及川徹の場合





「えっ!栞白鳥沢に行くの!?」
「うん、そうだよ」
「なんで!!」

白鳥沢に受かったと伝えると、それを聞いて明らかに怒っている徹に、私は顔を顰めた。合格が分かって嬉しくて、直接真っ先に徹に報告したかったから翌日の帰り道に進路を伝えた。

「なんでって、志望校だからだよ」

そう言った私に、今度は徹が顔を顰めた。

「栞は俺と一緒だと思ってた」
「青葉城西?」
「そう」
「徹、私は志望校をバレーでは選ばないよ」

徹がキッと視線を鋭くした。

「よりにもよって白鳥沢って!」
「…牛島くんがいるところだからそんなに怒ってるの?」
「当たり前だよ!栞は俺の彼女じゃん!」
「ねえ待って、私は自分のために白鳥沢を選んだの。親に私立に行きたいってお願いもしたし、科目の先生に放課後教えてもらったりもしたし…。徹がバレー頑張ってるように、私も受験頑張ったんだよ。私は徹の彼女のつもりだけど、進学先のことと徹の彼女ってことは関係ないでしょう?」
「あるよ!大あり!! 頑張ったことはえらいけど、高校に行ったらあんまり会えなくなるんだよ!?」
「会えなくなるって…進学先が違うなら当たり前だし、お互い県内な訳だし」

家だって近いのに、と付け加えたが、納得なんてしませんって顔で口をとがらせた。

「もしこの及川さんが進学先で可愛い子に恋しちゃったらどうするの!?栞はそれを止められないじゃん」

カチンときた。何それ。中学の今だって、他校に恋人がいる友達はいるし、毎日会えなくなったら私のことを好きじゃなくなると言われているみたいで嫌だった。

「その時は、私のこと振ってから次に行ってね」

浮気は絶対嫌だから、と言えば徹は一瞬目を丸くして、あのさあ、と低い声を出した。

「じゃあもう俺ら付き合ってる意味ないじゃん」
「…徹」
「いいよ、別れよ」

本当にずるい人だ。私が徹を振るなんてありえないのに。いつもそうだ。喧嘩をするとすぐに別れると、いとも簡単に口に出す。本気じゃないことはわかってる。だからいつも先に折れるのは私なのだ。

「私は別れたくないよ。これからも徹に好きでいてもらえるように頑張るから。高校別れてもバレー応援に行くし、私は徹のこと大好きだよ」

多分、いつもならそう言っていた。

「そっか!栞がそこまで言うなら仕方ないなー」

徹がそう言って、元通りだったはずだ。そう、いつもなら。

「わかった」
「え?」
「別れよう」

いつもと違う返事に、徹は戸惑っているようだった。

「え、何言ってるの」

この世のものを見ているとは思えない表情でこちらを見てくる徹がおかしく思えてくる。

「今までありがとう。楽しかった」
「待って、」
「高校でも、バレー頑張ってね」
「栞ってば、」

掴まれそうになった手で、徹の手を払い除けた。この時私は、初めて徹を拒否したんだと思う。

「徹。徹が言ったんだよ、別れようって」

ばいばい、と立ち尽す徹を置いて私は家に帰った。
翌日、岩泉くんが私のところに来た。

「及川に聞いた」
「…別れた、って?」
「ああ」

そう、と返事をすれば岩泉くんがこちらを見つめていた。

「正直さ、なんでお前ら付き合ってるのか分かんなかった」

本当に正直な岩泉くんに思わず笑ってしまった。徹は社交性が高くて、顔が良くて、人気者。一方私は、勉強が取り柄の目立たないちょっと頑固な生徒Cって感じだ。

「春原は現実的だし堅実だろ?なんであんなやつとって思ってたんだけどよ」
「岩泉くん、いくら本当のことでも言い過ぎ」
「お前もな」

そう言って二人で笑った。

「アイツお前と別れたことで結構こたえてんだよ」
「……一時的なものだと思うよ。それに最初に別れようって言ったのは徹だし」
「春原は、その、いいのか」
「…徹と終わっても、ってこと?」
「ああ」
「うん。もう、疲れちゃった」
「……そうか、悪かったなこんなこと聞いて」
「ううん、岩泉くんにまで迷惑かけてごめん」
「いや、いいんだ。じゃあな」

