澤村大地の場合



「よ、おはよう」

中学が同じだったから。
同じクラスだから。
彼の席が私の席より奥にあるから。
だから彼は、こうして私に毎朝挨拶してくれる。

「おはよう」

とっくの昔に、別れたのに。








「澤村ー!」

彼を呼ぶ彼女の声に、ビクッとすることももう無くなった。

「どうした?道宮」
「部活の壮行会なんだけどさ、」

二人で連れ添って廊下に消えていく姿も見慣れた。別れてから三年も見続けていれば、どんなに苦しくても慣れていく。でも、心臓の底の方がギュッてなるのは変わらない。










「大地くん」
「ん?」
「大地くんって、私のこと好きじゃないよね」
「え?」
「別れよっか」

彼の部活が休みの日、彼にとっては最後の中学総体の予選前。忙しい中一緒に帰ってくれた彼に、私からそう言った。驚いて立ち止まってこちらを見てくる彼の驚いた顔を見ても私は冷静だった。

「なんで?俺はちゃんと春原さんのこと、」
「ずっと名前で呼んでくれなかったね」
「え?」
「私は勇気を出して“大地くん”って呼んでたのに、大地くんは私のことずっと“春原さん”だよね」
「そ、れは」
「道宮さんのことは、道宮って呼ぶのにね」

見苦しい嫉妬だ。十五歳の私には隠しきれなかった剥き出しの感情。私は当時から意地の悪い女だった。たとえ苗字でも呼び捨てで呼んでもらえる彼女が羨ましかった。他の子のことを嫌味ったらしく伝えて、少しでも彼にダメージを負って欲しかった。罪悪感を抱いて欲しかった。

「私から告白したのに、別れようなんて言って本当に申し訳ないんだけど」
「待って俺は、」
「いいの、もう。ありがとう、一年も付き合ってくれて。バレーも応援させてくれてすごく感謝してる」
「春原、」
「今年は直接応援出来ないけど、大地くんの活躍は楽しみにしてるから」

どこかで否定して欲しかったんだと思う。別れたくない、ちゃんと好きだ、これからも一緒にいよう、そう言って欲しかった。今なら、わかる。
だから。

「……わかった。今までありがとな」

そう言って少し微笑んだ彼に私は何も言えず、彼が立ち去った後もしばらくその場から動けなかった。私は自ら好きな人との関わりを絶ったのだ。
当時彼とはクラスが違ったし、進学先についても話したことは無かった。だから高校に入学してクラス分けの表を見た時、私は手に持っていた入学案内のしおりを落としてしまった。

―澤村大地

同じクラスに彼の名前を見つけた。高校で心機一転、彼のことを忘れて、新しい友達を作って、その内好きな人もできるだろう、そう思っていた。なのに。

「春原さんも烏野だったんだ」

その声に振り向けば、私が落としたしおりをこちらに向かって差し出す彼がいた。夏ぶりの、あの日以来の彼。

「…うん」
「同じクラスだな、よろしくな!」

そう言ってニカッと微笑む彼は、私と付き合っていたことなんて無かったかのような振る舞いだった。
後から知ったが、彼が烏野を希望していることは仲のいい人なら周知の事実だったらしい。私は、知らなかったけれど。
この一年、どう過ごそうか。そんなことを悩みに悩んでいたことが少し懐かしい。しかし、その悩みが三年も続くとはさすがに思っていなかった。元カレと高校三年間ずっと同じクラスなんてなかなかないと思う。
そして、彼と噂になるのはいつも“彼女”だった。

「澤村くんと女バレの道宮さん、部長同士いい感じだよね」
「中学も同じだったんでしょ?当時から二人ともバレー部って、もう付き合ってるようなもんじゃん」
「ザ青春って感じ!」

羨ましい、そうこそこそと話すクラスメイトの声に思わず床を蹴る。椅子がギッと鈍い音を立てた。

「道宮さんが澤村くんのこと好きなのは結構有名だよね」
「そうなの?」
「中学の時の出来事がきっかけらしいけど」
「両片思いってやつかー」
「荒んでるアンタの恋愛とは真逆だねー」
「うるさい!」

