古森元也の場合





「古森くん」
「あ、栞ちゃんお疲れーもう帰るとこ?」
「うん」
「じゃあ送ってくよ」

掃除当番が終わって教室に戻ろうと廊下を歩いていると古森くんに声をかけられた。

「え、大丈夫だよ。帰る方向反対だし…」
「えー。せっかくだし一緒にいる時間欲しいんだけどなー」

ちらっとこちらを見る彼に私は否定なんてできるわけがない。

「じゃあ、お願いしようかな」
「おっけ、ちょっと待ってて」

私の返事を聞く前に彼は走り出した。
今日が部活がない日だってわかってた。でも私から一緒に帰ろうとストレートに誘えない私はこうやって古森くんの優しさに甘えるしかない。

「佐久早ー、俺先帰るわー」

佐久早くんの返事は私には聞こえなかったけれど、彼の足音はこちらに向かっているのがわかる。

「お待たせー」
「ううん、全然」

二人で私の家までの道をゆっくりと歩く。ジメッとした空気も古森くんが隣にいれば気にならない。

「今日さ、いつもより髪くくる位置高いね」
「うん。ちょっと暑くなってきたから」
「いいと思うよ。可愛い」
「え、っと、ありがとう」

古森くんはいつも言葉にして褒めてくれる。以前はそれに対して否定することしかできなかったけど、今はなるべく受け止めるようにしている。古森くんが褒めてくれるのは、自己肯定が乏しい私にはとても嬉しかった。
彼は人当たりが良くて、“あの“佐久早くんととても仲がいい。
従兄弟とはいえ、気難しい人と一緒にいられるのは尊敬に値する。私はそんな彼に中学の時から憧れていた。三年間交際していても、彼は変わらない。人に好かれ、みんなに優しく、人気者で、今では高校ナンバーワンリベロと言われ部活動の活躍もめざましい。
平々凡々な私とは何から何まで違う。













「ねえ、春原さんって古森くんと付き合ってるって本当?」
「え、」

まず貴女は誰ですか、と言いたい。けれど、そう声をかけてくる人は少なくない。

「どうなの?」
「……はい」
「えー!本当なんだ!意外!」

そう言い残して立ち去った名も知らぬ同級生の背中を見つめた。その先には複数の女の子たちがいて、ひそひそと、でも潜めていない声で話し始めた。

「まだ付き合ってるってー!」
「この前野球部のマネが振られたって聞いてたけどマジかー」
「え、あの子可愛いのに」
「ね、もったいないよね
「古森くんももう情なんじゃない?」
「あー、中学からの付き合いらしいもんね」
「捨てるに捨てられない、的な?」
「何それ古森くんカワイソー。早く解放してあげればいいのに」












「なんかあった?」

古森くんの声で、現実に引き戻される。
二人で帰っている時に思い出すことじゃなかった。

「最近、なんか元気なくない?」
「そうかな?」
「んー、俺の気のせいかもだけど」

気のせいじゃないよ。貴方はいつもそうやって、私の些細な変化にも気づいてくれる。本当に、本当に、いい人。
でも、他人からの評価というのが気にならないわけがなくて。だから私の唯一の拠り所は古森くんの気持ちになってしまう。

「……あの、ね」
「うん?」
「古森くんって、私のことどう思ってる?」
「んん!?」

立ち止まった古森くんはとても驚いた様子でこちらを見ている。目を丸くした古森くんはレアだ。

「え、えーと?どう思ってるか、だよね?」

困惑する古森くんの顔なんて、見たのはいつぶりだろう。

「可愛いと思ってる」

その言葉に私は面食らった。

「私は万人受けする見た目じゃないと思う」
「えー、俺は可愛いと思うけど」

何どうしたの、と微笑む古森くんに私はゆっくりと口を開いた。

「……私のこと、好き?」
「え、」

こんなことを聞く女は重いだろうか。
私たちはあまりお互いの気持ちを言葉にしてこなかった。私のことを褒めてくれる古森くんも、私のことを“好き“だと言ったのは付き合い始めた頃だけだ。この関係が当たり前で、好きかどうかの確認作業なんて必要性を感じていなかった。