岩泉くんとの会話の一週間後、「及川くんに新しい彼女が出来た」と噂になっていた。みんなやっぱり私が捨てられたと思っているからか同情の目を向ける同級生もいた。別に構わない。私なんて、所詮その程度だったんだ。


高校に入学して、衝撃的なことが起きた。牛島くんが同じクラスだったこと。それから。

「お前は北川第一だったな」
「…わたし?」

高校に入学して、初めての休み時間に牛島くんが私の席に来た。そして私の出身中学を言い当てた。

「ああ、お前だ」
「確かに私は北川第一だけど…どうして知ってるの?」
「よく見かけた」
「…私を?」
「ああ、試合会場で」
「そう、なんだ」

確かに私は北川第一の試合はよく見に行っていた。彼と交際している間は、だけれど。軽く自己紹介を済ませると、彼は表情を変えずに口を開いた。

「バレーが好きなのか」

真っ直ぐな目でそう聞いてきた牛島くんに私は笑顔で返した。

「うん、バレー好きだよ」











「牛島さんっ!」

その掛け声と同時に牛島くんにトスが飛んだ。とても綺麗な力強いフォームで相手のコートにボールが叩きつけられる。ピッと空気を切るように得点のホイッスルが響く。ほんと、牛島くんってすごい。
なんとなく高一の時の彼とのやり取りを思い出していた。

「だったらマネージャーをやらないか?」
「私が?無理だよ」
「何故だ」
「だって、経験者でもないし…」
「じゃあ観戦だけでもいい」
「白鳥沢の試合を見にこいってこと?」
「ああ」
「…嬉しいお誘いだけど、ごめんなさい」
「何故だ」
「思い出したくないことがあるから」

牛島くんには意味がわからなかっただろう。でも、そうか、と呟いた牛島くんがそれ以降誘ってくることはなかった、のだけれど。

「最後の春高だ。見に来て欲しい」

高三になって、クラスも変わって、接点なんてなくなったと思ってた。なのに彼は、また見に来て欲しいと二年ぶりに声をかけてきたのだ。

「牛島くんは、どうして私を誘うの?」
「…お前の、あの顔が見たい」
「あの顔?」
「北川第一が得点を決めた時の顔だ」

私はその時、どんな顔をしていたのだろう。この場では、私ではなく目の前の牛島くんしか知らない。

「わかった。見に行くよ」
「ありがとう」

そう言い残して立ち去った牛島くんの背中を見つめた。

ピーッと長めのホイッスルが鳴った。試合が終わった。ストレートで白鳥沢の勝ち。コートから捌ける選手を見ていると牛島くんと目が合った。ゆるゆると手を振れば一度じっとこちらを見てベンチへと戻って行った。白鳥沢の試合が終わったので、私は席を立とうとバッグを床から持ち上げた瞬間。キャーっと小さな悲鳴が聞こえた。なんだか聞き慣れた声。彼がコートに立つと、いつも女の子たちの悲鳴がこだましていた。

「及川くーん!」

心臓がドクン、と跳ねる。思わずフロアを見れば爽やかな色のユニフォームを着た彼がそこに立っていた。徹、と思わず口が動いてしまった。ほぼ三年ぶりに見る彼は大きく成長していて、ますますかっこよくなって、相変わらず自信に満ち溢れていた。声をかける女の子たちに手を振りながら、客席をキョロキョロと見渡していた。まるで、誰かを探しているみたいに。そう思った瞬間、ばちん、と目が合った。徹は大きく目を見開いて、こちらを見ている。私も動けないでいると、岩泉くんが徹の後頭部を殴った。痛った!と大きな声を出した徹は、その後私に視線を向けることは無かった。
白鳥沢の制服だから目立つけれど、今の彼のバレーをまた見てみたかった。相手は烏野高校。黒地にオレンジがよく映えるユニフォームだ。よく見ると、その人は影山くんで。ああ、彼が徹と戦うのか、とぼんやり思った。







