼女が一番だし、それでいいよって」

赤葦くんは少し悩んだようにして、口を開いた。

「……春原さんて、本当に木兎さんが好きなんですね」
「……どういう意味?」
「そのままの意味です」

赤葦くんの言葉の意図は分からなかった。

「……そう。とにかく、これからも部活に影響ないようにするから、安心して」
「そこは疑ってないですよ」
「そっか、ありがと」

赤葦くんに話したことで、心が少しだけスッキリした気がした。














赤葦は困惑していた。

「…………」
「木兎さん?」
「…………」
「木兎さん、スパイク練しますよ」
「…………」
「……、はあ」

反応がない先輩に対して、なんと言葉をかけようか悩んでいた。

「なんだよ木兎しょぼくれてんの?」
「木葉さん」

タオルを肩にかけ、木葉が赤葦に近づいた。

「いつからだよ」
「最初から何かおかしかったんですが少し前から反応がないです」

全く喋らなくなってしまって、と伝えると木葉が苦笑いをした。

「……あれかな」
「あれ、とは?」
「木兎の彼女」

少し言いにくそうにそう言った木葉に赤葦は目を丸くした。

「え、何かあったんですか」

木兎とその彼女の話なら、二年にまで噂が流れてきそうなものだが赤葦の耳には届いてなかった。

「いや、まだ木兎と付き合ってるはずなんだけど……その、他の奴と噂があって」
「他の奴?」

その言葉を聞いた瞬間、赤葦は“アスリートハンター”の噂を思い出した。

「ほら、先週サッカー部が全国行くことが決まっただろ?」
「はい」
「そっからサッカー部の部長といい感じらしくて」
「…………噂は本当だったんですね」
「みたいだな」

木葉も勿論その噂は知っていたのだろう。でも、男女の問題ばかりは外野が何を言ってもどうにもならないことが多い。口を出すのもはばかられる。特に、木兎のようなタイプには。

「それ、木兎さん知ってるってことですか」
「いや、分かんねえけど…聞くに聞けねえしな、アイツから言ってこない限り。ま、他に理由がないよな」
「……そうですね」

仕方ねえな、と木葉が木兎に歩み寄った。

「おい木兎!」
「……」

反応がない木兎に木葉はこめかみに血管を浮き上がらせながら、目の前の尻を蹴った。

「いった!」
「おら木兎、スパイク練だってよ」
「……おう」

明らかに落ち込んでいる木兎の肩に木葉は腕を回した。

「お前から喋らねえなんて珍しいな」
「……何を」
「なんかあったんだろ?」

ここだけの話にすっから、と木葉が言えば木兎が小さく口を開いた。

「……俺、浮気されてるらしい」

やっぱりそれだったか、と木葉と赤葦の目が合った。

「あー……別れんの?」
「……あんま嫌じゃない」
「「は?」」

思わず木葉と赤葦の声がユニゾンした。

「浮気されてんのは嫌なんだけど、それよりもっと嫌なことがあってよくわかんない」
「赤葦、通訳」

木葉はそう言って木兎の肩から腕を外した。

「ええ……」
「お前しか分かんねえだろうし」
「……木兎さん、そのもっと嫌なことはなんですか?」
「春原が、」
「春原さん?」
「春原が笑ってくんねえ」
「…………、なるほど?」

そこまで聞くと木葉は後は任せた、と他のメンバーがいる方に言ってしまった。

「あの時から、避けられてる気がする」
「はい、それは気のせいではないです」
「えっ!?赤葦知ってんの!?」
「はい」

木兎は、目を丸くしたかと思えば唇を突き出し不機嫌丸出しで話し始めた。

「……紗里に浮気されたのは嫌なんだよ……嫌に決まってる!だって彼女に浮気されたんだぞ。俺のこと好きって言ったじゃん!とか色々思う……けど、春原が俺の事避けてて笑ってくれない方が嫌なんだよ……これっておかしいよな」

な?と念押しするように聞いてくる木兎に赤葦はため息をついた。

「木兎さん、本質を見失ってはいけません」
「ほんしつ?」
「その嫌とか嫌じゃないの原因です」
「げんいん……」

この人本当はわかっているんじゃないだろうか、と思いながら赤葦は口を開いた。

「木兎さんが隣にいて欲しい人は誰ですか?」
「……となりに?」
「はい。試合の前後や普段学校でそばにいて欲しいのはどっちですか?」
「そばに、いてほしい人」

さっきから言葉の一部を復唱しかしない木兎に赤葦は心做しか不安になった。

「こんな言い方は良くないかもしれませんが、彼女さんと春原さん、どちらを失ったら嫌ですか?」
「うしなう?」
「はい」
「それってもう二度と会えないとか話せないとかそういうこと?」
「はい」

うーんと腕を組んで悩んでいた木兎だったが、不意に上の方を見つめてぽつりと呟いた。

「……俺、紗里のこと好きじゃないのかなあ」

それはつまり、失いたくないのは春原だということなのだろう。

「それは木兎さんにしか分かりません」
「春原と話せなくなる方が嫌だ、と思う」
「そうですか」

赤葦は栞の顔が頭に浮かび、少しだけ口角が上がった。

「赤葦知ってる?春原って俺のこと好きなんだって」
「はい」
「えっ知ってんの!?」
「はい」

目を丸くする木兎に赤葦は真顔で返事をした。

「聞いた時びっくりした?」
「いえ」
「え!?なんで!?」
「春原さん、分かりやすく木兎さんのこと好きでしたよ」
「そうなの?」
「はい。思い当たる節はありませんか」
「ない!好きって言われた時、びっくりしたもん」

