「「「副社長待って〜!」」」

朝からうるさい。まだ朝の8時だぞこの野郎。窓の外から聞こえてくる複数の足音と先を走る人を追う声。目が覚めてしまったのでベッドから出てカーテンを開ける。やってるやってる、毎朝恒例のパウリーの出勤を追うファンたち。よくもまあ飽きずに毎日続けると思う。私だって彼のことが大好きで恋に盲目だった時期もあったけども。今でもその関係“だけ”は続いている。私はガレーラカンパニー副社長の“恋人”だ。






私は家具のデザイナーで、ガレーラカンパニーから外注を受けている。自宅兼アトリエであるガレーラカンパニーから徒歩5分のアパートの3階で仕事をしている。仕事の半分くらいはガレーラカンパニーからの注文だ。私の仕事はデザインするところまでなので、船の間取りを聞き、エンドユーザーである船の注文主から大体のイメージや希望を聞き図面に起こす。シンプルなチェストをリクエストされることもあれば、ゴテゴテの木彫りの花があしらわれたマホガニーの天蓋付きベッドもデザインしたことがある。
七年前、お世話になった修行先の家具屋を離れ独立した。ガレーラカンパニーの家具職人のコンペがあり、勢いで応募したら社長に将来性をかわれ、デザイナーとして仕事を受けるようになった。今日は納品の日なので図面を大きめの筒に入れガレーラカンパニーへ向かっている。ブルを使わなくても行けるので徒歩で行く。ガレーラカンパニーに近づくにつれどんどん木を叩く音や金属を切る音が聞こえてくる。職員専用口から中に入り、家具部の部屋に向かう。途中色んな人に挨拶をされるが、皆異様に私を見ている気がする。確かにここに来るのは久しぶりだけど、何かあったのだろうか。

「失礼します」

ドアを三回ノックし、家具部の作業場に入る。すぐに奥に通され、図面を渡した。作業を担当するであろう大工たちも頷きながら図面を見ている。今回も問題なさそうだ。そう思っていると横で見ていた若い家具大工に声をかけられた。

「ソフィアさん、大変でしたね」
「…何がです?」

こそっと声をかけられたので彼の方を向き、なにか大変なことがあっただろうかと思案してみたが何も浮かばない。すると、彼はもう一度口を開いた。

「副社長の件ですよ!急に決まったから俺達も驚きました。いや、俺は副社長とソフィアさんの方が絶対お似合いだと思うんすけどねー」

彼がそう言った途端、図面を見ていた家具大工が彼の口を手で覆った。

「おい馬鹿黙ってろ!余計なことに口出しすんじゃねえ!」
「ぷはっ、息ができないっすよ!!でもやっぱり俺はソフィアさん派だなー。あの人はお嬢様って感じであまり好きじゃな」
「いいから!すみませんソフィアさん、コイツが余計なことを……」

彼らの感じからするに、私が知らない内に彼には新しい恋人が出来たらしい。じゃあ、私は…彼の何なのだろうか。あまり思考が働かずその場を取り繕う言葉しか浮かばなかった。

「いえ、お気になさらず」

口から出てきたのはそれだけだった。図面の確認がとれたため、私はすぐに家具部の作業場を離れた。そのままどこかに寄ることもなく職員専用口まで来てしまった。成程、好奇の視線の理由は私とパウリーにあるらしい。私はどうすべきなのだろうか。あの家具大工の言う「急に決まった」こととは何なのだろうか。家に帰ったら電話をかけてみよう、と思ったところで職員専用口で管理人さんと話している女性を見かけた。清楚な佇まいに小綺麗な服装、頬はピンク色でとても可愛らしい。そう思っていた時彼女の口から彼の名が聞こえた。

「今日はお昼をご一緒しようと思って参りました。パウリーさんを呼んでいただけますか?」

お昼をご一緒。つまり彼女は彼とお昼を食べる関係ということだ。……そういうことか。彼女がいる手前、通用口を通ることに気が引けて角で少し待ってみる。すると今度は管理人の声が聞こえてきた。彼に電話をかけているらしい。

「……あ、副社長ですか?こちら管理室ですが、ええ、婚約者のお嬢さんがお見えですよ。何でもお昼をご一緒に、とのことで」

婚約者。私が今見ている彼女が、彼の婚約者。頭をガツンと殴られたかのような衝撃で立っているのがやっとだった。確かにこの一ヶ月、彼にあったのは月初めの一、二度で、基本的には電話が多かった。お互い仕事が忙しいし、淡白な関係になっていたのは否定出来ない。でも、長く付き合っているからこそ“大丈夫”だと思っていた。何も大丈夫じゃなかった。一刻も早くこの場を離れたい。その一心で石のように動かない足を動かし、彼女の横を通った。管理人さんは少し驚いたような顔でこちらを見ていて、彼女も私に会釈していたように見えた。でも私は前を見てそこを通り抜けることしか出来なかった。