「好きかどうかって聞かれると、」

顎に手を当てて悩む素振りをする古森くんは身振りは少し大袈裟だけど、そこまで深く考えている様子でもなかった。

「好き、はもう通り越しちゃってるかも」

それは、好き、なのか、好きじゃない、のか。

「俺らもう長いじゃん?だからそんな感じ?かなって」

それを人は“情“と言うのでは。
古森くんは優しいから。
私を傷つけたくないから。
そう言って濁しているだけなんじゃないか。

「…そっか」
「うん?」
「あのね、古森くん。私たち、このままはよくないかなって」
「へ?」
「なので、今日ここで、今の関係は解消しま、せんか」

言葉にするのが辛くて、喉がぐっと締まる。

「……それって別れるってこと?」
「うん」

古森くんを見れば、眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。

「待って。俺が今変なこと言ったから?ちゃんと栞ちゃんのこと好きだよ」
「でも、」
「もっと時間作るし、ちゃんと気持ちも言葉で伝えるし、」

今、彼が私にどんな言葉で愛を囁いたってそれを素直に受け取れないくらい私の心は荒んでいた。このとげとげした心で、出来ることは限られてる。

「古森くん」

彼の言葉を遮るように、彼の名を呼んだ。彼はなにか言おうとした口をゆっくりと閉じた。私はそれを確認してから口を開いた。

「私は、古森くんと一緒にいるのがつらい、のね」
「…つらい?」
「うん……、だから受け入れて欲しい」

私がそう言って黙ると、古森くんは眉を下げた。

「……多分俺、色々気づけてなかったんだよね?」
「違う。古森くんは何も悪くないの」

そう、これは私のわがままだ。

「ごめんなさい」

そう言って頭を下げれば、頭の上で彼が苦笑した。

「謝んなくていいよ。多分謝らなくちゃいけないのは俺のほうだし……。うん、わかった。ここまでにしよう。今日までありがとう」
「ううん、私古森くんにたくさん迷惑かけたと思うし、感謝してもしきれないのに…ありがとうございました」
「……うん」

最後の帰り道は、この出来事以外いつもと同じだった。











別れた後の私たちは特筆して何かある訳でもなく、別れたことが噂になったくらいで平穏な日々を送っていた。
その、時々佐久早くんの視線を感じる時もあるが、あからさまに向けられたその視線に応える術もなく気づかないふりをしていた。

ある日、廊下を歩いていると“古森“という単語が耳に入り、思わず足を止めてしまった。話している人たちは角を曲がったところにいるのでこちらには気づいていない。

「マジで!?」
「らしいよ。めっちゃ羨ましいよねー」
「女テニの園山ってめっちゃ美人じゃん!古森もいい女捕まえたなー」
「園山って大学生の彼氏がいるとか言ってなかった?」
「別れたらしいよ。そんで次が古森」
「なるほどなー」

古森くんに彼女ができた。何もおかしなことではないし、想定していたことではある。
それなのに、私の指先は感覚がなくなってしまったように動かないし、心臓は嫌なリズムで動いている。
古森くんは、新しく好きな人ができたんだ。別れを切り出した私は、全く前に進めていないのに。










なぜだろう。目の前を歩く佐久早くんは、あからさまに不機嫌で、私は大人しくついて行くしかなかった。

「……あの、」
「何」
「いや、何じゃなくて、……何でしょうか…」

今は昼休みで、ここは購買近くの廊下だ。教室棟と違って特別室が多いところだから人気は少ない。ついてこいと言われ、気づいたらここにいた。
佐久早くんは深くため息をつくと立ち止まり、マスクに指を引っ掛けながら口を開いた。

「何で別れたの」
「……へ」

確かに私と佐久早くんの接点は古森くんしかない。けれど最後の最後まで佐久早くんからその話題を振られるとは思わず、拍子抜けした声しか出なかった。

「古森とお前、別れる理由がわからないんだけど」
「どうして佐久早くんが…?」
「いいから、早く答えて」

眉間にどんどん皺が寄っていき、機嫌が悪いのがよくわかる。なんて答えるか悩む間もなく口が開いた。

「…私が悪かったんです。それだけ、です」
「答えになってないんだけど」

普通に怖い。佐久早くんは古森くんを心配してるんだろうけど、佐久早くんに私の気持ちを伝えるわけにもいかないし、逃げるしか選択肢がなかった。

「あの、ごめんなさい。私急いでいるので」

そう言って私は佐久早くんの横を通り過ぎようとした。

「古森は、」

そう言いかけた佐久早くんの言葉に、一瞬立ち止まってしまいそうになった。

「アンタのこと、気に入ってたよ」

そんなこと言われたって、もうどうしようもない。












平穏だった学生生活に暗雲が立ち込めている。しかも、今。帰る支度をしていると目の前に、園山さんが現れた。古森くんの、今の彼女、のはずだ。時間があるかと聞かれ、彼女について行けば人が少ない部室棟の裏に連れて行かれた。佐久早くんに引き続き二人目だ。
立ち止まった彼女はとてもイライラした様子で、私は黙って立ち尽くすしかなかった。この状況に戸惑っているのは私だけだ。園山さんは堂々としている。私の方を振り返った彼女は、私を見て口を開いた。