試合を見終わった私は、ロビーのソファーに座っていた。余韻に浸りたくて、この空間に縛られているみたいに動けなかった。

「春原」

足元に影ができたと思えば牛島くんが目の前に立っていた。

「お疲れ様、決勝進出おめでとう」
「…ああ」

珍しく歯切れの悪い彼の言い方に私は首を傾げた。

「嬉しくないの?」
「嬉しいとかの問題ではない。俺達が決勝に進むのは当然だ」

牛島くんの自信に苦笑しながらも、そうだねと返事をした。

「春原は、バレーが好きなわけではないんだな」
「へっ?」
「俺が得点を決めても、あの顔は見られなかった」
「あの顔、って前に言ってた?」

その時、タッタッタッと誰かが走ってくる音がした。牛島くんを見れば、その人を見据えている。私も視線をそちらに向けた。

「…徹」

牛島くんに気づいた徹が立ち止まった。そして私を見て顔を顰めた。

「忠告だ、及川」

牛島くんが、通り過ぎようとする徹に声をかけた。私は何も言えず、大人しく二人の会話を聞いているしかない。

「取るに足らないプライド、必ず覚えておけよ」

見たこともない徹の顔だった。ああ、彼はこの三年でまた強くなったのだと思った。話が終わったのだろう、足音が遠のく、と思った瞬間私は腕を掴まれていた。

「行くよ、栞」

背後に牛島くんの視線を感じながら、私は徹が手を引く方向に足を動かすしかなかった。

「この辺でいいかな」

そう言うと人気の少ない場所で徹は手を離した。

「…似合ってないけど、可愛いよ」

白鳥沢の制服のことだろうか。私はなんと返していいのかわからなくて曖昧に微笑んだ。徹は一度深く息を吸うと、ゆっくりと口を開いた。

「今から一番聞きたくないこと聞くけどちゃんと答えて」

その真剣な瞳に私は無言で頷いた。一番聞きたくないこと、とはなんだろう。

「まさか牛島と付き合ってないよね」
「………へっ?」
「あのウシワカと!付き合ってないよね!!?」
「え、あ、う、うん」
「どっち!」
「つ、付き合ってない、よ」
「そう、ならいい」

そう言って、黙ったままの徹に私はなんと声をかけるべきなのだろうか。準決勝で敗退した彼にかける言葉は。

「徹」
「……何」
「お疲れさま」

そう言って微笑めば、徹は一瞬顔を歪めて、そのまま私を抱き寄せた。そして、私の背中に手を回した徹を私は受け入れた。前みたいな包み込むようなハグとは違う。何かに縋るような力の入れ方だった。

「栞が見ていてくれたのに、負けた」
「…徹」
「俺からのトスで岩ちゃんが得点決めた時、すごく嬉しそうな顔してた」
「それって…」
「中学の頃から変わらないんだね、お前は」

私の知らない私の顔だ。牛島くんが見たいと言っていた、その顔。

「……徹が繋いだ得点だもん」
「俺さ、未だにどんな試合の時でも客席にいる栞の姿を探してた」
「徹…」
「今日もいつもみたいに探したら、お前いるんだもん」
「うん」
「びっくりした」
「うん」
「思わず岩ちゃんに確認してもらった」

そう言った徹に私は笑ってしまった。

「牛島くんのおかげ、かな」
「またウシワカ」
「牛島くん、入学した時から私のこと知ってたみたいでバレー部にも誘われたりしてたんだけど、」
「何それ知らない!」
「…まあ知ってたらびっくりするけど」
「じゃあ今日はウシワカの試合を見に来たわけだ」
「うん。でも徹に会えた」
「……うん」

徹は背中に回していた手を離し、そして体を離した。

「…栞、好き」
「……ありがとう」

私のその言葉に、徹は目を丸くした。

「それだけ?」
「え、…うん」
「……栞は?」
「うん?」
「栞は俺のこと、どう思ってるの」

拗ねたようにそう言った徹。本当に変わらない。

「好き、って言ったらどうするの」
「そんなの、やり直すに決まってる」
「徹、彼女は?」
「い、今はいない」
「ふーん、今は、ね」

少し冷や汗をかく徹に、私は微笑んだ。

「好きだよ、徹」


二回目の青春
「徹が顔赤くするの珍しいね」
「うるさい!」
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