東峰旭の場合
「栞」
いつも優しい声で呼んでくれる彼が大好きだった。優しくて、気が弱くて、温かくて。
でもそれが、嫌になってしまった。
積み重ねとか、タイミングとか、色々原因はあったんだと思う。でも、きっかけはたった一つだった。
「春原さんのことが好き。俺と付き合って欲しい」
高二の時、同じクラスの男子に呼び出されたと思ったら、告白をされた。
「あの、気持ちは嬉しいんだけど、私彼氏がいるし、」
「東峰だろ?」
「う、うん」
「東峰には悪いけど、俺の方が頼りになると思う」
彼の言い分にムッとしながらも、納得してしまったのも事実だった。それでも。
「ごめんなさい。私は彼が好きだから」
告白を断るというのは、なかなかにメンタルにくる。明日早く旭に会って、気持ちをリセットしたい。そう思った。
「栞、一条くんに告白されたでしょ」
「…なんで知ってるの」
翌日、クラスメイトに昨日のことが知られていた。
「一条くん、アンタに振られた〜って言いふらしてるよ」
「何それ……」
それは多分、 学年中に知られるやつだ。そう思った。つまり、旭にも知られてしまう。旭はどう思うだろうか。嫉妬してくれる?それとも隙を見せるなとかちょっと怒る?
なんだかどちらの彼も想像できなくて、でも早く会いたくて放課後が来るのが待ち遠しかった。
「あ、旭。お疲れさま」
「うん、栞もお疲れ」
お互いに部活を終えて一緒に帰る。クラスが離れているから校内ではあまり会えないのだ。
旭の横に並んですぐに違和感に気づく。いつもなら、どちらともなく手を繋ぐのに、今日はそれがない。いつもと違うのが嫌で、私から手を伸ばせば、旭の肩が跳ねた。
「旭?」
「ど、どうしたの?」
「それはこっちの台詞なんだけど……」
立ち止まって旭を見れば、何か言いたそうにしているけれど口には出さない。彼が話してくれないと、私は何も言えないのに。
「旭」
「……いや、やっぱりなんでもない」
「…そう。私が告白された話かと思った」
そう言えば彼は目を丸くしてこちらを見た。
「その話じゃないの?」
「う、……いや、別に…」
彼女が他の男に手を出されそうになったのにその返事が「別に」?恋人が告白されたのに、なんとも思わないの?
「そう、旭は私が他の人に告白されようが興味無いんだね」
少し冷たくそう言えば、旭は首を振った。
「そ、そういう訳じゃない、けど……」
「けど……?」
「……選ぶのは、栞だから」
そう言ってへにゃりと笑った彼に、私は顔を歪めた。
選ぶのは、私?何それ。体の端から熱がさあっと引くのを感じながら私は旭を見た。
「私が一条くんを選んだら、旭はどうするの」
「えっ」
「選ぶのは、私なの?旭は?私を選んでくれたんじゃないの?」
「栞、ちが…そういう意味じゃ、」
「選ぶのは私、なんでしょう?」
はっきりしない旭がこの時ばかりはすごく嫌だった。
「もういい」
「……栞?」
「私はもう、旭を選ばない」
え、と旭が声を出したところまでは覚えてる。でもそれ以降は、あんまり覚えてない。
「春原さん、今度映画行かない?」
「……一条くん」
「これ!これめちゃめちゃ気になっててさ!」
私に振られたはずの一条くんは、私と旭が別れたことを知り、そこから再度猛アタックをかけてきた。何度断ろうと、そして学年が変わりクラスが変わっても飽きもせずまたこうして声をかけてくる。今も、話題のSF映画の公式サイトが写ったスマートフォンを、格さんのように突き出してくる。格さんて水戸黄門の格さんね。
「ごめん、二人で出かけるのはちょっと」
「なんで?東峰ととっくに別れてるのに」
「それは、……そうなんだけど」
旭と別れて以降、恋人は作っていない。と言っても告白してきたのは目の前にいる人だけだけど。
「えっまさか彼氏出来た!?」
「……出来てないよ」
旭と別れて気づいたことがあった。旭の優柔不断なところとか、気が弱いところとか、そういうのが嫌で離れたのに、一番最初に恋しくなったのがそこだった。けれど、だからと言ってすぐに寄りを戻そうとは言えないし、彼は彼で部活で色々あったみたいだし、もう彼の生活に私は必要なくなったのだと思うと悲しかった。
「……ねえ、春原さん」
一条くんとの会話しているのに思考が飛んでいた私は、彼の声で呼び戻された。
「だから、二人で映画は無理だって、」
「これで最後って言ったら?」
「え?」
「一緒にこの映画見に行ってくれたら、俺春原さんのこと諦める」
「え……」
「どう?」
「どう、って……」
半年以上アタックし続けていた彼が言うのだから、本当に諦めるのだろう。私としては有難い。嫌いじゃないけど、そういう対象には見れないし。
「俺のさ、片思いの思い出、いい形で終わらせたいから」
「……わかった」
「ありがとう!」