「私のこと、知ってる?」
「えっと、……園山さんですよね」
「へえ、知ってるんだ」
「え、はい。美人だって有名ですし…」
「それ何、煽ってんの?」
「へ?」
「アンタ、元也くんと別れたんだよね?」
「…………もとやくん」

私が一度も呼べなかった彼の名を、彼女はいとも簡単に口にした。

「別れてるよね?」
「あ、えっと、……はい」
「本当に?」
「……はい」

その返事にキッ、と彼女の眉が吊り上がった。

「じゃあどうして、」
「栞ちゃん」

後ろからかけられた声に、肩が跳ねる。

「こ、もりくん……」
「あれ?園山?何してんの?」
「……何でもない」

そう言って私を見ずに立ち去った彼女の背中と古森くんを交互に見つめる。すると古森くんがプッと吹き出した。

「大丈夫、園山のことは気にしないでいいよ」
「だ、だめだよ」

だって、古森くんの彼女は園山さんなのだから。

「早く追いかけてあげて」
「なんで?」
「なんで、って…園山さんは古森くんの恋人、でしょ」

私は古森くんに背を向けて、帰ろうとした。すると、優しい力で手首を掴まれた。

「違うよ」

そう言った古森くんの目は真剣で、とてもじゃないけど視線を逸らすなんてできなかった。数秒見つめあった後、あのね、と私に言い聞かせるように古森くんは話し始めた。

「俺と園山は付き合ってない」
「…いや、付き合ってるって聞いたよ」
「やっぱりその噂信じたんだ」
「えっと、まあ…」

あんなに大々的に噂されていれば信じるも信じないもないだろう。

「栞ちゃんがこうやって呼び出されたのは、俺のせい」
「古森くんの…?」
「園山に告白されたんだけど、俺は栞ちゃんのことが好きだから付き合えない、って断ったんだよね」
「……」
「でも園山の周りでは何故か付き合ってることになっててさ。園山も悪気はないんだろうけど」
「……」
「栞ちゃん?」
「…ごめんなさい」
「えっ何で謝るの?」
「頭が、追いついてない…」
「あ、何だそっちか。よかった」

俺がまた何か悲しませちゃったのかと思った、と笑う古森くんに泣きそうになる。

「俺さ、今すごく後悔してるんだよね」
「…後悔?」
「うん。栞ちゃんと別れたこと」

そう言って目を合わせてきた古森くんに、私は何も言えなかった。古森くんは、私がいなくたって全然大丈夫な人だ。後悔することなんてあるはずないのに。

「俺、栞ちゃんがいないとダメだなーって」
「え……」
「栞ちゃんって、俺にとって精神安定に必須な存在だったんだって、別れて実感した。佐久早に言われちゃってさ、最近プレーが固いし、ぼーっとしてることが増えたって」

あの古森くんが、私と別れたからってそんなことになるなんて思いもしなかった。

「だから、あの時死んでも別れを受け入れるんじゃなかったって今すっごく後悔してる」
「古森くん…」
「振られた身でこんなこと言うの、諦め悪いって思われるかもしれないけど、俺は栞ちゃんが好き」

好きって古森くんから言われたの、いつぶりだろう。私は何でこんなに、心臓がぎゅってしてるんだろう。

「だから、また俺を受け入れてくれませんか」

私の手を掴んで、彼はそう言った。逃げてばっかりじゃ、だめだ。古森くんがきちんと言葉にしてくれたんだから、私もきちんと伝えなくちゃいけない。そう思って、口を開いた。

「あのね……」
「うん、ゆっくりでいいよ」
「ありがとう。……うん、えーっと、その、私は、普通の人、で」
「うん」
「古森くんとは釣り合わないし、……私は古森くんの価値を下げる存在にはなりたくなくて」
「俺の価値?」
「私と付き合ってること、悪く言われるのは古森くんにとってマイナスで、」
「ねえ栞ちゃん」
「うん…?」
「俺は、栞ちゃんだけでいいんだよ」
「え、」
「周りの声とか関係ない。栞ちゃんが、俺の隣で笑ってくれてるだけで十分幸せ。それじゃ、栞ちゃんは何か足りない?」

私はその瞬間、その場にへたり込んで泣いてしまった。私だって古森くんが隣にいてくれれば幸せだ。

「あーあ、もう。そんなとこ座ったらスカート汚れちゃうよ」

そう言いながら古森くんは膝をついて私を抱きしめてくれた。

「久しぶりの栞ちゃんだ」

そう言って笑う古森くんに、どんどん涙が止まらなくなる。首筋に顔を埋めてくる古森くんに、私も腕をまわした。
彼が好きだ。今はそれだけでいい。


青いわたしたち
「今度、佐久早くんにお礼言わなきゃ」
「なんで???」
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