他人の恋愛事情の消費はあっという間に終わる。彼女たちはそれ以降その話はしなくなった。
そうか、道宮さん中学の時から好きなんだ。仲がいいな、とは思っていたけれど。当時、私が邪魔しちゃった形になるのかな。今も、私が知らないだけで付き合ってるのかもしれないし。

やめよう。

これ以上考えていても、私の中三からの歪んだ片想いは報われることは無いのだから。窓から見える景色はいつもと同じで。頬杖をついて、動かない雲をじっと見ていた。あの雲だって必ずいつか消えるのだ。今は頑として動かないのに。だから今の私の気持ちだって、いつかは消える。

「春原さん」

告白しておいてその上振った女が三年経った今も未練タラタラなんて、彼にとっては迷惑以外の何物でもない。

「春原さん?」

当時だって、告白して付き合う了承は得たけど、彼の方から積極的に好意を伝えられたられたことはなかった。あれは同情、だったのかも。あまりに必死な、私の拙い思いへの。それに今はただのクラスメイトとしての実績を着実に重ねているだけなわけで。多分このまま、何も、

「春原さん!」
「………へ?」

ふと、自分の机に影が落ちた。顔を上げれば、そこには彼が立っている。あれ、さっき道宮さんと喋っていたのに。

「考え事か?」

少し眉をひそめてこちらを見ている彼に一瞬声が出るのが遅れた。普段も挨拶程度であまり話さないし。

「ううん、ぼーっとしてただけ。何かあった?」

うまく取り繕えただろうか。クラスメイトとしての正しい振る舞いが出来ただろうか。無理やり口角を上げれば、彼は安心したように話し始めた。

「あのさ、インハイの予選が始まるんだけど」

突然の話にキョトンとした顔をすると、彼も不思議そうな顔をしていた。

「……バレー部の話?」
「え?あ、そう!ごめんごめん、話が突然過ぎたな」

バレー部の予選。それが私になんの関係があるのだろう。

「ううん、大丈夫。それで?」
「試合、見に来てくれないか?」
「……試合?」
「ああ」

教室で、私たちはすごく仲の良い友人のように話をしていて。でもそんな事実は決して無くて。

「どういう意味?」

思わずそう口から出ていた。

「あ、予定ある?」
「え、いや、いつなのかとか知らないし…」
「あ、そうか…えっと、後で連絡するから…って連絡先変わってる?」
「いや、前のままだけど……どうして?」

私が彼の試合を見に行って何になるのだろう。そんなに応援に来てくれる人が少ないのかな。部長として部員の士気を高めるために片っ端から声掛けてる、とか。それは可哀想だけど、私には無理かな、と思っていると彼がこちらを見ていることに気づいた。

「…俺さ、中三の時から気持ち変わってなくてさ」
「…中三?」
「うん。あの時から、ずっと変わってないんだ」

中三というのは私たちが別れた頃で。その時から気持ちが変わっていない、って。

「ずっと思ってたんだ。また、俺のバレーを見ていて欲しいって」

この二年声掛けられなかったけどな、と苦々しく笑う彼に私は返事をすることが出来なかった。

「高三のバレーで悔いを残したくないんだ。試合も、春原さんのことも」
「…あの、えっと」
「ちゃんとした告白は、二人きりの時にするから」

ここ教室だし、と彼は笑った。いや、その前の言葉が衝撃的すぎてリアクションが取れないんだけど。

「とりあえず今は、試合見に来てくれるかの返事だけ貰ってもいいか?」
「え、…えっと、」
「うん」

真っ直ぐこちらを見つめる目は、とても懐かしいようででも知らない瞳でドキッとした。そんな目で見られたら、私には抗う術なんてないじゃないか。

「……うん、行く」

その後、久しぶりにスマホに表示された彼の名前に気持ちがふわふわしていた。そして、予選一回戦の後、おめでとうと伝える前にユニフォームのまま抱きつかれたのは、今でもいい思い出だ。


蕾だった恋
(…、栞)
(……名前呼ぶ時いつも変だよね?)
(中学の時は緊張して呼べなかったからこれでも進歩はしてる)
(そんなキャラだっけ?)
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