じゃあまた連絡する!とどこかへ走っていった一条くんは、友達に報告するのだろう。でもこれで、毎日デートの誘いはなくなるわけで。半年も続けば、学年でも当たり前のようになっていて。友達に「1回くらい付き合ってあげたら?」とか言われていたけど私は曖昧に流して拒んでいた。
翌日、教室に入るとクラスのみんなにわっと詰め寄られた。
「なになになに、怖いよ」
「一条くんのこと、受け入れたんだね!」
「…………へ?」
「一条くん、遂にデートにこぎつけた!って小躍りしてたよ」
「アイツ……」
変な形で噂が拡がってしまったことを悔やみながらもOKしてしまったのは私だ。腹を括るしかない。
「どういう心境の変化?」
「変化なんてないよ。一回だけ、だし」
「そんなこと言ってここからズルズル続くかもよ〜?」
「やめてよ」
そう言いながら自分の席についた。その後も、隣のクラスの子にまで一条くんと上手くいくといいね!という不名誉なお言葉をいただいてしまった。アイツ本当に学年に振れ回りやがったなと思いながら一日を過ごすことになるなんて思いもしなかった。昼休みも合同体育の時間も、色んな子に「ようやくだね!」とか「おめでとう」と言われて若干落ち込んでいた。なんでOKしたんだあの時の私。
何もしていないのに疲れてしまった私は、ホームルームが終わってすぐに帰る準備をした。
「あっ、春原さん、“カレシ”来たよ!」
「……え?」
クラスメイトにそう言われて廊下を見ればそこには一条くんが立っていた。
「春原さーん!」
そう言いながら私の席まで来た彼は、口を大きく開いた。
「今度のデートなんだけど!」
「ちょ、馬鹿じゃないの!もっと小さな声で!」
クラスメイトがくすくすと笑いながらこちらを見ている。
「この週末はどう?」
「……土曜、なら」
いいよ、と仕方なく返事をしようと思えば周りが少しざわついた。何、と声が出るより先に少し懐かしい声がした。
「行かない」
「え?」
旭の存在に気づいていなかった一条くんが目を丸くしている。
「栞は、行かないから」
一条くんの目をまっすぐ見てそう言った旭に私は何も言えなかった。すぐに一条くんが食ってかかった。
「東峰には関係ないだろ」
そう言って彼は私の手を掴もうとした。けれどその手は旭に払いのけられて、私は肩を引き寄せられた。背中に旭の熱を感じる。
「栞は、俺のだから」
周囲から悲鳴に近い歓声が上がる。
待って。
この人誰。
あの旭が、人前で、そんなこと言う?
ぽかんとした顔で旭を見れば、その顔は真っ赤で、ああ旭だなあって思った。そのまま何も言わず、手を引いて教室を出る旭に大人しくついていく。人影のない踊り場で彼は足を止めた。
「あの、さ」
「……」
「その、えっと、……」
「……」
相変わらずだな、と思いながらも旭の言葉を待つ。今この時間はもう苦じゃない。
「……俺、今でも栞が好き、だ」
初めて面と向かって言われたその言葉に私の心臓は大爆発しそうだった。告白をしたのは私からで。私が好きだと伝えてもいつも「俺もだよ」と直接言葉にしなかった旭が、目の前に立って正面から好きだと言ってくれた。
「本当に俺は、優柔不断だし、…大地にへなちょこだって言われるし、栞と釣り合わないのはわかってる」
「……」
「その、別れて、からも、栞のこと好きだったけど、俺は何も出来なくて…栞が誰のものにもならないならそれでいいと思ってた」
「……うん」
「一条から声掛けられてたのは知ってたけど、栞は断ってるってよく噂になってたし、どこか安心してた」
そんなふうに思ってたなんて、知らなかったよ。
「でも今朝、栞が一条の誘いを受け入れたってクラスで話題になってて…、その、嫌だって思ったんだ」
「旭……」
「また栞に愛想尽かされるかもしれない。もう俺のこと、好きじゃないのかもしれない。でも、俺は栞が好きだし、もう離したくない」
愛想は尽かしても、好きじゃないなんて有り得ないのに。別れたのだって、私のわがままなんだから、旭が私のこと嫌いになってもおかしくないのに。
「俺と、付き合ってくれませんか」
赤い顔をさらに赤くしてそう言った彼に、私は口を開いた。
「旭」
「っ、はい!」
「腕、広げて」
「うで?」
不思議そうに腕を少し広げた彼の胸元に飛び込んだ。
「、わっ」
声を上げながらも危うげなく抱き留めてくれた。その胸元におでこを当て、すりすりと押し付ける。
「旭の馬鹿」
「えっ」
「私だって、旭のこと、好き」
「あ、ありがとう…」
顔をあげれば、ぽかんとしている。
「ふふ、何その顔」
「いや、俺振られるとばかり思ってたから…」
恥ずかしそうに微笑む彼のシャツを掴んで、引き寄せた。かぶりつくように合わさった唇に、旭は一瞬驚きながらも私の背中に手を回した。
好きだ、馬鹿翌日、澤村くんと菅原くんに
からかわれる旭を見たのは本人には内緒