俺には全然わかんなかった!と言う木兎に赤葦は頭を抱えたくなったが、この二人の行く末と今日の木兎のコンディションが自分にかかっているわけで。

「告白された時、嬉しくなかったんですか?」

そう聞けば、木兎は顎に手を当てうーんと口ごもった。

「嬉しい、って言うか……だって俺は紗里の彼氏で、春原は部活のマネで友達で、その、なんか違うじゃん!」

赤葦わかる!?と詰め寄る木兎をいなし、赤葦は口を開いた。

「でもこのままだと、春原さんとは難しいかもしれないですね」
「何が?」
「今も、最低限の会話はされてますよね?」
「え、うん……部活中はフツー。前みたいに笑いかけてはくれないけど」
「それが卒業まで続きます」
「え?」
「それで多分、卒業後は全く関係がなくなる思ってください」

赤葦から見て栞は卒業後まで木兎に固執するようには見えなかった。

「え、なんで……」
「春原さんの気持ちになってみてください。無理かもしれませんが」
「春原の気持ち、」
「はい。自分がずっと好きだった人に恋人が出来て、その相手のことをずっと惚気けてきて、挙句お前も恋人作ったらどう?と友人を勧められて、それでもなお部活では普通に接してくれている春原さんの気持ちです」

ポカン、とした顔を晒している木兎を赤葦は真顔で見つめた。

「うっ……それって俺、すげえ嫌な奴じゃん……」
「嫌な奴、ではありませんが、まあ褒められた行動では無かったですね」

頭を抱えて座り込んだ木兎を赤葦は見つめた。

「俺どーしたらいい?」
「まず彼女さんとはどうするんですか?他の人と噂があるようですが」

噂があるとはいえ、関係が解消されない限りはどうしようもない。木兎からすれば、彼女は浮気したと言っても彼女だ。多少の情もあるだろう。

「でもまずそれが本当かどうかわからな、」
「木兎ー、スマホ光ってるぞー」

木兎が言い終わる前に木葉が少し遠くから声を張り上げた。
シューズ袋の上に置かれたスマホの画面が光っているのがわかる。

「おー」
「多分直ぐに見た方がいいやつ」
「え?」

木葉がスマホを手に取り、ほい、と投げた。パシッと音を立てて木兎はスマホをキャッチした。画面にはメッセージアプリの通知が見えた。

「紗里からだ。えっと、……“他に好きな人が出来ました 別れよう”」

木兎の声を聞きながら画面を凝視する赤葦は黙ったままだ。

「……これ、俺フラれた?」
「…………そうなりますかね」

噂は本当だった、赤葦がそう思ったところでどうにもならない。木兎はアスリートハンターの獲物で、用済みになってしまった、というところだろうか。女というものはわからない。そこまでしてスポーツができる人気者に固執する彼女にも事情があるのかもしれないが、木兎が振られたという事実は覆らない。

「あれ、何してるの」

二人の背後から栞の声がした。

「春原さん、お疲れ様です」
「うん、お疲れ。赤葦くん監督が、」
「春原!」

栞が言い終わる前に木兎が大きな声を上げた。

「……木兎、ちょっと待って。赤葦くん、監督が確認したいことがあるって。かおりに声掛けて一緒に行ってくれる?」
「わかりました。あの、お二人で大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫」

苦笑する栞に赤葦は頭を下げ、小走りで雀田の元に向かった。

「ごめん、木兎。何かな」

栞が木兎に向き直り、首を傾げてそう聞いた。

「今赤葦と話してて分かったことがあるんだけど!」
「うん?」
「俺、春原に隣にいて欲しい!……っぽい!!」
「……うん?」
「あと彼女とは別れた!」
「えっ」
「俺がそばにいて欲しいのは春原だと思う」
「……」
「だからまた前みたいに笑って欲しい」
「……よく、わかんない」
「俺も!」
「ええ……」

元気よくそう言った木兎に栞は困惑した。よくわからない、と言う気持ちにどう応えたらいいのかもわからないのだから。
すると木兎は、少し屈んで栞に視線を合わせた。

「今までみたいに、俺のこと好きでいて」

木兎じゃないみたい、と栞は思った。栞が知らない木兎の顔だった。俺のこと好きでいて。その言葉に、ぶわ、と顔に熱がこもる。

「そしたら俺、わかるから」
「…………」
「春原は忘れてって言ったけど、俺は春原の気持ち、忘れたくなんかない」

凄くかっこいいことを言われている気がする。けれど。

「…………あの、」
「うん?」
「ここ、体育館なんだけど」
「そうだな!」

ドラマチックの欠けらも無い。

「もう少し、場所を選んで欲しいというか」
「あれっ、俺また間違えた!?」

見て見ぬふりをしてくれている部員には感謝しなくては。遠くで木葉がこちらに向かって親指を立てていた。

「ううん、間違ってないよ。多分」

そう言って微笑めば、木兎の顔がぱあっと明るくなった。
ああ、好きだなあ。


映画みたいな恋はいらない
「あのさ、ちなみに彼女さんとはいつ別れたの…?」
「いま!」
「……今?」
「うん!」
「……通訳が欲しい」
「つうやく?」
「……赤葦くん呼んできて」
「なんで!?」


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