「……婚約者ってなによ」

家に帰り、上着も脱がずソファーに横になる。カーテンの閉まった薄暗い部屋で呟く。さっきからこの言葉しか言っていない。日が傾き、カーテンの隙間から光が漏れている。泣きそうになる気持ちを堪えていたらそのまま眠ってしまった。



コンコンコン、とドアノッカーの音がする。夜九時を回った頃だろうか。新聞の集金は昨日来たし、大家さんに家賃も渡してある。こんな時間に誰、と思いながら重たい体を起こす気にもならず、無視することにした。ソファーにかけてあったブランケットを引っ張り体にかける。このまま寝てしまおう、と思ったところで鍵をガチャ、と開ける音が聞こえた。鍵を抜き、ドアを開ける音がする。この家に入ってこれるのは私以外では一人しかいない。

「ソフィア、いるか?」

パチン、と電気がつく。私はソファーに蹲ったままだ。彼が近づいてくる音がする。ソファーの前まで音が来た。葉巻の匂いがする。

「寝てるのか」
「……起きてるけど」
「…そうか」
「……」
「……今日来たんだってな」
「…ええ、納品があったから」

大丈夫。普通に喋れている。泣いたりしない。横たえていた体を起こし、ソファーに座る。空いたところに彼が座るだろう、と思った。しかし、彼は私の前に立ったままだ。

「……聞いたのか」
「何を?」
「その、……俺の、婚約者の話」

決定的だ。彼の口から聞きたくなかった言葉だ。しかし、意外と頭は冷静に動いている、気がする。涙も出てない。

「ええ、聞いたわ。最近、決まったそうね」
「それについて話をしに来た」
「…これ以上、話すことなんてあるの?」

私は顔を上げられない。今、彼の顔を見たら、私の中の何かが崩れ落ちてしまう。

「…あの婚約者ってのは、事実じゃねェ。客として来てた人に気に入られちまって紹介されたんだが、その、断りきれなくて、な」
「……相変わらず変なところで優柔不断ね」

だから借金も減らないのよ、と次いで口から出た。婚約者じゃない。婚約者じゃない。良かった。頭の中がぐるぐるしている。すると彼が口を開いた。

「今日の昼、ちゃんと断ってきた。今後もゴタゴタあると面倒だから社長にも確認して、いろいろ許可をもらってきた。お前のために」
「…?私のため…?」
「ああ。明日、何の日か分かるか」
「……明日?」

壁に貼ってあるカレンダーを確認する。明日は…、普通の平日だ。特に予定も入れていない。カレンダーを凝視する私に彼はため息をついた。

「こういうのは女の方が覚えてるんじゃないのかよ」
「明日でしょ…?えっと、」
「俺とお前が初めて会った日だ」

私が彼と会った日。七年前のガレーラのコンペの日だ。ここで私は彼と目を合わせた。彼は真っ直ぐに私を見ている。

「だから今日言おうって、この一ヶ月ずっと考えてたんだが、横槍が入って、中々お前にも会えなくてな」
「……?」

話が掴めずにいると、彼は急に片膝をついてソファーに座る私に向き合った。

「えっ、何、どうしたの」
「ソフィア」

彼の真剣な瞳が私を捕らえている。返事ができないくらい胸が苦しい。すると彼はポケットから何かを出した。そしてそれを私の前に出した。

「俺と結婚してほしい」

彼の手の中には小さな箱に入った指輪が顔を覗かせていた。私と彼が、結婚。このまま淡白な関係が続いていくんだと思っていた。その幸せで満足しようと自分に言い聞かせていた。そして今日、それが最悪の形で終わることを覚悟していたというのに。彼のその一言で舞い上がりそうなくらい跳ねているこの心臓に、わたしはやはり彼のことが好きなんだと実感した。何も言わない私に、少し不安そうな顔でこちらを見つめる彼。何か喋らなくてはと思ったのか、だから社長の許可をとって有給もらってきたから明日は役所に行こうだの夜は街一番のホテルのディナーを予約してるだの捲し立てている。

「パウリー」
「な、なんだ」

彼も緊張しているのだろう。その素振りすらいとおしい。指輪を差し出す彼の手を両手で包んだ。

「不束者ですが、宜しくお願いします」
「……ああ」

彼は私の手をとり、指輪を左手の薬指にはめその指輪にキスをした。


もう一度指輪にキスを
「ふふ、らしくないね」
「…うるせえ黙ってろ」


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